学校祭の取り組み「水車の回る店づくり」

                     長谷川祥太朗

 はじめに

 W高校に赴任して2年目。初年度は担任としてA組を受け持ったが、今年度は別コースの2年B組を受け持つことになる。クラスには全体的におとなしく、良識的だと思える生徒が多い。だが、入学直後の校歌・応援歌練習では全くといっていいほど声が出ず、「ノリが悪く元気のないクラス」という印象であった。また昨年の学校祭では男女の協力がうまくできず、男子はほとんど動かなかったという。そのようなクラスの状況を変えていくことを目指し、HR開き当初からクラスに班を作り、各班の代表を集めてリーダー会議を何回か持った。チャンスを見ながら小宴会・集団ゲーム・バレーボール大会などの取り組みを行い、クラスの雰囲気もすこしずつ明るくなっていったが、活動自体は、ある程度担任が仕切りながら盛り上げていく、という面が強かった。

 

 そのようなクラスのトーンを高め、生徒同士の関係性を築いていく決定的なチャンスは何といっても学校祭である。生徒自身が自ら活動を“仕切り”ながら取り組みの主体になっていく機会、そして、相互関係のなかで自己形成の主体となっていく絶好の機会をぜひ生かしていきたい、と考えた。

 

1.学校祭に向けてのスタート

 

 6月24日、この日は生徒会執行部作成のビデオを見てアンケートを行うなど、クラス企画の大まかな構想を出し合うLHRだった。ステージ発表を中心に前年度の学校祭の様子、他校における学校祭の取り組み(演劇・ダンス・イベント・模擬店)などを盛り込んだ“啓発ビデオ”にまずまず生徒たちは見入っている。

 

 出張時間の迫った私はビデオ上映後、(アンケート実施に先立って)自分の見てきた色々な学校祭について語り、次のように呼びかけた。「ぜひ、ステージ発表をやろう。皆が動いて当日に向かって熱く盛り上がるその感動は他の取り組みではなかなか味わえない。去年はたくさんの模擬店で盛りあがったけど、同じような企画もいくつかあった。他のクラスと同じようなことをしても仕方がないので担任としてはステージ発表を強く勧めたい。ただ、それでもぜひ教室で模擬店をしたいということなら、その店が教室に見えないぐらい大改造をしよう。」

 

 ここまで話をしたところで私は教室を去った。その後は室長の谷田が進行。谷田の役割は、代議員会(学校祭関係)の報告をして、アンケート(ビデオの感想,クラスで取り組みたい企画について)を実施することだった。ところが、あとで聞いたところによると、谷田が報告してもクラスメートはあまり聞いていなかったと言う。「何がいいですか」といっても反応がない。そんなクラスの様子に、谷田は腹を立てて言った。「なにも希望がないなら2の3の取り組みはステージ発表でいいか!」ここで、ようやく反対意見が出て、挙手採決の結果ステージ発表はしないことになった、という。

(また、結局この日予定していたアンケートは行えなかった、とのことであった。)

 

 谷田は硬式野球部のピッチャーであるが、監督によれば「理論派」でちょっとくせがある。自分で納得できなければ監督の言うこともなかなか聞かない。面白い味を持っているが、やや“へんくつ”で短気なところがあり、クラスの女子の何人かは「すぐ切れるしちょっと変だ」という。視野を広げてクラス全体に信頼されるリーダーになることが課題だった。

 

 後日、「クラスでどんな取り組みがしたいか」という上記のアンケートを行った。クラス企画については予想どおり「模擬店」の希望が多かったが、私の訴えの効果もあってか「他のクラスがやらないようなすごい模擬店がしたい」といった意見が多く見られた。また、生徒会執行部の指導に沿って企画委員(クラスの企画案を作成する委員)を選出。室長の谷田,吉本(副室長),中谷,松野,湯本,岡島,河田が選ばれた。

 

2.企画委員とリーダーの役割りとは?

 

 7月2日、朝のSHRでクラスだよりを配付。アンケート結果については、模擬店の希望が圧倒的に多いことを確認し、「何かとんでもなく“すごい事”」「他のクラスが絶対やらない事」など多く出された意見を確認した。(議長は担任)この時、アンケート結果を踏まえて採決したところ、クラスの大まかな取り組みは模擬店に決定。

 

 その日の昼に開いた企画委員会では、アンケート結果を参考にしながら模擬店の具体的な内容について検討するが、なかなか注文どおりの企画が出ない。

 

私「担任としても一つ案を持っているんだけど」

谷田「案があるなら早く言ってよ。」

「そうはいっても企画を決めるのは生徒なんだから少しは遠慮しているんだ。」

「最終的にそれを採用するかどうか決めるのはオレたちなんだから案は出してくれればいいんだよ。」

「まあそうだな。」

私「この春“団子三兄弟”が流行ったことだし、わがクラスは団子とうどんを中心にした和風の店にしたらどうだろう。教室には池と竹の柵を作り水車を回して、とことん和風の店にするんだ。」谷田「水車って『うどんの喜むら』で回っているようなやつ? それ、いいじゃない。確かに他のクラスはやりそうにないし、スケールが大きい。」中谷「その企画いいがな。あと、女の子の好きそうな甘いものをメニューに入れたらお客もたくさん来るし…」この案に他のメンバーも賛成したので「団子とうどんを中心とする和風の店」という線で企画委員会原案をまとめた。

 

 7月6日、谷田が企画案をクラスに提案した後で、議長の私はできるかどうか、どんな準備が必要か、生徒に問いかけながら列挙し、「取り組みは大変だけど色々な注文(他のクラスが絶対にやらないことなど)を考えながら企画委員は原案を作った。どうだろうか。」と呼びかけた。そして採決の結果この企画案は賛成30名,反対0で承認された。

 

 7月8日、昼休憩に企画委員・リーダー合同会議を開き、学校祭(行事)のねらいについて話をする。「学校祭をどういう機会にしていくか、リーダーとしては是非考えてほしい。楽しく盛り上がることはもちろん大切だけど、なによりも学校祭の前と後で、クラスがどこか変わらなければ意味はない。例えば学校祭を機会に『今まで話せなかったようなクラスメートと話が出来るようになった』とか『それまで孤立気味だった人がクラスのなかに溶け込めるようになった』とか、クラスの人間関係が変わっていくことが大切だ。」ここで私はそのような意味で気になる生徒がいないかどうか問いかけた。生徒からは今井(やや“きつい”性格で女子の中では一人孤立。「このクラスは余りいいクラスじゃないよ」と年度当初私に言ってくるなど、多少被害者意識も感じられる)と田沼(中学時代に不登校の傾向あり。おとなしく友達がほとんどいない。前年度は生徒会行事のほとんどを欠席。)などの名前が出てくる。

 

 「クラスの中で誰かがポツンと一人でいるような状況はぜひ変えていきたいな」という私に対して「今井や田沼本人に問題があるんじゃないの?」「行事にも田沼自身が出てこないんだから仕方がないよ」と谷田。さらに、「出てきにくい場合もあるんだよ」という私に対して調子者の中谷が強く言った。「出てこれないって言うのはおかしい。問題はできるかどうかじゃなくてやるかどうかだよ!」

 

「おっ!一般論としては最後の一言は名言だ。確かに物事において大切なのはやるかどうかだよな。だけどそれは、クラスで本当にいい文化祭を作り上げる、ということについてもそうだろ。中学時代の経験を振り返ってみろ。クラスでいい文化祭が出来たという時は、皆が参加して一生懸命やった時だろう?そうなるように努力することが大切じゃないのか。積極的な人、おとなしい人、クラスのなかには色々な人間がいる。どう理解し合いつながっていくか。それが問題じゃないか。」勢いの良かった男子よりもこの時は女子の吉本と角が真剣に話を聞いていた。

 

 

 数日後の学校祭LHR(7月16日)には学校祭の役割分担を決めた。その構成は文化祭:店作り班・竹柵作り班・水車作り班・全体装飾班、体育祭:クラスシンボル班・着付け(仮装行列)班・鉢巻き班・応援合戦班、であった。

 クラスのメンバーは原則として全員が文化祭・体育祭両方の係をひとつずつ受け持つことにした。順番に前に出て希望の係に名前を書いていったが、女子の何人か(クラスシンボル希望)が不満を漏らした。男子ばかりが10人以上クラスシンボルの希望者として名前を書いてしまったので、人数も多くなりすぎるし入りにくいという。この日はそのメンバーも含めて数名が決まらないままに保留した。

 

 翌日、終業式後に役割分担の話し合いをした。だが、終業式後のLHRはバタバタとした雰囲気でなかなか落ちつかない。そこで、役割分担を終了したのち、各係ごとに話し合って責任者と準備作業の日程等を決めたら帰ってもよいということにした。 まず役割分担で昨日もめたクラスシンボルの件について話,「今年は生徒会の方針で体育祭のシンボルは何を作ってもいいという事になっているし、係の人数がある程度多くなってもいいんじゃないか。クラスで二つシンボルを作ってもいいんだし。」

 

 この私の言葉を受けて前日に未決定だった女子4人がクラスシンボルに入ったのはいいが、“着付け”担当になっていた女子が「人数が多いから遠慮していたけど、本当はシンボルが希望だったんです」と言って、次々にシンボルへ移動。「オイオイ。着付けができなくなるよ。」といっても「私たちの強い希望です」といって譲らない。「着付けの担当に誰か回ってくれないか?」といっても返事はない。結局、着付け担当はクラスで孤立していた今井が一人だけ残ることになってしまった。「まずい」と思ったその瞬間、角が前に出てきて言った。「着付けは今井さん一人じゃ出来んが。応援係はポンポンをつくるぐらいしか仕事がないから、今井さんにも応援係に入ってもらって一緒に着付けの準備もすればいいが。」角は勢いよく応援係のメンバーを説得し、みんなを納得させた。「それでいいか?今井さん。」という角に対して今井は「うん」と答えた。なんとか「危機」は乗り切れたようである。

 

 この時間、バタバタしながらも各担当ごとに責任者を決定し、夏休み中を含めて作業計画を決定した。責任者は店作り:青田,水車作り:清見 全体装飾:今井,竹柵作り:角,鉢巻き:吉本 応援・着付け:田原 シンボル:有本らが選ばれた。

 青田はおとなしく優柔不断で人のよいところがある。周りに声をかけながらリードしていくようなことは苦手である。清見はかなりのめんどくさがり屋であるが、「さっさと話し合いを終わって早く帰ろう」ということで立候補したようである。やや前途多難の予感があった。

 

3.夏休み中の動き

 

 店作り班は青田の都合もあって、7月中に2回集まることにした。7月21日には青田、谷田、中谷、田沼、松野、他2名が集まったが、この日は、担任が青田や参加者に問いかけながら話を進めた。相談して26日に集まって竹の調達をすることや、鋸・道具の分担などを決めたが、そのあと担任が青田と話をして、来なかった浜辺に青田が電話をかけることになった。

 

 26日は、宮本父子が切ってくれていた竹の運搬と若干の準備作業を行った。店作り班からは青田,松野,田沼,日下,草原,浜辺,竹柵班からは田原,柴が参加。竹が来るのを待っている間に、店構えの作り方等、青田と打合せをした。それを踏まえて(竹が準備できた時点で)青田を中心に進めようとするがうまく仕切れない。この日も結局、ある程度担任が問いかけをしながら、作業を指導した。全員が竹を切ったり割ったり店構えや柵を作ったりしながら作業の面白さは体験できたようだが、生徒自身が仕切る活動にはまだまだならない。

 

 8月17日、角に電話。(角や田原は8月にクラスキャンプを計画・実施しようとして失敗していた)「クラスキャンプは残念だったな。だけど『やるならみんなで』という発想は素晴らしいなあ。」「そうでしょ。」「来年はがんばろうな。7月のリーダー会議でも言ったように、こういう楽しい取り組みを通じて人間関係は変わっていく。いい意味でな。(…)きっと本当にいいクラスになる。角もいることだしな。おれは予言するよ。」「アッハッハ。」「そういえばもう一つ感動したことがある。終業式の日に着付け担当が今井一人になってヤバイと思ったとき、角の機転でうまくおさまったよな。」「だってあの時は『いけん!』って思ったんだもん。」「そこで一歩踏み出せるのが角のすばらしいところだ。オレ、感動した。」「そうでしょ。」「これからもよろしくな。ところで竹柵の班は夏休み中の作業計画は立ててなかったようだけど、店班も水車班も夏休み中に2日間は作業するようだし相談して動いてみたらどうだろう。」「うん、わかった。」(2日後に竹柵班も動きはじめる)

 

 翌18日、わがクラスの取り組みの中ではかなり困難な作業を担当する水車班であったが、めんどくさがり屋の清見を中心にうまくスタートするのか、正直なところ不安だった。そこで、私の知り合いで大工(家具作り,住まい作り)をしている小山さんに「物作りの楽しさ」など色々な話をしていただいて動機づけにしようと考えた。清見には「大工さんの話をみんなで聞いてみようよ」と事前に話し、副担任の木村先生の協力を得て、水車班7名は小山さんの工房(山の上 岩美高から車で約20分)へ行った。生徒たちに対して小山さんは、物作りの楽しさ、自分の目指す生き方,なぜこの場所に住むようになったのか、など色々な話をしてくださった。

 

 水車の「設計図」については、生徒と一緒にある程度検討し(小山さんにも事前に相談し)そのものをこの日持参していた。「小型のイベント用水車の図面ですが、これでやってみますか?」メンバーの意思を確認した小山さんは「そうすると、ほぞ穴を正確に作ることも必要だし、(道具や機械のある)この工房で作業をしませんか、」と勧めてくださった。できれば学校で作らせたいという気持ちを持っていた私は少し迷ったが、結局勧めに従って小山さんのお世話になることとなった。

 

 早速、小山さんの指示を受けて生徒たちは動きはじめる。買い出し,実物大図面の作成,そしてベニヤ板(側板用)の作図・切断。林田・板倉は側板の作図・切断を、清見・湯本・宮本・山上は角材のカンナかけ,掃除を担当した。8月20日にも、8月24日(始業式)の午後も水車班は小山さんの工房に集合して作業を行った。

 

4.活動の主体、組織の主体に

 

 その夜、青田に電話をした。「明日のLHRに向けて相談したいと思って電話したんだ。ぜひ7月の経験を生かしていきたいな。休み中、店作り班のメンバーは良く集まった。青田が電話して田沼も浜辺も来たよな。それはいいんだけど、7月に集まったときの課題は何だろう?」「…」反応がない。青田にとって大切なのは自らの課題に気づくこと、そして、それを乗り越え解決していくエネルギーだった。私は、課題を並べ説教をする前に、別の話をすることにした。

 

 「じゃあ、話を突然かえるけど、青田は夏休み中ずっとバイトしていたよな。どんな経験ができたんだ。」「お客さんといろいろ話が出来て良かったです。」「色々と気づきがあったろ。『お客さんに色々なことを伝えるときには、もじもじしていたら駄目ではっきりと話さなきゃいけないな、』とか。」「はい。」「どちらかといえばおとなしい青田にとってあのバイトは貴重な経験だったと思うんだ。その学びは色々な場面で生かしていきたいよな。」「はい。」

 

 「さて、話をもとにもどすけど、7月集まったときの課題は、青田が充分みんなを仕切れなかったことだと思う。仕切っていくためにぜひバイトの経験を生かしてほしい。態度ははっきりと。それから 皆より先を見て考えるんだ…。こんな店にしていくためにはこんな材料と作業が必要だ…とか。仕切ることは貴重な体験で自分自身が成長していくチャンスだよ。」「はい。」

 

 「ところで実は店班に気になる生徒がいるんだ。普段からポツンとしている生徒なんだけど誰だと思う?」「田沼君です。」「青田も知っているように、彼は去年ことごとく行事を休んだ。だけど今年は球技大会にも来たし、夏休みの店作りにも来た…。少しずついい傾向がでているように思うんだ。」「僕もそう思います。」「休みに入ってからも青田の電話で店班の仕事に来たというのは、声が掛かるのを待っている面があるんじゃないかな。ぜひ彼自身も変われるように関わっていこうよ。」「わかりました。」

 

 8月26日、水車班の作業は順調に進んでいたが、このままでは小山さんの指導のもと「仕切られる」だけの活動になりかねない。そこで、作業人数や指導目標について、電話で小山さんと話をした。

 

「おかげさまで、めんどくさがり屋が結構頑張って作業しています。清見には責任者の仕事を通して視野を広げてくれたら、と思っています。湯本は、いつも仲良しグループと一緒に動いているような生徒ですが、このたびは水車作りに興味があって仲良しグループ以外のメンバーと一緒に作業をしています。おとなしくて人に声を掛けるのが苦手な子ですが、水車班のサブリーダーとしてしっかり周囲に声を掛けられるようになったら、と思います。二人ともリーダーとして成長してくれたら…」という私に対して「私も作業の指導や怪我の防止に精一杯というところがありますから」と言われた小山さんだったが、実際はしっかりと清見・湯本をリーダーとして立てて、指導をしてくださった。その中で、清見も次第にリーダーとしての意識を持ち、責任者として行動するようになっていく。

 

 この日、校舎改築の関係で午後全部が作業時間にあてられることになった。水車班以外の係もようやく本格的な計画や・作業をはじめていった。

 全体装飾の責任者だった今井にビデオ(前任校でつくられた和風喫茶)を見せたところ今井はすぐに装飾計画を考え店全体の見取り図(案)を作成。それをもとに全体装飾担当の全員(11人)で相談した。

 

 店作り班は、保健所の届けについて青田・田沼が中心になって松野・中谷・谷田と一緒に相談し、用紙に記入した。そのあとで買い出しに出かけ、和風の店で使うイスを協力して作成。作業の中心になっていたのは、松野・中谷・谷田ら。日下・草原・浜辺は、竹を組んで店構えを作りはじめている。

 

 この日、竹細工班は角,柴,田原を中心に竹を割りはじめ、鉢巻き班は数人で買い物に行って布を入手、水車班は小山さんの工房に行って、4時間びっしり作業した。 各係が動きだしたものの、その動きにはかなりの差がある。そのような状況の中で係(担当)ごとの作業状況や作業計画をクラス全体の前でていねいに報告させることが大切だと考え、私は室長の谷田と話をした。谷田は中国史の“マニア”で歴史上の英雄を尊敬している。「いいか谷田。お前はクラスの中で『項羽と劉邦』に出てくる 韓信の役割を果たすんだ。各係の責任者を全体的な立場で指導するリーダーとして…」

 

「“兵の将”ではなく“将の将”になれということですね」「そうだ。具体的には谷田が各責任者に作業状況・作業計画について全体の前で報告させるんだ。」「わかりました」とまんざらでもなさそうな谷田。「ところで、韓信ならただ報告させるだけかな?」「いや、報告に対する評価やアドバイスをします。」「それをやるんだ。」「でも評価は先生の仕事でしょう。オレがやるとまた生意気いってって思われる。」「いや、仕切るのは担任じゃない。総リーダーのお前の仕事だろ。」

 

 8月27日、クラスだよりbVを配付した。(内容は学校祭に向けての夏休み中の活動・26日の活動)そのあとで各係の取り組み・作業の状況 当日の計画・予定などについて谷田が進行し、報告をさせた。ややたどたどしかったが、彼の進行に沿ってそれぞれ責任者は報告した。「2年3組の作業は他のクラスと比べて進んでいると思います。当日まで各係がしっかりと頑張ればきっといいものが出来ると思うので、虹嶺祭に向けてみんなで頑張りましょう。」各係の報告に対してこのように谷田は評価した。

 

  以上のような「ミーティング」(報告)を終えて各係は作業をはじめたのである。水車班はいつもの工房に行って集中して作業。小山さんの話では「のみこみ・要領がよくなった。明日には組み立てに入れるかもしれない。」ということだった。

 

 作業終了後、水車班を集合させて、分担して進めている作業の進行状況を報告させた。清見は「たいぎい。なんでそんなことをせんといけんだ。(クラスでの報告も含めて)みんなが余り聞いていないし意味がない。」という。私「大切なことだから言っておく。ここにいるメンバーは『水車を作ってみたい』という自分自身の興味でこの係を選んだ。それはいい。だけど、それをクラス全体の取り組みにつなげていくことが大切じゃないか。水車もその中で生かされるような和風の店作りが全体の取り組みだろ。それぞれの係の仕事がかみあって『いい店』ができる。全体に目を向けながら互いに状況を報告し合うことはやっぱり大切だ。水車班の取り組みは他の係に先行しているし、報告することで全体の刺激にもなるだろ。」

 

 この日、全体装飾班の8名は、土曜(休日)に石を取りにいく件でもめた。軽トラックが必要だったので、あらかじめ今井のお父さんにお願いしていた関係で担任も入ったが、集合場所・日時等についてなかなか話がまとまらない。「先生にああだこうだ言うんじゃなくて、うちらで相談して決めようや」と今井。彼女と大島が中心になって相談・調整した結果、翌日(土曜)、W高校に集合することにしたとのことであった。

 

 30日、各係の報告・計画を谷田を中心に進めるが、ややダラダラしていた。その後、ほとんどの係がLHRの時間(7限)だけを使って作業。だが、水車班は必要な材料の加工を完了し、時間をかけて組み立ての作業をすすめ、しだいに形を完成させていった。

 

5.学校祭に向けてスパート

 

 9月1日、7限(LHR)での作業は順調に進むが、いまだ取り組みに火はついていない。放課後残って作業していたのは水車班とクラスシンボル班のみ。「2年3組はなかなか難しいクラスですね。」職員室で思わずグチのでる私であった。

 

 翌2日、谷田の進行で各係が作業状況を報告。谷田「うちのクラスも含めて、全体的に2年生はあまり残って作業していない。放課後、残らないなら残らないでいいけど、準備の時間中はテキパキと作業を進めていきましょう。きっと間に合うと思います。」私「大きな声できちんと評価したとは思う。しかし、このままで本当に間に合うのか。この点では厳しい評価も必要じゃないか。店班なんかも椅子を作ってばかりいて─いまの調子では間に合わないと思う。仕入れ・道具など必要なもののリストアップは今日中にはしておかなければならないんじゃないか…。」   

       

 その後、各係の責任者が全員集合し、打ち合わせをした後で作業に取りかかった。他のクラスがチケット販売をはじめたのにも刺激されたのか、ようやく取り組みに火がついてくる。この日は約30人が遅くまで残って準備作業を行い、完成した水車をかなりの人数で迎えた。(夜7:30)

 

 それまで店に置く椅子作りの作業ばかりしていた店班も青田を中心に真剣に相談し開店に必要なものをリストアップした。ところが、この日の活動には大きな問題があった。責任者の青田に「とりあえず店に電話してよ」と交渉や注文を依頼したのはいいが、その電話中に店班の全員が帰ってしまったのである。「みんなひどいよ。青田君がかわいそうだ」と細見。しかし、そのような状況の中でも青田は(苦手分野の)問い合わせ・交渉を一つ一つ片づけ、仕入れ・注文のめどをつけていった。

 

 翌日、朝のSHR。私は強い調子で次のように語った。「店班の担当者が遅まきながら初めて本気で相談したこと、それは評価できる。本気で考えることで初めていろいろ大変だということがわかったはずだ。仕入れも道具の調達も一つ一つ…。だが、青田に電話を頼んでおいて、青田が電話を始めてすぐ、何も言わずに帰ってしまったのはどういうことだ!青田は何も言わないかもしれないが、オレは言わせてもらう。実際に動いてみれば、いろいろ大変なことがある。青田だってあの後電話をして、だめだったから別のところを探す、ということを繰り返していたんだ。困ったことがあったらそれを一緒に考えて解決していくのが係じゃないのか。

 

 …きっとメンバーも分かってくれると思うから言っているんだ。全体としては昨日2の3は良く頑張った。水車担当も合わせると約30人が残って色々な作業をした。…学校祭全体で『良かったな』という活動を一緒に作るんだ。」谷田・松野などは真剣に聞いていた。

 

 この日は、店班のメンバーも全員が7時まで残って相談し、チケットの販売や作業も進めた。前日のことについて青田に悪かったと反省したのか、報告を聞いたり色々話をしたようである。「今年は去年より楽しい。男子もみんな頑張っているし。」と細見も言っていた。

 

 4日、教室にシート,ブロック,石などを運び込み、池を作りはじめる。この時は今井が全体装飾班の構想に沿って素早く指示をだし、橋口や柴をはじめクラスメートの多くが協力して良く動いた。担任は、店全体のデザインについて別の構想を持っており今井に提言したが、あっさりと退けられてしまった。

 池を作ってから、清見を中心に水車を回すための滝づくりをはじめたが、なかなかうまくいかない。「水車を2台も作ったのはいいが、どうすれば両方回せるのか…」 

 

 私としてもそのことは気掛かりだったが、うまくいかなくてすっかり疲れてしまった。

 そんなわけで担任は元気がなかったが、松野が、明日「集まったほうがいいんじゃないの?」というので店班の男子は日曜に集合することになった。

 

 6日、全体装飾班は木村先生の車に乗って店内装飾用の竹,ススキ等を集めてきた。

店内の装飾は着々と進行。この日はクラスシンボルを完成したメンバー6人も竹細工班を手伝って竹柵を補強するなどの作業をした。(自分の担当の仕事が完成したからと言って早々に帰る者はなく係の枠を越えて協力していた。)店の姿が出来てくると生徒も興奮してくる。しだいに出来ていく和風の店を田沼もうれしそうに見ていた。

 

 店班は買い物から帰ってきて最終打合せ(クーラーボックス,大鍋等の準備について)を行っていた。だが、準備が遅れていたためいくつかのものはそろわない。彼らは足りないものについて担任に相談してきた。「自分たちで解決しよう。去年もみんな自分たちでやったんだろ。」という私に対して「先生は水車につきっ切りじゃない」と細見が抗議する一幕もあった。結局、係のメンバーが職員室に残っていた先生方に頼み込んだりして何とか解決していったのであるが、確かに細見の言うとおり私はかなりの時間全体装飾班と水車班の作業を見ながら声を掛けていた。

 

 実際、一台のポンプで二台の水車がうまく回るようにすることは思ったより難しく、水車班は苦労して「仕組み」作りに取り組んでいた。めんどくさがりやの倉田が「一台は置物になってもいいじゃないか」と言ったが、「それはダメだ」と清見はさえぎる。中心になって水車作りを進めてきた清見は、できあがった水車に愛着を持っているようだった。数日前は「水車の組み立てが終わったらオレたちなにもやらんで」と言っていた彼だったが、この時は色々考え工夫しながら必死に作業をしていた。

 

 6割がた“仕組み”ができた時点で私は水車から離れ、店班・全体装飾班の作業や買い物に付き合った。そして、8時半ごろ帰ってみると素晴らしい水車の仕組みが完成していたのである。(数日前に私が「水車を回す構想はあるのか?」と聞いた時、「ないよ」とそっけなく答えていた清見だったが、直前の土曜日には“うどんの喜むら”まで行って水車を回す仕組みを研究していたのだそうである。)

 

 「ついさっき水車が完成して、水車班のメンバーは帰ったよ。倉田君も頑張っていたし、リーダーの清見君は汗をかきながらものすごく真剣に作っていた。」「ほんとうに男子を見直した。清見君には惚れたわ。」と細見。

 

 全体装飾班・店班はさらに遅くまで残って、うどん・そば作りの「実験」をした。

 

6.当日、そして“振り返り”

 

 7日、文化祭当日。団子の担当(女子)は朝早くから学校へ来て、みたらし団子を作っていた。開店前から店班はフルメンバーで大活躍。青田も松野も田沼も一生懸命働いていた。大変慌ただしかったが、教室は「お客さん」や「見物人」で大変にぎわった。約2時間半の間であったが、店は成功のうちに閉店となった。

 

 2年3組の「和風の店」は、大量のブロック・石・砂利などを教室に運び込んだため始末が大変だったが、この日は6時半まで全員が残って後片付けをやった。(5時から約30分間は、翌日の「縦割り応援合戦」の練習をした)

 

 翌日、体育祭で2年3組の生徒はクラス対抗リレー等、一生懸命競技・応援した。(もっとも、ムカデ競走,大縄跳び,3人4脚などは時間をとって練習できなかったため振るわなかったが─。)ただ、ここで特筆すべきは縦割り応援合戦で3組が優勝したことである。練習では今一つだった2年3組の生徒も本番では大きな声を出して頑張っていた。そして最後に、学校全体として盛り上がっていた後夜祭の成績発表の中で、2年3組は模擬店部門の最優秀賞を獲得し、男子リレーも全校で3位の表彰状を受け取った。

 9日、虹嶺祭に関するアンケートを実施。みんなが真面目に書いていた。

 

 14日、クラスの反省会(総括)は、最初に責任者が一言ずつ感想を述べた。

「模擬店はみんなが夜遅くまで残って協力できて良かった。体育祭の応援合戦ではみんながしっかり声を出せてよかった。」「みんなでしっかり協力していいものができた。」という今井・清見発言に代表されるような意見が多かった。

 そして、室長の谷田が次のようにまとめた。「それぞれが与えられた役割を協力してしっかりと果たせた。特に水車班のメンバーは(早い時期から)遅くまで残って頑張りいいものを作った。店班は、初めはいまいち出足が遅かったけど最後になってしっかり協力できた。今年は何よりもみんなが楽しそうにやっていたのが良かったと思う。去年の雰囲気とはずいぶん違っていた。」

 

 今井の感想

「和風の店は大成功▽ 応援合戦も良かった▽ 練習のときは、声が出なくて残念だったけど、当日(本番)には1位をとれたのですっごく頑張った甲斐があるって思った。チアの人、クラスのみんな Thank You」

 ある生徒の感想「普段はここまで協力とかあまりしないけど、去年の虹嶺祭と比べると今年は本当に協力できていたので3組もやればできるんだな、と思った。来年も頑張って盛り上げたいです。」

 

 クラスに対して実施したアンケートの「特に頑張っていた人」の項目には次のような記述があった。(主なもの)「今井さん 全体装飾の案などを考え、準備でみんなに指示を出していたところ」「応援合戦で今井さんが頑張っていた」「柴さんは準備のときに自分の担当もちゃんとして、鉢巻きなど自分の担当でないのに手伝ってくれてすごいと思いました。細見さんも頑張っていたと思います」「清見君を中心に水車班は夜遅くまで頑張っていた」「吉本さん」「角さん」「全員…」「文化祭2日目の模擬店で店班の人が頑張っていた、中谷君,松野君,湯本君,青田君,谷田君,田沼君…」田沼にとっては認められる貴重な体験だったと思われる。  

        

 今井と話「お前の頑張りを皆が素直に認めていたよな。思うほど悪いクラスじゃないだろ」「まあそうだけど…」「お前ももっと周りに心を開いてクラスに溶け込めよ」

 

 田沼と話「文化祭の模擬店の日はどうだった?」「わりと面白かったです」「店班の一員として相談したり買い物に行ったり、当日はカウンターの外で店番がんばっていたな。アンケート結果にも出てたよな。田沼君が頑張っていたって。」「はい。」田沼はとてもうれしそうな表情をみせた。

 

7.その後のクラス

 

  学校祭後の新しい班編成に向けてリーダー会議を開催。そこで前置きの話をする。

「いいクラスになるよう引っ張っていくのがリーダーだ。そのようなリーダーにとって大切な力は何だろう?」谷田「統率力。」吉本「人の心をつかむ力。」私「それはみんな大切な力だけど、そのほかにもある。それは、クラス(集団)を分析する力だ。クラスのなかで今、どんないい傾向が出てきているのか。課題は何なのか…。」

 

 「クラスのメンバーをながめて全体として把握する力ですね」と谷田。「そうだ。」これを受けて、クラスにどんないい傾向が出てきているのか、何が不充分なのか、クラスがより良くなっていくにはどんな班替えがいいのかということを話し合った。

 

 学校祭を通じて生まれたいい傾向としては、「ある程度仲良しグループの枠をこえて協力できた、」「男子ががんばったので見直した、」「楽しんでしっかり活動できた、」等が出され、活動を通じて変わってきた個人についても発言が出された。「今井さんもずいぶん変わったと思う、」「田沼君も活躍して元気になったような気がする、」等。「谷田も室長として広い視野でクラスを引っ張れるようになったよな。」という私に対して「本当にそう思う!」と吉本。「いや〜。やっぱり?」と谷田。

 

 「でもなぁ、うまくいったことばかりじゃない。今でも結構仲良しグループはハッキリしているし、今井も田沼も充分クラスに溶け込んでいるとはいえないだろ。そんなクラスをもっと良くしていくような班替えを考えてほしいんだ。」吉本「そうするとくじ引きで機械的に決めるのはだめだよね。どの人はどの人と一緒にしたほうがいいか考えて班分けをしないと…。」このような話し合いの結果、新しくリーダーの立候補を募ってそのメンバーが班分けをすることにしよう、という話になり、その日の終礼でリーダー立候補の「告示」をした。

 

 そして、いくらかの曲折はあったが細見・柴・久田・青田・松野・湯本の6人が立候補。(この日に先立って、立候補者が足りないので青田に声をかけたところ、実にあっさりと了解してくれた。)そして、新しい班編成を決めるリーダー会議ではクラスの課題を確認し、仲良しグループの枠を越えた交流を生み出す方向で班編成を進めた。その結果、田沼は青田班、今井は柴・橋口班(橋口は学校祭で今井の活躍を評価していた)のメンバーとなった。リーダーなりにバランスのとれた班編成をしたように思われる。

 

 その後、今井・田沼はクラスの中に一定の居場所を見つけたようである。日常のクラスには大きな変化はなかったが、年度当初からすると結構にぎやかになった。ブラジルからの(ホームステイの)留学生リエを受け入れて一ヵ月間一緒に過ごし、大々的にお別れパーティをしたこともいい体験になったようである。

 

 3年生になってから田原は生徒会長に当選し、このクラスのメンバー7名(細見・柴・久田・橋口ら)が新たに生徒会執行部に入った。HR担任を外れた今、学校祭に

  向けてこのクラスがどんな動きをしてくれるか、ひそかに期待している私であるが…。