高校生が地域とともに取り組む「夢の駅前公園計画」 D−pro

                                  (人物名は全て仮名です)

U高校の学びと自治の最前線・D−proとは何か

 

「D−pro」とは本校生徒たちがつくる「夢の駅前公演計画」のプロジェクトチームである。「全校の生徒と地域の人々が一緒になってU駅南口通路及び駅前公園開発に携わりその早期実現を目指す」目的で生徒有志によって二〇〇〇年四月に結成された。

 しなの鉄道・U駅は、国鉄民営化で第三セクターに移された旧信越線の、U市の西の外れにある小さな駅である。利用者の七〇%は本校生であるが、改札口が北側にあり、鉄道の南側・千曲川の流れに沿って建つU高校に至るには、左右に大回りして踏切を渡り一五分をかけねばならない。

 

 駅のプラットホームの脇に、慣例で地元の人々だけが通れる幅九〇センチの小さな踏み切りがあるのだが、警報機のみで遮断機なし、おまけに貨物の引込線が交差していて危険なため、本校がここに移転するとき「生徒の通行禁止」が条件となっていて、だからここを通るわけにはいかない。しかし、生徒たちにとって「ここを通れば学校まで八分」という魅力はあらがいがたい。朝、遅刻すれすれの時間帯にはなおさらで、どんなに禁止されようとこの踏み切りに押し寄せる。結果、駅側とのトラブルは多発し、とうとう「U高生通るべからず」という立て札まで立てられることとなる。

 こうした情況を解決するため、数年前、生徒会が取り組み、駅側と交渉して「人間遮断機」(毎日生徒会役員が登下校時に踏み切りに立って警報機が鳴ると校旗を振る)を実行する約束と引き替えに、ようやくこの踏み切りを公式に通行する自由を得た。しかし、八分で登校できるようにはなったものの、狭い踏み切りとその先の未舗装の工場裏の路地を毎朝七〇〇人あまりの生徒が密集して通る状態は異常であり、その先の、タンクローリーが頻繁に行き交う道路を横断する危険性とも合わせて、早急に解決しなければならない課題となっていた。

            

 一方、本校はこの二十余年、「U高祭」をはじめとする行事を学校づくりの中心に位置付け、「教育としての自治」を追求してきた経緯を持つ。

 クラスづくりを進める観点から行事の見直しがはかられ、リーダー集団として全クラスに班長会(運営委月会)が、学年ごとにルーム長会が置かれて、活発にクラスづくりが進められてきた。

 クラスづくりを背景に、生徒会活動も活性化し、「タバコ追放運動」「生活たてなおし運動」「禁止踏み切り通行の自由を」「学内三者懇話会と三者協議会の設立」など、多くの実践を生み出してきた。

 しかし、ここ一〜二年、指導が内向きになって校内活動のマンネリ化が進み、生徒たちにある種の退嬰的な雰囲気が広がる感があった。少なくない教師たちが「教育としての自治」を発展させ「権利としての自治」に結びつけていかなければという危機感を感じはじめていた。

 

 さらに、「本当の学び」に遠い授業風景が広がりはじめていた。学びそのものに背を向け、受験や競争といった圧力ではほとんど反応しなくなっている生徒たちの姿もかなり目につきはじめていた。「生徒たちが目を輝かす本当の学びとはなにか」を正面から考え、授業改革の方向を実践的に切り開かなければならなかった。職場にじわじわと広がりはじめている理事会の「東大・甲子園路線」の波に説得力をもって対応してゆくためには、実践的な展望の提示が必要なのだ。

 講演会や校内の学習会などから、この問題解決のキーワードは「参加」ではないかと私たちは感じはじめていた。

「参加させ、大人として扱い、高校生を18歳で市民に育てる」レベルの実践の構想を私たちは考え続けた。

           

 U市としなの鉄道に対して、地元自治会も私たち西高職員や理事会もかねてより「跨線橋架設・南口建設要求」を続けてきていた。駅の反対側、オイルターミナルが火災で移転した跡地を上田市が買収したという情報は、このような情況を抱えていた私たちに「地域づくりに参加する高校生の自主活動」という仮説を想定させる絶好の機会となった。

 

夢の駅前公園をつくろう!(D−proの誕生)

 

 二〇〇〇年四月、U市の予算議会に合わせて陳情を急ぐ必要があった。生徒たちにプロジェクトの結成を急いで呼びかけることとなった。「高校生を地域づくりに参加させる実践」を構想していた私たちは、生徒会の役月たち、特に会長の町田や校風委月長の宮坂を中心に何人かの生徒に「構想」を打診していた。反応は概ね良好で、あとは具体化の適当な契機だけが必要だった。

 

 学校ではちょうど開校四〇周年記念事業が取り組まれていた。たまたま私が事務局長を引き受けていた。私は事業計画の一環として、「通学路の整備」を原案に加え、理事長も加わる記念事業推進委月会と職員会に説明し、了承を得た。指導体制の構成もこの段階で了承を得た。教師側顧問として生徒会顧問一名、校風委月会顧問一名、希望者二名、それに私を加えて計五人が指導に当たることとなった。希望者の二名枠については公募したあと個別の説得で応じてもらった。

 校風委月会指導の島本先生を責任者とする指導体制ができた。過去の「禁止踏み切り通行可」の取り組みは、校風委月会(各クラス副ルーム長によって構成される)によって行われた経緯があった。そこで、私たちは、校風委員会の宮坂麻子を中心に校風委月会の有志と一般会月の希望者を集めプロジェクトを立ち上げることとした。

 結成に先立ってまず市長に陳情することとなった。四月一四日に、とりあえず生徒会三役、校風委員三名、教師三名で次の内容の陳情を行った。生徒会の名前で陳情する点については従来の経過もあり、本部段階での了承でいいと考えた。「機関には事後承諾を求めればよい」ということで、ともかく出発した。

 

要望書

 

 U駅の自由通路および駅前公園の早期実現を要望します。現在U高生のうち三分の二以上の生徒がU駅を利用しています。

◎今の通学路で不便な点

一 U駅から大回りして学校まで行くため通学時間が一五分かかってしまう。

二 通学路途中の道路、歩道が整備されていないため危険が伴う。

三 古屋敷踏み切りに遮断機がないため、生徒が通学路として利用するには大変危険である。

四 通学路が工場裏ということで裏道を利用していること。

 以上の不便な点が解決されることにより大幅に通学時間の短縮が可能になるほか危険性も少なくなります。自由通路計画について、地域の方々およびU高生全員が早期実現を願っています。それに伴い、駅前公園の計画に、利用者の多くであるU高生の意見を反映してもらいたいです。

 

             生徒会長 町田浩太郎

 

 生徒の陳情にU市長は丁寧に対応してくれた。生徒たちは会場に通学路の大きな地図を持ち込み、大回りの実情や危険箇所について真剣に訴えた。市長や建設課長から対等に扱われたことが、生徒たちを高揚させているようであった。

 四月二一日の結成集会には生徒会三役にも参加してもらい、宮坂麻子を委員長として出発することを確認した。ネーミングについては、生徒たちがさんざん考えた挙げ句、生徒会副会長の島崎の発案で「ドリーム・ステーションパーク・プロジェクト、夢の駅前公園計画」(D−pro)と決定した。「夢=ドリーム」が彼らの気分にピッタリと合っているようであった。会月の募集と五月一九日の生徒総会対策が話し合われた。

 

 回答     U市長 

 

 平素は市政運営にご協力頂きありがとうございます。また、先日はU駅自由通路および南側駅広場につきまして貴重なご意見をたまわり重ねて御礼申し上げます。

 さて、現在U高校生の利用している古屋敷踏切は危険性が高いため、地元からも自由通路早期実現が要望されております。U市では本年度に自由通路の基本計画を行ない早期の建設に努めてまいりますのでご理解をお願いいたします。また、駅前広場の検討も合わせて行ないますのでU校生の意見もお寄せいただければ幸いです。

 五月一九日の生徒総会で経過が説明され、承認を得て、いよいよD−pro は本格的に活動を開始することとなった。

 

新鮮! 活発に活動はじまる!

 

 総会のあとさっそくメンバー募集が始まった。

D−pro結成!

 今の通学路、皆さんは満足しているでしょうか! 遮断機のない踏み切り、舗装されていない工場裏の道、大回りのため時間もかかりとても危険です。そのため何年も前からU駅に南口をつくり、広場、自由通路をつくってほしい!という声がありました。そして地域の方々、先生たちの協力のおかげで着工のメドがつきました。そこでこの開発のためにできたプロジェクトチーム、それがD−pro です。D−pro DDreamStationParkの略で、夢のつまった駅と公園をみんなの手でつくっていこうー・そういう思いがこめられています。……生徒の意見を少しでも多く反映させるため、生徒の協力がもっと必要です。D−proメンバーを大募集します。こんなすごいプロジェクト一緒にやりたいというあなた! まっています! 

 

 メンバー募集に応じて約三〇人のメンバーが集まった。一〜二年生もかなり参加していた。週一回、木曜日の放課後が定例活動日とされた。全体は総務の他にアンケート調査、地域担当班、広場研究班、広報班の四班に分かれ、一斉に活動が開始された。その活動をまとめると次のようになる。

@実態調査…駅の利用者実態、時間帯別利用者数調査、近隣駅の跨線橋の実情・特徴調査と写真掲示、近隣道路の交通量調査、危険箇所チェック、街灯数調査など

A地元自治会長(三自治会)との連携づくりと協力要請、自由通路に対する住民の要求調査(一六〇〇戸アンケートと分析)、聞き取り調査など

BU市建設課へ、進捗情況や手続き問題で再三訪問を繰り返した。また、地元市全議員を訪問し、市の対応や地元の実情など相談にのってもらった。市の職月、市会議早自治会長さんなど多くの皆さんがそれぞれの立場から「生徒を育てる方向」で接してくれていることがわかった。

 

 皆の知恵で広場のモデルをつくれ!

 

 自由通路と駅前広場のモデルづくりが始まった。地元と全校生のアンケート分析をもとに、ボランティアで参加してくれた一級建築士の協力を得、バリアフリー化、地元地域・高校生の交流の広場・憩いの場、トイレ、ゴミ、樹木、花壇、駐車場、駐輪場、ギャラリーなどを埋め込んだモデルが追求された。できた試作品を九月に行われた学園祭で発表し、市の建設課にも招待状を出し見てもらった。市民・父母・マスコミ・専門家・市職月からの次のような反響が生徒たちを喜ばせた。

 

・自由通路から南口公園へのアプローチを単純で潤いのあるものにしてほしい。公園から学校までを花のあるロードにしたらどうでしょう。通学路が楽しいものになるでしょう。(新聞記者)

・感動しました。早期実現に向けて頑張ってください。(保護者)

・このプロジェクトを考えてゆくことによって地域のことはもとより、より自分たちの行動というものを考えてゆくことになるのだと思います。(保護者)

・地域の声にもあるように、マナーが悪く迷惑な施設と言われないように生徒の皆さんの努力も望みたいと思います。参考になりました。(市建設課職員)

・生きたお金の使い方など、地域の声にもありましたが、生徒のため、ではなく、皆のために。それには時間と知恵が必要です。(一般参加者)

 

 2に続く