〔資料〕 日清戦争に対する福沢諭吉の見解

 

福沢諭吉 日清戦争に賛成

 

「日清の戦争は文野の戦争なり」〔1894729日 時事新報の社説〕

社説の趣旨:「文野」とは「文明」と「野蛮」。日清戦争は、文明国の日本が、野蛮な国である清(中国)を教え導くための「正しい戦争」である、としたもの。

(時事新報は1882(明治15)年31日、福澤諭吉の手により創刊された日刊新聞。その後、慶應義塾大学およびその出身者が全面協力して運営した。)

 

時事新報の社説本文の抜粋(口語訳で)

 

※1 戦争は日清両国で起こったとはいっても、その根源は、文明開化を進めようとする者と、その進歩を妨げようとする者との戦いであり決して両国間の争いではない(・・・)

本来日本人は支那人(中国人)に対して私怨も敵意もないが、いかんせんかれらは頑迷で道理を理解せず、文明開化を喜ばないだけでなく、反抗の意思表示をしたために、やむを得ず戦争になったのだ。 

 

(日本軍は・・・)海戦で勝利し、一隻の軍艦を捕獲し、千五百の清兵を倒したという。(・・・)数千の清兵はいずれも罪のない人民であり、これを皆殺しにするはかわいそうなことである。文明進歩の妨害となるものを排除するために、多少の殺戮も仕方がないというには多すぎる数ではあるが、彼等も不幸にして清国のような腐敗した政府の下に生れた運命としてあきらめるほかない。

もしも中国人が今度の失敗に懲り、文明の素晴らしさを悟って、その非を改めるならば(・・・)むしろ文明の誘導者たる日本人に対してその恩に感謝することになるだろう。

 

〔引用者付記〕

同年11月の時事新報には、「文明流」の改革のためには朝鮮に対する「脅迫」を用いざるを得ず、「国務の実権」を日本が握るべきだとする社説を載せた。

なお、日清戦争は社説「文野の戦争」が発表された4日前から始まっていた。