私学における学校づくりと生活指導運動

                             長野 U高校

1、        私たちにとって学校づくりとは何か

 

(・・・前略・・・)

 

 今日の高枚教育の実践情況から私が特に強調したいのは「力」の問題である。

 非行も赤い髪も、高い偏差値を求める親の欲求も、形を変えた発達や自立・生活向上への欲求(表出)であると捉えることは高生研の本領である。欲求を、実現の見通しのある要求に変えていく、その実践の感動を通して教師間の団結を育て、生徒・父母や多くの国民との共同・連帯を広げてゆくこと、その力で学枚の在り方そのものを変え、学校を規定している力を変えて行くための広範な統一を実現して行くという複眼的なものの見方こそ私たちの実践のエネルギーである。実践をささえる力は正しい方法論と職場での信頼関係、職場の力(その中心にあるのは鍛えられた労働組合)と父母との連携、そして、学校を取り巻く様々な健全な勢力との共同協力の力。こうした力を自らが要となって実践に結集させ、統一的に発展させる視点を確かにすることがいま私たちに強く求められている。

 

2、        その学校の生徒の発達段階に応える学校を(本校の学校づくり実践から)

 

NHK放送の「翼をください」の反響は大きかった。数百通の投書があった。「生きていく勇気が湧いた」という中年女性の感想もあった。「自分たちの活動が人に生きる勇気を与えることができるなんてすごい生き方だね」と、ドラマを見た後生徒に話した。そして、「この中の多くのエピソードは君たちの先輩たちが築き上げてきたものだ」と話した。このドラマは青年劇場もすでに500回以上の公演をこなしている。

 

 ドラマの内容として取り上げてもらった子どもたちの学枚再生の闘いは今も記憶に新しい。当時、本校はここ長野の一地方都市の7つの高校のうちの、その地区のただ一つの私立高校、同時に最底辺を担う学校として生徒も教師も共に屈辱の日々を送っていた。「差別・選別体制」と呼ばれるシステムの中で、ゆくところが無いと思い込まされて集まってきた生徒たちに教師たちはなかなか夢を持たせることはできず学枚は荒れた。第一次生徒減も重なって、1000余人有った生徒数は数年で600を切った。学校の存続は危機的な情況にあった。)

 

 学校存続をかけて教師たちがようやく結束し、「一糸乱れぬ教職員の取り組みが教育力」などを合い言葉に枚門指導などいくつかの実践をはじめたものの、力で押さえる傾向の強かった指導は子どもたちの心に届かず「荒れ」は潜在化し、学校はついに地域全体に大きなショックを与える「集団リンチ事件」に見舞われることになった。

 

 この「集団リンチ事件」では被害者は重傷、関わった生徒7人は逮捕されるという大事件で、学校(もちろん教師たちも)はマスコミ・社会から厳しく批判されたが、私達には「生徒の心に響く指導でなければ指導にならないこと、そして企業主義的学校づくりからいってもこの点を抜きにしての学校づくりはありえないこと」を強烈にわからせてくれた契機として重大な出来事であった。ここから教師と生徒の誇りを賭けた学校づくりの挑戦が始まった。

 

 リンチ事件を「差別に苦しむもがき」と捉えた。だとすれば子どもたちの心の中に彼等の求めてやまない「誇り」を生徒の現実に合わせてどのように築きだすことができるのか。

 

 リンチ事件の分析で「集団解体」の情況が明らかになってくる中で、本格的な「クラスづくり」の必要性をようやく私達は考えるようになっていった。「クラスを作る」などという発想はそれまでの私達にはほとんどなかったが、以後、「クラスづくり」のために行事の組み替えが行なわれ、ほとんどの行事がそのために配置しなおされていった。

 

どのクラスにも「班長会」や「運営委員会」が置かれ、「ルーム長会」が組織された。これらを基礎として「赤点学級」、「無違反の修学旅行」などが取り組まれた。

 

 「おれたちの学園祭は誰も見に来てくんねえ」という声や「この学枚に中でどんなに頑張っても駄目なんです」と泣く生徒たちを前に、「それなら地域全体があっと驚く1万人の学園祭を作れ!」と子どもたちを励まし、共にその一点に誇りを賭けて全力を傾けた時代であった。学園祭のフィナーレ、後夜祭に何年かぶりに生徒がグランドいっぱいに残りダンスを踊り、生徒会長や役員が泣いた日、本当に私達も泣いた。

 

 「泣いて別れられる卒業式を」などという学年会目標を真剣に議論したのも「荒れて蹴散らされた」痛みが痛切だったからである。生徒と教師たちのこうした努力が、「誇りを胸に」というタイトルで20回連続地元紙に紹介された時、すぐ隣の進学校の生徒から次のような投書が届いた。

 

 「私は皆さんの学校のすぐそばの通称『進学校』と呼ばれ高校をこの3月卒業した看です。その日から連載された皆さんの学枚の記録をいま私は歯噛みする思いで読んでいます。皆さんの高校生活こそ本当の高校生活です。頑張ってください」

 5月の生徒総会の最後に生徒会長が読んだこのハガキを全校生が静まり返って聞いたときから、この学校は学枚づくりの中心に「誇り」を掲げる学校となった。

 

 私達はこれらの実践を通して、ようやく「生徒の発達要求に応える学校」を作るイメージを捉まえはじめていった。

 本校経営者が新たな学校づくりとして、「特進、情報、スポーツ」を導入してきた。私達は職場の組合として「国民のための私学」を目指す観点から導入にいたる過程では原則的に反対する立場を貫いたが、決定は経営者に任せ、私達は自分たちのさらなる学校づくりを次のように確認しあった。

 

 「いい生徒が来ることを期待して“目を上に”向け、今までの学校づくりを手放してはならない。目の前にいる生徒たちの発達保障にこそ全力をあげ、生徒の自己変革のドラマを支援し、その感動を環として父母との連帯を強める。そのようにして父母、地域に信頼される学校を作っていこう。それこそがどんな嵐でも乗り越えられる学校づくりである」

 

 そして、具体的に次の5点を学校づくりの中心に据えた。

 

@「HRづくり」を中心に据える。

 ※共感と励ましで自主・自立の集団を育てる。そのため「HRはそだてるもの」という観点をもち続け、行事を重視する。

A全校集団づくりを更に協力に進める。

 ※そのために新たな条件(進学コースやスポーツ特奨に集まってくる新たな力など)を積極的に生かしてゆく。自立は集団や個人の誇りから生まれてくる。全校集団の発展と誇りの構築こそ自立・自律の根拠である。

B「権利としての自治」を発展させる。

 ※本当の自治と誇りは生徒たちが世界に主体的に、真正面から立ち向かう中で育まれる。

C地域の教育力をいかす。

 ※子どもたちのために教育ネットワークを作る。

D授業改革を進める。

 ※授業は子どもたちが世界に自律的に立ち向かう認識の根拠である。その教科、教える内容が現実の生活にどう繋がるか、授業が立体的か、生徒の主体的参加の機会を作っているか等の観点で授業をつくりかえるなどである。

 

 以後一〇年、私達は「企業主義的学校づくり」に対して機械的な対応は戒めつつ、一致できるところは積極的に共同しながら企業主義が「生徒の発達を中心に据える学校づくり」に大きな障害になるときには職場の力を結集して果敢に聞いつつ、この5点を土台に「生徒の発達要求に応える」学校を目指してさまざまな実践を積み重ねてきた。主な取り組みをあげると次の通りである。

 

 @どのクラスにも班長会(または運営委員会)が置かれ、クラスづくりの進めやすいように組み替えられた行事に向かって取り組みが重ねられた。学年のリーダー集団を育てるために各クラス3名からなる「正副ルーム長会」が設置され、ルーム長会主導の学年行事が1年次から何回か組まれた。

 

行事に取り組むごとに各クラス段階ではクラス作りの基礎的な訓練が、学年レベルではリーダーの発見・育成が、全校では自治能力の発展と「権利としての自治」への挑戦がはかられた。民間教育の研究成果がHR実践の段階に旺盛に持ち込まれた。

「学年会が実践の切り込み部隊!」が合い言葉となり、それは学年段階に広がっていった。一つの学年が飛躍するとそれは3〜4年のスパンで学校を飛躍させることになった。

 

 A新たに設置された進学・情報コースやスポーツ特奨で入学してきた生徒の力を全校に開放し、今までにないスケールと質をもつ全校集団づくりに挑戦させていった。学園祭の質は徐々に高まり本校の学校文化はすこしずつ豊かになった。伝統が教育力を発揮するようになった。学園祭のクラス企画で、近年、本校生のステージ発表ではダンスへの挑戦が多い。若者文化の変化でもあるが、それにしてもかつての本牧では想像も出来なかった解放された姿である。これは明らかに、8年前の学園祭ステージを一気に変えた進学コース(8組)のステージダンスの伝統的教育力である。

 

 8組の力を「進学」に閉じこめるのではなく全枚集団を活性化させるために生かす−そうした見通しの中で誇りを築きだすために挑戦されたこのクラス全員によるステージダンスの取り組みは、U高文化をそれまでの教師主導から完全に生徒の主体的創造に転換させる契機・ターニングポイントとなったが、その経過と結果を学級内に起こったドラマを交えて地元の有線テレビが編集してくれたビデオ・「僕達の時代」(小林有也編)は、コンプレックスを乗り越え新たな誇りを生み出す生徒たちの闘いを極めて感動的に描いており、以後、本校生に大きな影響を与え続けるものとなった。

 

いま、特別のコースに限らず全ての生徒たちがこの誇りを共有し、これを自分たちの新たな挑戦のスプリングボードとしていることを確認するとき、私達はU高に流れこむ新たな力をさらに生かし、さらに大きな全校集団の挑戦を考えていきたいと話し合っている。

 

 B「権利としての自治」を発展させる観点からは主に三つの実践をあげたい。

一つは、「禁止踏み切りを通学路にかえる」という自由拡大の取り組みである。正式には駅から学校まで.15分かかる通学路。禁止されている近道を利用すると8分という現実。幅90センチの作業道で、加えてオイルターミナルの入れ替え線が交差する禁止踏み切り危険度が高いためJR関係 (当時)から厳重に禁止され続けてきた踏み切り。しかし、観光により通行が許されている地元の人びとの存在と便利さから、毎朝多くの生徒が通行し駅とのトラブルが絶えない。

 

「西高生通るべからず」の駅側の立看板に対して生徒会は全校生をまとめ、踏み切り通行の自主的ルールを確立し、それを条件に駅側と交渉を重ね、自分たちが踏み切り指導を徹底させることを条件にJR側に踏み切り通過を認めさせ、さらに学枚・PTAと共に交渉を発展させて、将来の“跨線橋”建設と駅前開発、通学路整備の展望までつなげた取り組みは全枚集団が「世界に向かい世界を変えた」自治本来の闘いとして重要であった。

 

 この取り組みは現在さらに発展し、生徒会は「D−プロジェクト」(ドリーム・ステーション・パーク・プロジェクト)を発足させ、上田市長との交渉、地元自治会との共同など多面的に活動を組織し、自由横断道路と駅前広場を早期に完成させること、その広場づくり活動に西高生の意志を反映させる権利を要求し、学校ぐるみ地域づくりに参加していく活動に広げつつある。

 

 もう一つは「全校タバコ討議」の実践である。駅、通学路、校内を問わず散乱するタバコの吸い殻。地域から寄せられる苦情の山。いたちごっこの喫煙と処分の繰り返し。きわめて悪化していく地域の評価。こうした現実を「現実を変え自分たちへの評価を変え、誇りを取り戻す自治の実践」と位置付けて全校で3カ月をかけて取り組んだタバコ討議は、生徒たちを喫煙をめぐって2つに分裂させ、泣きながら討議を進めるクラスの出現に見られるように幾つかの価値争奪のドラマを生みだした。各クラス決議が廊下に張り出され、全校のタバコ追放決議が採択されて再び全校は統一する。駅からも地域からも学校からも以後3年間全くタバコは姿を消し、地域の評価は一変する。このようにして彼らは再び自らの誇りを取り戻し、自治を前進させたのであった。この取り組みも「世界に向かい世界を変えた」生徒集団の自治の闘いとして私達は確かな手応えを感じている。 

 

 三つには「三者懇」の取り組みである。三年前、一つの学年の取り組みとして発足した生徒・父母・教職員の学年内での懇話会を翌年から全校の取り組みに発展させた。二年目の総括で、「話し合いに結果が返されてこなければ話し合う意味がない」という要求を受け入れ、三年目からは「分科会において、三者で取り上げることに合意できた案についてはこれを職員会にあげて審議し、三者懇に返してさらに生徒からの要求があれば、その事項について協議会を持つ」ことを職員会が承認し、その結果、本年度からは学内協議会が設置され生徒の学校運営への参加が一部ではあるが開かれつつある。

 

 三者の代表で構成する実行委員会では先に行なわれた懇話会の、各分科会からあげられてきた8分野、20余の項目について合意事項として確認する協議が行なわれたが、対等に渡り合う生徒の姿が印象的であった。

 

 学校づくりの前進 〜クラス替え〜 

 3年前、私たちの学年会はよく議論してクラス替え構想を職員会に提起した。県内では「三年持ち上がり」が一般的だったから生徒、父母、教師の三者三様に強い抵抗感があった。学年会はクラス替えの目的を次のようにまとめて全体の合意を求めた。

 

1 生徒にとってのクラス替え

 

@ 入学時の慌ただしい時間と空間の中で、「学校によって一方的に与えられた人間関係」に固定され、三年間を過ごさざるをえない情況を解除し、人間関係を意識化して、「作り出す努力・訓練」をくぐらせ、希薄化著しい人間関係を創造しなおして行く力を育てる。

 

A 目を、クラスから学年や学校全体に聞かせて行く。(人間関係と一年次のクラス毎の経験が全クラスに撹拌されてゆくから、人的、内容的に目が学年に広がっていくはず)⇒生徒の視野の拡大

 

 2 教師にとってのクラス替え

@学級王国、「生徒の抱え込み」を乗り越えて学年全体で生徒全体を育てていく観点の獲得。

Aどのクラスに入っても同じ「西高の教育」を受けられる状態を作る。「クラスの所属によってまったく違う学校」という情況を克服する。

 

 何回かの議論を経て了承された構想は、入学式のあと新入生と父母に伝達された。一年次の学年行事はほとんどがクラス替えを念頭に置いたものとなった。秋からクラス替えに向かって生徒、父母との本格的な話し合いが続けられた。クラスごとによくまとまった生徒たちは反対の論陣をはった。学年集会での話し合い、公開質問状、全員署名も取り組まれた。討論が進む中でリーダー集団のなかに徐々に理解が浸透し始め学年の世論は大きく変化し、最終的にはルーム長会・各クラス賛成、アンケート賛成80%以上の情況で実行に移した。

 

一年後、ほとんどの生徒がアンケートに「良かった」と答えており、次の学年もクラス替えを決定している。改革論議の過程で父母からもたくさんの要求が出され、(たとえばどのクラスも学級通信を出してほしいなど)「クラスの所属によって違う学校」という情況は改善されつつある。このクラス替えを土台にして、「平和と民主主義を希求することの出来る生徒」に向かってスケールの大きな実践を学年会として確認しあっている。

 

 以上簡単に本校の学校づくりの総括をしてみた。この間、経営者側から進学、スポーツ重視の経営方針から企業主義的な傾向が強く持ち込まれるなど幾つかのトラブルももちろんあったが、基本に返り基本に返りしつつ職場の合意を広げそれを克服し、「生徒の発達要求に応える学校」を模索し続けてきた。新しく加わった、スポーツ部門の全県・全国規模での活躍という要素もあり、それらとこうした学校づくりの努力とが相侯って、いま本校は、過疎・生徒減の現実の中で経営的問題も含めてよく健闘していると考えている。

(・・・後略・・・)

 

〔コメント〕

 

 U高校の「学校づくり」の実践は、同時に学校・子どもたち・教職員が「人間としての誇りと尊厳を回復していく取り組みから始まりました。深いところで「子どもたちの発達課題・発達欲求」をくみ上げ、それを実現していく「学校づくり」であるといえるでしょう。その根底には「人としての誇りを回復したい」という子どもたちの願いと、それを可能にするような「学校」をつくっていこう、という教職員集団の強い思いがあったと考えられます。

 

 この取り組みの中で注目できる点は数多くありますが、「経営側によって新たに設置された進学・情報コースやスポーツ特奨で入学してきた生徒の力を全校に開放し、今までにないスケールと質をもつ全校集団づくりに挑戦させていった」という点も注目に値すると私は考えています。しょうのブログ

 

 単に「進学実績をあげる」「スポーツ大会の入賞者を増やす」(これはこれで大切だともいえますが)だけでなく、そのような生徒たちのエネルギーを活かしながら、「子どもたちの全面的な発達課題」に応えるような「学校づくり」を進めている、という点です。

 

いま、「夜スペシャル」が話題になっています。それは、「公立学校と私立学校との“学校間格差”を埋めていく一つの取り組み」であるといえるでしょう。ただ、(手続きや進め方等、さまざま指摘されている問題に加えて根本的に)「誇りを持って“平和的な国家・社会の形成”を実現していくような個人を育てていくような学校づくり」にどのようにつなげていくのか、ということが重要な視点であると考えます。取り組みを進める中で、私学との進学実績競争そのものが目的化され、校内における格差の意識(これは「誇り」を踏みつけにしかねない要因)を深刻化させていくような事態を「本来の学校づくり」の方向へ乗り越えていくことが大切なのではないでしょうか。

 

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