M君への手紙    1996年 

 

 先日、吉本隆明を擁護するあなたの主張の中心は、だいたい以下のように理解した。

 

「啓蒙的な“知識人”やジャーナリストの大部分は、一方では大衆を“しっかりした見識を持たない存在”として見下しながら、他方では自分自身の客観的な判断力を過信するという強い傾向を持っているが、そのような姿勢は根本的に傲慢でいかがわしいものだ。そのようなジャーナリストや“知識人”と比較すれば、自分自身の具体的生活に根ざしてものを考える大衆のほうがはるかに健全な感覚を持っている。」

 

 議論の最後のところで言ったように、主張したい趣旨はだいたい分かったし、上記のような視点は以前「組合の執行委員」をつとめ、現在「人権教育」や「社会問題研究部」の活動を推進している自分自身にとって大変重要であることも理解できる。

 

 そしてまた、自分自身を傲慢な「評論家」「啓蒙者」の位置に置かないためにも、大衆の健全さに目を向けたほうがいいということも、良く分かる。実際、各種の研修会を通じて民間企業の社員,経営者,主婦,学生など色々な人と接する貴重な機会を得て感じたのも、それぞれ一人ひとりの健全さだった。

 

 しかしながら、話を聞きながら、「“健全な大衆”と“傲慢な啓蒙者・評論家”という対立を余りにも単純に図式化しすぎているのではないか、」という印象を受けたことも否めない。事実、自分自身、住民運動や高校の募集停止問題などの関係で、複数名の新聞記者と時間をかけて話をしたこともあるが、その時に感じたのはむしろ、事実から学んでいこうという謙虚さだったように思う。

 

それぞれの仕事・立場のなかで具体的な体験があり、人間関係があり、学びがあるわけで、人間をそう単純に図式化・分類できるものではない。むしろ、自ら大衆の立場にあることを自称し、特定の人たちを“傲慢な啓蒙者”の枠組みのなかに押し込めて叩く、といった姿勢のなかには、なにか「危険」なものを感じる。

 

思うに、新聞記者や「評論家」のメッセージも一つの問題提起として受け止め、彼らの立場も一つの立場として認める、というのが平均的な大衆の意識ではないか。

 

 また、具体的な現実を少しでも変えていこうという実践的な立場からすると「啓蒙」的な活動や言説も必要ではないかと思う。例えば、中海の淡水化に関して米子市では「住民投票条例」が成立し、最終的な結論は直接民主主義で決めることになった。この条例の成立は全国的にも画期的なものと言われているが、それは決して自然発生的にできたわけではなく、何人かの実行委員による学習会の「呼びかけ」や、市民を対象とした「情報宣伝活動」をぬきにしては、成立しなかったものだ。

 

 それぞれの個人が直接経験できないことがら・情報を具体的なデーターとして(例えば、過去において干拓・淡水化した霞ヶ浦の実態など)示すとともに、全面淡水化に踏み切ることの危険性を一つの問題提起として市民に投げかけることは、住民投票条例成立に必要な条件だった、といえる。

 

 大切なことは、知識人・ジャーナリスト・評論家の陥りやすい危険性を指摘する事(あるいは認識すること)であって、「呼びかけ」「問題提起」そのものを全面否定することではない、と思うのだがどうだろうか。

 

 同様に、大衆の性格についても、一面的に見るのではなく、その「健全さ」と「陥りやすい傾向」を両面から見ることが必要であるように思う。(当然、それは自分自身の持つ両面でもあるだろう)

 

 マスコミや教育が時にはとんでもない情報操作を行うことがあるわけだが、それに対して大衆が必ずしも健全な批判精神を発揮するわけではない、ということは一つの歴史的教訓だろう。(戦時中のナチスドイツや大日本国帝国下の国民,前天皇が重体に陥った際、その異常な報道に対して各地で起こった自粛騒動など、幾つも例はある)

 

 自分としては、3年前の衆議院議員選挙(日本新党・新生党・自民党の「改革推進派」が大勝した)においても、マスコミによる世論操作が大きく国民に影響していたと思う。そして、その結果成立した非自民連立政権の性格にも大きな問題があったと考えている。従って、この時の選挙結果をもって、大衆の健全さの根拠とすることについては、今でも賛成できない。

 

 また、先日の議論のなかで55年体制の話も出たが、いわば「55年体制=時代後れ」という考え方の中にもマスコミによる世論操作の影響があるのではないかと思っている。

(マスコミは上記の図式を明確な根拠・論証ぬきで繰り返し流しつづけた) 

 

保守(自民)に対抗する革新(社共)という構図は、1970年代、(公害反対運動のもり上がりも一つの背景としつつ)社共を中心とする革新勢力の共闘→革新自治体の成立、という望ましい形へと進んでいったと思う。

 

 現在でも、社共の共闘→革新統一候補の県知事当選を勝ち取っている唯一の自治体は沖縄県である。太田知事が県民の支持を得た革新統一首長であることと、基地問題に対する沖縄県の毅然たる態度は決して無関係ではないだろう。諸情勢のなかで極めて困難になっているとはいえ、このような共闘の姿は決して時代後れではなく、困難を押してでも目指していくべきだと思われる。

 

 もし仮に、知事が自民党員か新進党員であったならば(そして与党が多数派であったならば)あのような一丸となった運動はおそらく不可能だっただろう。そして、自分としては、太田知事を当選させ、彼を支える議員が多数派をしめる沖縄県の現状に「健全さ」を感じ、逆に自民党と新進党が大多数をしめる国会の現状に対して「不健全さ」を感じないではいられない。

 

 戦後補償の問題にせよ、自衛隊の海外派兵にせよ、米軍への協力にせよ、有事立法の問題にせよ、政治の中央集権化の問題にせよ、歴史に対する反省のない形で政策を進めようとしてきたのが今の自民党と新進党だ、と考えるからだ。

 

 もし仮に、自民党と新進党との「保保連合」が成立し、小選挙区制が実施されようものなら、上記の政策に関する批判勢力が、国会内で極めて少数派にならざるをえない。「保保連合」という最悪の事態だけは回避したいと思う。幸い、自民党内には、「反小沢勢力」が多いので、小沢氏が新進党の中心にいるかぎり簡単には「保保連合」は実現しそうにない。小沢氏にはぜひとも継続して、新進党の中心人物として頑張ってもらいたいと思っている。

 

 追伸

 

 もっとも、以上のような自民党や新進党に対する評価は、当然一つの面(戦後補償や「集団安保」に関する姿勢)からみた「片寄った」評価でしかないわけで、別の面(生活や経済)から見れば、それらの党が多くの人々に評価されてきたのも分かる。

そして、一人ひとりにとって生活そのものをいちばん大切にしたい、というのも当然だろう。(自分を含めて)

 

 ただ、われわれにとって大切なのは、具体的生活体験を大切にして、そこに根ざした発想をしていくと同時に、「別の視点」から体験そのものを問いなおしていくことではないか、と思われる。その点において、たとえばルソー,サルトル,竹内芳郎らの理論的(あるいは歴史的)問題提起は一つの提起として意味があるのではないか。

 

 「侵略した国の人々は、勇気を持って自らの過ちを認め、真剣にそれを償っていくことで、はじめて自らを解放できるのです、」と訴えたワイツゼッカー大統領を支持しつづけたドイツ国民は、“歴史的責任”という観点から体験をとらえなおし、それを行動として表現できた点で、「歴史に対する反省なき多くの代議士」を選びつづけてきた我々よりも“健全”であると思うのだが、どうだろうか。

 

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