現代文での取り組み

 

 二年「現代文」は二単位必修で二クラスを担当している。授業開きで生徒には「僕らができることは募金じゃなくて、授業で東北を意識すること、東北のことを考えること」と

述べ、宮沢賢治を扱う理由を説き、渡辺謙の「雨ニモ負ケズ」の朗読をYOUTUBEで流し、授業に入った。おおまかな授業の流れは次のとおりである。

 

@ 宮沢賢治「永訣の朝」(『春と修羅』より)

 教科書には採録されていないので、投げ込み教材として扱う。途中大学院生の教育実習が入ったので、一旦中断した。「万人の幸せなくして個人の幸せはあり得ない」とする賢治の思想や生涯も説明した。試験では「賢治が考えた『われわれに必要な科学』とは何か」という出題もした。

 

A 丸山真男「『である』ことと『する』こと」(『日本の思想』より)

 教育大学院生が実習授業として担当した。「権利と自由」についての箇所が中心であった。

B 石牟礼道子「後生の桜」

 『精選現代文改訂版』(教育出版)所収の水俣病のエッセイである。水俣病第1号患者であった坂本きよ子さんと、自宅の桜の思い出を語る母・トキノさんの語りが措かれている。 

 

生徒らが夏休みに鹿児島へ研修旅行に行くこと(現地の民家に宿泊する「民泊」がメインである)もこの教材を扱った理由だが、水俣と福島の置かれた様相の構図は同じ、という問題意識を持って取り組んだ。

水俣にこだわったのは、昨年研修旅行で「水俣コース」を設け参加者を募り水俣病の事前学習を行った上で訪れた経験があったからである。そして一学期最後の授業(七月一九日)に「水俣の思いに耳に傾け、今を問い、未来を考える」と題し関西水俣病訴訟原告の小笹恵さんを招いた。インタビューを通じて作品の内容を深めるとともに、水俣病が地震や原発問題で揺れている今の社会に投げかける問題を考え、研修旅行で訪問する鹿児島や今後の社会を考える機会とした。

 

 夏休みの課題は、@小笹恵さんの話を聴いて、A一学期の授業内容(宮沢賢治の思想・「永訣の朝」・石牟礼道子「後生の桜」・水俣病のこと・「『である』ことと『する』こと」と研修旅行民泊先で聴いたこと、知ったこと、感じたことを融合させながら( )内に各自記入して一つの作品を完成させよ。(東北・水俣・鹿児島 京都(関西)の地より(  )を問い考える)を課した。

 

 小笹さんへの感想から

 

 政府や県、大企業を相手に闘って来られた小笹さんの話は生徒の胸を打ったようだ。

 「父にはいったい誰が謝ってくれるの、という言葉にとても悲しみがこもっていて心に突き刺さりました」「裁判の判決などは記録として残るだろうけど、小笹さんが話して下さった自分のこと、ご両親のことは私たち聞き手がいないとどこにやることもできない事実なんだという思いで話を聴いていました」

 

 「印象深かったのは、どんな権力にも負けてはならないものがある、という言葉だった」  「どんなに弱い人間でも立ち向かわねばいけない時がある、という言葉がありましたが、最初はとても強い人だと思っていました。けれど本当は弱くてもご両親の意志を受け継いで強くあろうと努力されていることがわかりました。思い出したくないことを折角伝えて下さったので、水俣病や原発事故を更に深く考えたい」

 

 「話を聴いて、過去の過ちとはもう一度繰り返さないためのものなのに、今原発問題で水俣病とリンクする所があり、同じ過ちを繰り返しているなと思い、悲しくなりました。こういった被害が起こった時行政や学者の他人行儀な発表で片付くものではないし、その地域ではずっと被害が残り続けるんだとわかりました。水俣病への理不尽な嫌がらせやいじめの話を聴いてとても苦しくなりました。権力を持つ立場になってもこのことは忘れたくないです」

 

 「水俣病を語る小笹さんの表情にはどこか遠くの一点を見つめているような激情とは違う何かが浮かんでいるように見えた。話の中で『水俣という言葉が怖かった』とおっしゃった。それは怒りではなく悲しみから来る言葉だと思う。原告となってチッソと闘い続けた両親の遺志を受け継いだのは、父と母に対する深い愛情からだったのでは、と思った。権力を振りかざす『チッソを打ち負かす』のではなく『チッソに屈しない』とおっしゃったのもそういうことではないだろうか」

 

 「水俣病で一番ひどかったと思うのは、人が人によって地獄を味わったことです。聴いているだけで心が痛くなる話でした。ですが私たちは最後まで聴く必要があるのだと切実に感じました。同じ過ちを繰り返さないために歴史をきちんと知らなくてはなりません。私は話を聴くまで水俣病を大量殺人事件だと思っていませんでした。患者の方が歩まれてきた苦しい道は想像を絶するものでした。同じように苦しむ人がもう現れないように努力しなければなりません。最後に言われた言葉である『権力の使い方を間違えてはならない』、このことが私の頭に残っています」

 

夏休み後に提出された作品より

 

 さて研修旅行先の学びを、授業のそれとどう融合させたのか、幾つか紹介しておこう。

 関西から鹿児島に移住して塩づくりを生業に地域に根ざして暮らす方の所に民泊した生徒の作品である。「自分が生活を営む場所でどういう風に暮らしていけば良いのか。隣の家の人とその街の人とどんな風につながっていけばいいのか。地面に足をつけて生きること、一人よがりじゃなくて周りの自然や人々と共に生きてゆきたいと私は一学期の授業内容と研修旅行を通じて思いました。もし将来科学をやることがあったとしても、どんな職業でどこに住もうとも、住んでいる所に根差して提供したり与えられたりしながら暮らしていきたい。

 

 私は科学をそんな風に使えたらいいし、別に科学を使わなくたって地域で暮らしていくことはできると、民泊でMさんが教えて下さいました。大事なことは何ができるかではなく、何がしたいかで、一生懸命な気持ちがあれば、周りは助けてくれるというお話は結局人とどう関わっていくかが、一番そこで生き生きと暮らすきっかけになっていくことを言っているのかもしれません。地域や国やさまざまな人間の集まりの中でその一員として存在できる暮らし方をしていきたい」(「住んでいるところで暮らす」を問い考える)。

 

 次は枕崎の枇杷農家の方から「便利になった分農業や漁業にも影響が出ている」話を伺った生徒の感想である。

「福島の原発問題は水俣病問題と非常によく似ているが、いくらかタチが悪い。それは福島原発で発電された電力を享受していたのは東北の県ではなく首都圏であったからだ。

 

原発が建設された理由は首都圏への電力供給をするためであり、東北の人々はその犠牲になったといえる。科学技術の恩恵と害は平等に分配されてはいない。万人が幸せになれる科学とは何なのだろうか。単なる知的好奇心を満たしていく研究が、結果的に幸福に結びつくのではないか。科学者が純粋な好奇心で発見したことが、他人によって思わぬことに利用されてしまった例は多くある。それを避けるために科学はもっと人々に理解されないといけない。科学は科学者だけのものではない」

(「便利さの光と影」を問い考える)。

 

 阪神淡路大震災を機に鹿児島に移住した船大工の方から「学歴や資格を取って就職を争うよりこうした田舎のムラで何もない状態からここで今自分ができることを考えて直接人の役に立てることをしたかった」という言葉をもらった生徒は次のように記す。

 

 「これまでの話を聴いてとても宮沢賢治の思想に似ている部分があるなあと思った。人の役に立つことを生き甲斐として暮らしていらっしゃる姿は私にはとてもまぶしかった。そして『今私にできることは何だろう』と考えさせられると同時に自分の無力さや行動力の無さに腹が立った。

 

 私は今、思うがままに生きている。果たしてそんな人生でいいのかとすごく悩まされた。そして今の自分がとても悔しくて仕方がなかった。『誰かの役に立ちたい。そういう人生を歩みたい』と強く思うようになり、今自分ができること、誰かの役に立てることを常に考えて行動できる人になりたいと思った」

(「人の役に立つこと」を問い考える)。

 

 次の生徒は他とは趣が異なり、「であることすること」に感化されて書いたようだ。

 「国民だって原子力発電が危険性の高い発電方法だと理解していたはずだ。国民には意思表示の自由権が与えられているにも関わらず今更になって原発反対だの『東電もっとしっかりしろ』だの言い始める。余りに理不尽ではないか。声を揃えて『しっかりせえよ』と言うのだろう。

 

 国民にはたくさんの権利が与えられている。それを日々使わず放置して自分が身の危機に迫られると必死になってその権力を使おうとする。こんな民を抱えてよく国が成り立つなと思った。メディアが取り上げる旬の情報に左右されすぎではないか。そして権力を持っているにも関わらず受動的でメディア界が政権を揺さぶるような『民主国家』に私は疑問が尽きない。

 

 『しっかりせえよ』は私たち国民ではないか。社会をつくつているのは私たちであって、その私たちが変わらずして今の日本が良くなるなんて考えられるだろうか」

(「メディアと今の社会の有り様」を問い考える)