高校生が地域とともに取り組む「夢の駅前公園計画」 D−pro 3

 

学びは深く

 

 彼らは歩きながらいろんなことを学んでゆく。地元の大人たちとの共同作業は、高校生が現実の生活世界に目を開くたくさんの機会を与えてくれた。「杭の打ち方はな……」「縄はこう縛るんだ……」といった声があちこちで上がっていた。思想も深まっていった。

 このイベントをレポート発表した山下と堀口は、レポートの「協力していただいた地域の方に今後どのように恩返しできるか」 という部分について、参加者から「恩返しという思想を批判された。これがこだわりとなって後に、「Dニュース」の「もっと多くの人を巻き込む」という表現をめぐる「巻き込む論争」 に発展、どちらも相手を、同じ願いを持った対等の人間と見ていない、ただ自分たちの要求実現を支えてもらう人間、とみなしている点で共通している、それは自分たちの内なる倣博さだ、と考えを深めていったりした。

 

ついに設計図完成!

 

 秋になった。ついに、設計図が完成したという連絡が入った。

 さっそく、都市計画課に行って新しい設計図を閲覧した。「交流の広場」 (約一〇〇〇平米) の位置が、真ん中に移され、駐車上の位置が周辺部に移されていた。しかもこの広場の内部についてはすべて地元と高校生に任せるという説明もついて! 駐車場が端のほうに移され小さく見える。「緑と環境」を掲げてきた高校生の主張を大幅に生かしたすばらしい設計図だ! ただ、よく数えてみると、駐車場の車の台数は四四。これは前回の計画より二台分逆に多くなっている! 地元の説明会が一二月七日、今度は地域の公民館で行われることを確認し、そこでさらに要望を出してもいいとの約束を取り付け、この日の閲覧を終わった。

一二月七日までの一か月は、地元の意見やN教授の考えなどを聞き、説明会対策を練った。

 当日は、地元、高校生合わせて七〇人が参加した。生徒たちは広場の前進点を評価しながら駐車場の車の台数について「前より増えている点」にしぶとく食いついた。「駐車場問題だけでなく全体の前進を見ないと駄目だよ」とアドバイスする地元の声もあった。けれども、「二台分の増減」に高校生たちはこだわった。「運動したら逆に増えてしまったのでは」と。再三の要求に根負けした職員がついに「二台分を減らすことを検討する」と約束した。会場全体に思わず柏手が広がった。高校生のよく練られたたくさんの発言が見事であった。

 

 2002年4月より着工!

 

 本年三月、U市議会は本年度予算を決定した。「しなの鉄道西上田駅自由通路新設と南口広場整備費」として三億二三〇〇万円が決定された。四月着工、自由通路は両側エレベーター、ギャラリー、自転車・リヤカー通行可の内容を含めて来年三月完成の予定という。渡りはじめはU高の卒業式に合わせて、という粋な計らいもあるという。

 Dproでは、二月に入って引き続き全校生にアンケートを行い、交流広場のデザイン募集や後の管理問題に取り組みはじめている。

 三月三日、二代目のリーダーたちは二二〇頁に及ぶ総括集「D−ファイル」をまとめて卒業していった。山下や堀口の総括もすばらしいものであったが、卒業して一年、都会で大学生活を送る京塚からの、後輩に宛てたメッセージが大変印象深いものであった。

 「……『自分たちの住む地域のことを自分たちで考え創ってゆく』、それは至って未来的な考えです。Dproの活動を通して、初めて自分たちの住むU市を大切に思えたような気がします。自分のいいと思った意見が町づくりプランに反映すれば嬉しいと思いました。しかし、現実は、大学には夢を抱かない学生が多いのです。『受験でたまたま受かったから』という理由の学生も、地域活動に無関心な学生も多いのです。それは、今までDproのような活動に触れたことがなかったからだと思います。高校時代、Dproなどの活動に触れたことで、いま私は興味を持って勉強しています。それはすごく幸せなことだと思います」

 

エネルギーはどこから生まれたか

 

 Dプロの活動の中で子どもたちが獲得したものはなにか。

 第一に、新しい世界の創造に参加する中で、これまで信じられなかったほどのエネルギーを発揮するようになったことである。それは、「社会は変えられる」という言葉であったり、310頁に及ぶ報告書だったりするのだが、彼らが主体として活動し、確かに変えることのできた現実をつかんだことと深いかかわりがある。

 第二に、「わくわくしながら活動してきた」という言葉に表れているのだが、たくさんの大人たちとかかわりながら心からそれを楽しんでいる点である。これは、Dproが徹底的に「主的参加者集団」にこだわっていることとかかわりがある。これは生徒と一緒に走ってきた感性のやわらかい顧問・島本の在り方と深い関係がある。彼女の指導は次の言葉によく表れている。

 「私はただ、同じゴールを目指して進みたいという気持ちで、本当に一緒になって盛り上がったり考えたりしているだけで、道のりは生徒たちそれぞれに任せてきた。教育というよりまさに、『共育』。一緒に進んできたのが現状だ。Dproのすごさはそこにある。高校生たちが自分たちで道を切り開いていくところに」

 第三に、自治の問題で言えば、実行委員会のような主体性を確保しながら、他方、構成員の中心近くに生徒会の会長はじめ役員の多くを組織し、いざ全校生に、という段階や全校を代表して外に対応しなければならないときには、きっちりと機関決定を勝ち取り自治の問題に連動させていること、つまり、やる気集団と集団の自治とを結合していることである。

 第四に、市長などの行政をはじめ自治会長、地域の人々など大人たちが彼らを一面では高校生と見ながらも、もう一面で本格的に大人として扱ってくれていることである。大人として扱われるとき高校生が驚くほど急速に成長することを私たちは繰り返し実感してきた。

第五に、学びの問題について言えば、Dproにかかわって進路を決めた京塚のように、学ぶ意味を考えはじめた生徒がたくさん生まれている。

 第六に、このように伸び伸びと活動する生徒を親たちが圧倒的に支持していることである。山下や堀口などこれまでのリーダー、Dproに熱心な先輩の活動に惹かれて参加し、ぐんぐんと成長して、学校に行けなかった中学時代の困難を乗り越え、その体験をNHKの「青春メッセージ」に応募してNHKホールで発表した柴崎たち、その、子どもたちの成長を知る親たちの、このような教育への信頼は揺るぎないものとなっている。

 

 終わりに

 

 私はかつて「私学における学校づくりと生活指導運動」と題して次のように書いた(高生研三八回全国大会紀要)。

 「私たちの生活指導運動が目指す学校づくりは、HR実践、全校集団づくりにかかわらず、それを保障する力を背景に実践が進められ、実践の結果が生徒や父母、教職員を大きく励ましてその闘いを前進させ、それがまた力を拡大して次の実践を用意する、この繰り返しの中で、総体として学校づくりが前進してゆくような、そういう実践の構造を持たなければならない」

 生徒の自治、父母の共同の広がり、教師の闘いがそれぞれ連携しながら発展してゆく、そういう構造を持った実践が学校づくりの内容を形成しなければならないという強い思いがあったからである。

 私が特に強調したかったのは「力」の問題であった。非行も赤い髪も、高い偏差値を求める親の欲求も、形を変えた発達や自立、生活向上への欲求(表出)であるととらえることは高生研の神髄である。欲求を、実現の見通しのある要求に変えてゆく、その実践の感動を通して教師間の団結を育て、生徒・父母や多くの国民との共同・連帯を広げてゆくこと、その力で学校の在り方そのものを変えてゆくための広範な統一を実現してゆくという課題は緊急のものであった。

 「実践を支える力は、正しい方法論と職場での信頼関係、職場の力(その中心にあるのは鍛えられた労働組合) と父母との連携、そして、学校を取り巻く様々な健全な勢力との共同・協力の力だ」とも書いた。そして、こうした力を自らが要となって実践に結実させ、統一的に発展させる視点を確認しつつ実践を進めることを厳しく自らに課してきた。

 去る六月、本校理事会は、生徒急減期における「活力あるU高」路線を打ち出し、10人の職員の解雇(彼らは自然退職と言う)を打ち出してきた。この二年、組合創立時の多くの仲間たちが自然退職し、組織が半減したところを見透かしての理事会からの攻撃であった。私の場合は「六〇歳定年で勇退してもらう」という理由だが、本年からいきなりの「六〇歳厳守」であり、理事会に屈伏しないものたちへの見せしめの組合差別であることは言うまでもない。そのほかの職員は「東大・甲子園路線」に妨げになるものや「IT路線」に合わないもの等の排除である。組合では全面対決の闘いを始めており、地労委や仮処分の裁判闘争、ストライキなど闘いを繰り広げている。

 こうした中で、四〇〇人を越える父母、父母OB、卒業生らが「U高の教育を愛する会」を結成し、闘いの中軸を献身的に担いはじめている。四月以後、私たちはやむを得ず学校の外に出たが、私たちの目指してきた学校づくりが、この嵐に抗して本物の力として闘いを進めることができるかどうか。私たちの実践の構図の本当の検証がいま始まっている。

 

(引用者追記)

 「夢の駅前公園」は数年後に完成し、完成後もU高校の生徒と地域の人々とのあいだで「交流イベント」が継続して取り組まれていると「実践者であるKさん」から聞いた。

最後に紹介されている10人の職員の解雇撤回の取り組みは、父母、父母OB、卒業生らが結成した「U高の教育を愛する会」を中心に大きく広がった。その趣旨は中学校の教職員にも共有され、父母だけでなく中学校の職員からも(U高校の学校説明会などの場で)理事会への抗議が殺到したとのことである。

そのような状況を背景に、理事会も10人の教職員の解雇撤回に応じ、最終的にこの取り組みは「労働者側」と「U高の教育を愛する会」の全面的な勝利という形で収束したとのことであった。