大嘗祭について

 

『意味への渇き』(69頁)より引用

 

大嘗祭 現在においても実質的に天皇の即位式となっている

 

大嘗(おほにえ、おほむべ)とは、天皇が即位後はじめて新穀をもって神祇を祭る儀式だが、もともとは年ごとの豊饒祭たる新嘗(にひなえ)と区別がなく、しかも天皇の「スメラミコトとしての為事は、この国の田の生り物(なりもの)をお作りになる事」であり「秋になるとマツリをして、田の生り物を天つ神のお目にかける、これが食国(をすくに)のマツリゴトである」〔折口信夫「大嘗祭の本義」〕というわけだから、天皇の政治的権力行使は、そのまま農耕儀礼と合体され、後者によって正当化される。

 

しかもこの大嘗祭の過程で、天皇は豊饒神であると同時に皇祖でもあるアマテラスと共殿共食したのち、真床襲衾(まどこおふすま)にくるまって一旦は嬰児にもどり、あらためてアマテラスの孫として再生し、その再生が天皇としての真の成人式の意味を持つ。