学校祭の取り組み「水車の回る店づくり」  (人物名はすべて仮名)

 

 コース制をとる普通科のW高校に赴任して2年目。初年度は担任としてA組を受け持ったが、今年度は別コースの2年B組を受け持つことになる。クラスには全体的におとなしく、良識的だと思える生徒が多い。一年前の校歌・応援歌練習では全くといっていいほど声が出ず、「ノリが悪く元気のないクラス」という印象であったし、担任が替わってもやはりその雰囲気は残っていた。このようなクラスのトーンを高め、生徒同士の関係性を築いていく決定的なチャンスは何といっても学校祭である。この機会をぜひ生かしていきたい、と考えた。

 

1.学校祭(虹嶺祭)に向けてのスタート

 6月24日、私は自分の見てきた色々な学校祭について語り、次のように呼びかけた。「ぜひ、ステージ発表をやろう。皆が動いて当日に向かって熱く盛り上がるその感動は他の取り組みではなかなか味わえない。去年はたくさんの模擬店で盛りあがったけど、同じような企画もいくつかあった。他のクラスと同じようなことをしても仕方がないので担任としてはステージ発表を強く勧めたい。ただ、それでもぜひ教室で模擬店をしたいということなら、その店が教室に見えないぐらい大改造をしよう。」

 

 後日、「クラスでどんな取り組みがしたいか」というアンケート(執行部が作成)を行った。クラス企画については予想どおり「模擬店」の希望が多かったが私の訴えの効果もあってか「他のクラスがやらないようなすごい模擬店がしたい」といった意見が多く見られた。また、生徒会執行部の指導に沿って企画案作成委員を選出。

 室長の谷田,副室長の吉本を含む6名が選出された。

 

2.企画委員、リーダーの役割りとは?

 7月2日、朝のSHRでクラスだよりを配付。アンケート結果について、模擬店の希望が圧倒的に多いことを確認し、「何かとんでもなく“すごい事”」「他のクラスが絶対やらない事」など多く出された意見を確認した。(議長は担任)この時、アンケート結果を踏まえて採決したところ、クラスの大まかな取り組みは模擬店に決定。その日の昼に企画委員会を開き、アンケート結果を参考にしながら模擬店の具体的な内容について検討するが、なかなか注文どおりの企画が出ない。

 

 私「担任としても一つ案を持っているんだけど」

谷田「案があるなら早く言ってよ。」

「そうはいっても企画を決めるのは生徒なんだから少しは遠慮しているんだ」

「最終的にそれを採用するかどうか決めるのはオレたちなんだから案は出してくれればいいんだよ。」

 

「まあそうだな。この春“団子三兄弟”が流行ったことだし、わがクラスは団子とうどんを中心にした和風の店にしたらどうだろう。教室には池と竹の柵を作り水車を回して、とことん和風の店にするんだ。」谷田「水車って『うどんの喜むら』で回っているようなやつ? それ、いいじゃない。確かに他のクラスはやりそうにないし、スケールが大きい。」

 

この案に他のメンバーも賛成したので「団子とうどんを中心とする和風の店」という線で企画委員会原案をまとめ、後日、この企画案はクラスでも賛成多数で承認された。

7月8日、昼休憩に企画委員会を開き、学校祭のねらいについて話をする。「学校祭をどういう機会にしていくか、リーダーとしては是非考えてほしい。楽しく盛り上がることはもちろん大切だけど、なによりも学校祭の前と後で、クラスがどこか変わらなければ意味はない。例えば学校祭を機会に『今まで話せなかったようなクラスメートと話が出来るようになった』とか『それまで孤立気味だった人がクラスのなかに溶け込めるようになった』とか、クラスの人間関係が変わっていくことが大切だ。」

 

ここで私はそのような意味で気になる生徒がいないかどうか問いかけた。生徒からは今井(やや“きつい”性格で女子の中では一人孤立。「このクラスは余りいいクラスじゃないよ」と年度当初私に言ってくるなど、多少被害者意識も感じられる)と田沼(中学時代に不登校の傾向あり。おとなしく友達がほとんどいない。前年度は生徒会行事のほとんどを欠席。)などの名前が出てくる。

 

 「クラスの中で誰かがポツンと一人でいるような状況はぜひ変えていきたい」という私に対して「今井は本人に問題があるんじゃないの?」「行事にも田沼自身が出てこないんだから仕方がないよ」と谷田。「だけど、中学時代の経験を振り返ってみろ。クラスでいい文化祭が出来たという時は皆が参加して一生懸命やった時だろう。そうなるように努力することが大切じゃないのか。積極的な人、おとなしい人、クラスのなかには色々な人間がいる。どう理解し合いつながっていくか。それが問題じゃないか。」谷田よりもこの時は女子の吉本と角が真剣に話を聞いていた。

 

 数日後の学校祭LHRでは学校祭の役割分担を途中まで決め、翌日、その続きの話し合いをした。まず役割分担で希望がとても多かったクラスシンボルの件について話。「今年は生徒会の方針で体育祭のシンボルは何を作ってもいいという事になっているし、係の人数がある程度多くなってもいいんじゃないか。クラスで二つシンボルを作ってもいいんだし。」この私の言葉を受けて前日に遠慮して未決定だった女子4人がクラスシンボルに入ったのはいいが、“着付け”(仮装)担当になっていた女子が「人数が多いから遠慮していたけど、本当はシンボルが希望だったんです」と言って次々にシンボル班へ移動。「オイオイ。着付けができなくなるよ。」と言っても「私たちの強い希望です」と言って譲らない。「着付けの担当に誰か回ってくれないか?」といっても返事はない。結局、着付け担当はクラスで孤立していた今井が一人だけ残ることになってしまった。

 

 「まずい!」と思ったその瞬間、角が前に出てきて言った。「着付けは今井さん一人じゃ出来んが。応援係はポンポンをつくるぐらいしか仕事がないから、今井さんにも応援係に入ってもらって一緒に着付けの準備もすればいいが。」角は勢いよく応援係のメンバーを説得し、みんなを納得させた。「それでいいか?今井さん。」という角に対して今井は「うん」と答えた。なんとか「危機」は乗り切れたようである。

 

 この時間、バタバタしながらも担当ごと責任者を決定し、夏休み中を含めて作業計画を決定した。責任者は店作り:青田、水車作り:清見、全体装飾:今井、竹柵作り:角、らが選ばれた。

 

3.夏休み中の動き

 店作り班は7月中に2回集まることにした。当日、店構えの作り方等、青田と打合せを行い、それを踏まえて彼を中心に進めようとするがうまく仕切れない。結局、ある程度担任が問いかけをしながら、作業を指導した。全員が竹を切ったり割ったりしながら作業の面白さは体験できたようだが、生徒自身が仕切る活動にはまだまだならない。

 

 8月中旬には角を中心に竹柵班も動きはじめる。

 ところで、わがクラスの取り組みの中ではかなり困難な作業を担当する水車班。めんどくさがり屋の清見を中心にうまくスタートするのか、正直なところ不安だった。そこで、私の知り合いで大工の小山さんに「物作りの楽しさ」など色々な話をしてもらい、動機づけをしようと考えた。清見には「大工さんの話をみんなで聞いてみようよ」と事前に話し、副担任の木村先生の協力を得て、水車班7名は小山さんの工房(山の上 岩美高から車で約20分)へ行った。小山さんは生徒たちに対して物作りの楽しさ、自分の目指す生き方など色々な話をしてくださった。

 

 この日は、小山さんに借りていた水車の「設計図」を生徒と一緒にある程度検討し持参していた。「小型のイベント用水車の図面ですが、これでやってみますか?」メンバーの意思を確認した小山さんは「そうすると、ほぞ穴を正確に作ることも必要だし、道具のそろったこの工房で作業をしませんか、」と勧めてくださった。できれば学校で作らせたいという気持ちを持っていた私は少し迷ったが、結局勧めに従って小山さんのお世話になることとなった。早速、小山さんの指示を受けて生徒たちは動きはじめる。8月20日も、24日(始業式)の午後も水車班は小山さんの工房に集合して作業を行った。

 

4.活動の主体、組織の主体に

 8月26日、水車班の作業は順調に進んでいたが、このままでは小山さんの指導のもと「仕切られる」だけの活動になりかねない。そこで、作業人数や指導目標について、電話で小山さんと話をした。

 

「おかげさまで、めんどくさがり屋が結構頑張って作業しています。清見は責任者の仕事を通して視野を広げてくれたら、と思っています。湯本は、おとなしくて人に声を掛けるのが苦手な子ですが、水車班のサブリーダーとしてしっかり周囲に声を掛けられるようになったら、と思います。」という私に対して「私も作業の指導や怪我の防止に精一杯というところがありますから」と言われた小山さんだったが、実際はしっかり二人をリーダーとして立てて、指導をしてくださった。その中で、清見も次第に水車班の責任者としてメンバーをリードするようになっていく。

 

 この日、校舎改築の関係で午後全部が作業時間にあてられることになった。水車班以外の係もようやく本格的な計画や作業をはじめていった。全体装飾の責任者だった今井にビデオ(前任校でつくられた和風喫茶)を見せたところ彼女はすぐに装飾計画を考え店全体の見取り図(案)を作成。それをもとに全体装飾担当の全員(11人)で相談した。店作り班は、保健所の届けについて青田・田沼が中心になって相談し、用紙に記入した。そのあとで買い出しに出かけ、協力して和風の店で使うイスを製作しはじめた。

 

 各係が動きだしたものの、その動きにはかなりの差がある。そのような状況の中で係ごとの作業状況や作業計画をクラス全体の前でていねいに報告させることが大切だと考え、私は室長の谷田と話をした。谷田は中国史の“マニア”で歴史上の英雄を尊敬している。「いいか谷田。お前はクラスの中で『項羽と劉邦』に出てくる韓信の役割を果たすんだ。

 

各係の責任者を全体的な立場で指導するリーダーとして  」「“兵の将”ではなく“将の将”になれということですね」「そうだ。具体的には谷田が各責任者に作業状況・作業計画について全体の前で報告させるんだ。」「わかりました」とまんざらでもなさそうな谷田。「ところで、韓信ならただ報告させるだけかな?」「いや、報告に対する評価やアドバイスをします。」「それをやるんだ。」「でも評価は先生の仕事でしょう。オレがやるとまた生意気って思われる。」「いや、仕切るのは担任じゃない。総リーダーのお前の仕事だろ。」「そりゃまあ」

 

 8月27日、クラスだよりbVを配付。そのあとで各係の取り組み・作業の状況 当日の計画・予定などについて谷田が進行し、報告をさせた。ややたどたどしかったが、彼の進行に沿ってそれぞれ責任者が報告。「2年3組の作業は他のクラスと比べて進んでいると思います。当日まで各係がしっかりと頑張ればきっといいものが出来ると思うので、虹嶺祭に向けてみんなで頑張りましょう。」各係の報告に対してこのように谷田は評価した。 以上のような「ミーティング」(報告)を終えて各係は作業に入っていった。

 

 この日、全体装飾班の8名は、土曜(休日)に石を取りにいく件でもめる。軽トラックが必要だったので、あらかじめ今井の父親に相談していた関係で担任も入ったが集合場所や日時等についてなかなか話がまとまらない。「先生にああだこうだ言うんじゃなくて、うちらで相談して決めようや」と今井。彼女と大島が中心になって相談・調整した結果、翌日(土曜)、W高校に集合する事になったとのことであった。

 

5.学校祭に向けてスパート、そして                         

 9月2日、谷田の進行で各係が作業状況を報告。谷田「うちのクラスも含めて、全体的に2年生はあまり残って作業していない。放課後、残らないなら残らないでいいけど、準備の時間中はテキパキと作業を進めていきましょう。きっと間に合うと思います。」

 

私「大きな声できちんと評価したとは思う。しかし、このままで本当に間に合うのか。店班なんかもいまの調子では間に合わないと思う。仕入れ・道具など必要なもののリストア

ップは今日中にはしておかなければならないんじゃないか  。」 

      

 その後、各係の責任者が全員集合し、打ち合わせをした後で作業に取りかかった。他のクラスがチケット販売をはじめたのにも刺激されたのか、ようやく取り組みに火がついてくる。この日は約30人が遅くまで残って準備作業を行い、完成した水車二台をかなりの人数で迎えた。

 

 それまで店に置く椅子作りの作業ばかりしていた店班も青田を中心に真剣に相談し開店に必要なものをリストアップした。ところが、この日の活動には大きな問題があった。責任者の青田に「とりあえず店に電話してよ」と交渉や注文を依頼したのはいいが、その電話中に店班の全員が帰ってしまったのである。しかし、そのような状況の中でも青田は問い合わせ・交渉を一つ一つ片づけ、仕入れ・注文のめどをつけていった。

 

 翌日、朝のSHR。私は強い調子で次のように語った。「店班の担当者が遅まきながら初めて本気で相談したこと、それは評価できる。本気で考えることで初めていろいろ大変だということがわかったはずだ。だが、青田に電話を頼んでおいて、青田が電話を始めてすぐ、何も言わずに帰ってしまったのはどういうことだ!青田は何も言わないかもしれないが、オレは言わせてもらう。実際に動いてみれば、いろいろ大変なことがある。青田だってあの後電話をして、だめだったから別のところを探す、ということを繰り返していたんだ。困ったことがあったらそれを一緒に考えて解決していくのが係じゃないのか。

 

  全体として昨日2年B組は良く頑張った。水車担当も合わせると約30人が残って色々な作業をした。学校祭全体で『良かったな』という活動を一緒に作るんだ。」 

      

 この日は、店班のメンバーも全員が7時まで残って相談し、チケットの販売や作業も進めた。前日のことについて青田に悪かったと反省したのか、報告を聞いたり色々話をしたようである。「今年は去年より楽しい。男子もみんな頑張っているし。」と細見も言っていた。

 

 4日、教室にシート,ブロック,石などを運び込み、池を作りはじめる。この時は今井が全体装飾班の構想に沿って素早く指示をだし、クラスメートの多くが協力して良く動いた。私は、店全体のデザインについて別の構想を持っており今井に提言したが、あっさりと退けられてしまった。

 

 9月6日、全体装飾班は店内装飾用の竹、ススキ等を集めてきた。店内の装飾は着々と進行。この日はクラスシンボルを完成したメンバー6人も竹細工班を手伝って竹柵を補強するなどの作業をした。(仕事が終わっても帰らず係の枠を越えて協力していた。)店の姿が出来てくると生徒も興奮してくる。しだいに出来ていく和風の店を田沼もうれしそうに見ていた。

 

ただ、一台のポンプで二台の水車がうまく回るようにすることは思ったより難しく、水車班は苦労して「仕組み」作りに取り組んでいた。数日前は「水車の組み立てが終わったらオレたちなにもやらんで」と言っていた清見だったが、この時は色々考え工夫しながら必死に作業をしていた。そして、8時半ごろには素晴らしい水車の仕組みが完成したのである。

 

 7日、文化祭当日。開店前から店班はフルメンバーで大活躍。青田も松野も田沼も一生懸命働いていた。大変慌ただしかったが、教室は「お客さん」や「見物人」で大変にぎわった。約2時間半の間であったが、店は成功のうちに閉店となった。

 

 9日、虹嶺祭に関するアンケートを実施。みんなが真面目に書いていた。

 14日、クラスの反省会(総括)は、最初に責任者が一言ずつ感想を述べた。

 「模擬店はみんなが夜遅くまで残って協力できて良かった。体育祭の応援合戦ではみんながしっかり声を出せてよかった。」「みんなでしっかり協力していいものができた。」という今井・清見発言に代表されるような意見が多かった。

 

 そして、室長の谷田が次のようにまとめた。「それぞれが与えられた役割を協力してしっかりと果たせた。特に水車班のメンバーは早い時期から遅くまで残って頑張り、いいものを作った。店班は、初めはいまいち出足が遅かったけど最後になってしっかり協力できた。今年は何よりもみんなが楽しそうにやっていたのが良かったと思う。去年の雰囲気とはずいぶん違っていた。」

 

 反省会のあとで、私は今井・田沼と話をした。私「お前の頑張りを皆が素直に認めていたよな。思うほど悪いクラスじゃないだろ」今井「まあそうだけど」「今井ももっと周りに心を開いてクラスに溶け込んだら。」「うん。」 

                 

 私「田沼、文化祭の模擬店の日はどうだった?」田沼「わりと面白かったです」「店について相談したり買い物に行ったり、当日はカウンターの外で店番がんばっていたな。アンケート結果にも出ていたよな。田沼君が頑張っていたって。」「はい」田沼はとてもうれしそうな表情をみせた。