産業革命 文書資料

 

1「数学者や機械学者は道具を簡単な機械だといい、機械を複雑な道具だという。彼らはそこに本質的な違いを見ない(・・・)」                     

「他方には道具と機械の区別を、道具では人間が動力であるが、機械では動物や水や風などのような、人間力とは違った自然力が動力であることに求める人もある。この区別に従えば、(・・・)牛をつけた犂は機械だが、たった一人の労働者の手で動かされて1分間に96000の目を織るクローセン式回転織機はただの道具だ、ということになるであろう。実に同じ機械でも、手で動かせば道具だが蒸気で動かせば機械だ、ということにもなるであろう。」                (『資本論』 第13章 機械と大工業)

 

2「すべて発達した機械は、3つの本質的に違う部分から成っている。原動機,伝導機構,最後に道具機または作業機がそれである。」           (同上)

3「原動機は全機構の原動力として働く。それは、蒸気機関や熱機関や電磁気機関などのように、それ自身の動力を生み出すこともあれば、また、水車が落水から、風車が風からというように、外部の既成の自然力から原動力を受け取ることもある。」                                     (同上)

4「伝導機構は(・・・)非常に多くの種類の伝導装置から構成されていて、運動を調節し必要があれば運動の形態を例えば垂直から円形にというように、変化させ、それを道具機に分配し伝達する。機構のこの両部分は、ただ作業機に運動を伝えるためにある」

        原動機,伝導機構               (同上)

 

5「これ(原動機,伝導機構によって伝えられた動力)によって作業機は労働対象をつかまえて目的に応じてそれを変化させるのである。機械のこの部分、作業機こそは、産業革命が18世紀にそこから出発するものである。」

                               (同上)

6「人間が、道具を用いて労働対象に働きかけるのではなくて、ただ単に動力として作業機に働きかけるだけになれば、動力が人間の筋肉を着ていることは偶然となって、風や水や蒸気などがそれに代わることが出来る。」           (同上)

 

7「大工業の幼年期には、しばしば馬が用いられたのであって、(・・・)今日まで伝わっている馬力による機械力の表現がすでに立証しているところである。」(同上)

 

8「アークライトのスロットル紡績機は最初から水力で運転された。しかし、(・・・)水力は任意に高めることもその不足を補うこともできなかった。それは、ときどき涸れたし、またなによりもまず全く局地的な性質のものだった。」     (同上)

 

9「ワットの第2のいわゆる複蒸気機関の出現によってはじめて次のような原動機が見いだされた。それは、石炭と水を食って自分で自分の動力を生み出し、その力がまったく人間の制御に服し、可動的であると同時に移動の手段でもあり、(・・・)水車のように生産を田舎に分散させないで都市に集中することを可能にし、その技術的応用という点で普遍的であり、その所在地に関しては局地的な事情に制約されることの比較的少ない原動機だったのである。」                       (同上)

 

10「蒸気機関そのものも、17世紀の末にマニュファクチュア時代のあいだに発明されて18世紀の80年代の初めまで存続したそれは、どんな産業革命をも呼び起こさなかった。むしろ反対に作業機の創造こそ蒸気機関の革命を必然的にしたのである。」

 

11「まず道具が人間という有機体の道具から一つの機械装置の、すなわち作業機の道具に転化されてから、次には原動機もまた一つの独立な、人力の限界からは完全に解放された形態を与えられた。」

  「機械の体系は(・・・)それが一つの自動的な原動機によって運転されるようになればそれ自体として一つの大きな自動装置をなすようになる。」     (同上)

 

12「たとえば、機械紡績は機械織布を必要にし、これらはまた両方とも漂白や捺染や染色での機械的・化学的革命を必要にした。また他方では、綿紡績での革命は綿の実から綿繊維を分離するための繰綿機の発明を呼び起こし、これによって、当時要求されていた大きな規模での木綿生産が初めて可能になったのである。ことにまた、工業や農業の生産様式に起きた革命は、社会的生産過程の一般的な条件すなわち交通・運輸機関の革命をも必要にした。

( 中略  )交通・運輸事情は、河川汽船や鉄道や海洋汽船や電信の体系によって、しだいに大工業に適合するようにされたのである。しかしまた、いまやそのために鍛えられ、溶接され、切断され、穿孔され、成型されなければならなかった恐ろしく巨大な鉄量もまた巨大な機械を必要とし、このような機械を作りだすのには、マニュファクチュア的な機械制作ではまにあわなくなったのである。」                                              (同上)

13「機械による機械の製造のため最も重要な生産条件は、どんな出力でも可能でしかも同時に完全に制御できるような原動機だった。それはすでに蒸気機関として存在していた。しかし、同時に、個々の機械部分のために必要な厳密に幾何学的な形状、すなわち線,平面,円,円筒,円錐,球などを機械で生産することも必要だった。この問題は、19世紀最初の10年間にヘンリ・モーズレがスライド・レスト(往復滑台)の発明によって解決したが、これはやがて自動化され、また変形されて、最初は旋盤用だったものが、他の工作機械にも転用された。

  中略  )このようにして、個々の機械部分の幾何学的な形状を、『どんなに熟練した労働者の手のどんなに積み重ねた経験でも与えることができないほどの容易さと正確さと速さで生産すること』に成功したのである。」                                     (同上)