高校生が地域とともに取り組む「夢の駅前公園計画」 D−pro 2

 

 

 生きた学習にわくわく!

 

 学習活動も進んだ。行く先々で彼らは問題にさらされた。例えば「皆さんはどんな権利があってこの要求をすることができるか」と聞かれてこたえられず、子どもの権利条約や地方自治の勉強をしはじめたり、自治会を通して市に要請していくシステムを自治会長さんから学んだり、生きた学習は新鮮であった。近くの大学の町づくりを専門とするN教授を再三訪ね、行政の仕組みや地域づくりの先進例を教えてもらった。七月に入って学校に招いて有志で「N先生を囲む自主ゼミ」を行って学習もした。各県の「高校生ネットワーク」等との連絡もとりはじめた。私たち顧問はアポイントの方法までは教え、あとはすべて生徒が自分たちで切り開くやり方に徹した。

 

*「高校生への応援歌」(N教授のHPより)

 ……話はそれでおしまいだと思っていた。ところが、一か月後に、今度は先生抜きで10人近くの生徒が研究室に報告にやってきた。全校生向けのデザイン画アンケートを行い、自治会長にもインタービューを申し込み、地域向けアンケートも実施することになったというのだ。こちらとしては、すごいね、そして面白いねと繰り返す以外になかった。

そして、プロジェクトチームのメンバーは30人程いるのだが、まだまだ意識のずれがあるので、一度高校にきて、このプロジェクトの意義についてメンバーに話をしてもらえないかと頼まれた。もちろん断る理由はなかった。以来、ほぼ毎月、こちらが忘れかける頃になると連絡が入り、連れ立って研究室に報告にくるということが繰り返された。

 

 自治活動とつながる

 

 全校への広報活動も活発に展開された。「Dニュース」が発行され、全校に活動内容が紹介された。全校生にかかわる活動の局面では、評議委員会にD−pro として提案が行われた。審議・可決されると全校運動に連動するというように、機関との関係も整備された。全校決議や全クラス決議はこの方法で幾度も全校に展開されていった。

 市議会でもこの間題が取り上げられた。高校生が地域の問題に参加していく点についての市長の次のような議会答弁に、生徒たちはおおいに励まされた。

 「U高の生徒の皆さんが自主的にプロジェクトチームを作って、U駅周辺の整備計画について計画段階から自分たちも参画して、市にも要望をしていきたい、こんなお話でございまして、このような自主的な、自主的に自分たちで何かやろうという、こういうことは大変すばらしいことでございまして、少年のなかにもこんなグループ、一面があるのだなとほっとし、また、嬉しく思うところであります」

 また、建設課長の次の発言もあった。「本年度は基本計画を行いまして、来年度以降実施計画等早期建設を行うため、地元自治会、しなの鉄道、またU高生とも協議し、進めてまいりたいと考えております」

 

 モデルが完成した!

 

 九月二八日、設計士のNさんの協力でついに広場のモデル案が完成した。地域や全校からの要望が一杯つまった設計図であった。生徒は市長陳情をかねて建設課にこの案を提出した。主な要望内容は次の通りであった。

・21世紀型の「環境との共生」を目指したやすらぎの広場とすること

・トイレ整備、時計、ゴミ箱、街灯、公衆電話・広報ボードの設置

・バリアフリー化

 ・地下式防火水槽、駐車場駐輪場、喫煙所設置など。後の管理に協力する旨もそえている。市長と建設課からの回答は次の通りであった。

・要望したからには、その後の管理(芝生など)は地域でする等の声がほしい。

・駅は学校と地元三地区だけのものではない。全市的な観点ももってほしい。

・モデルは非常に参考になった。11月末までに正式に原案を学校と地元に提示する。              (建設課)

 

 地域から突き付けられたことは

 

 秋に行った「三者合同会議」(三自治会長・生徒代表・学校)では、経過をめぐって厳しい意見も出された。

・「広場問題を前面にだすと自由通路が延期されるのではないか」

・「この運動は生徒さんだけでやっているのではない」

・「会社で言えば従業員がなんと言おうと社長が会社を代表する。この学校では理事長や校長がどう言っているのか」などの意見が何人かの自治会役員から出された。

 「行政にかかわるという点でまだまだ私たちの考えは甘いなと感じた。行政に参画するうえで責任も負わなければならないことも再認識できた」と反省する生徒もいた。具体的に街灯問題なども話され、さっそく、実現したものもあったが、初めての「冷たい風」に落ち込んだ者もいた。

 同じころ、理事会からも生徒の活動にストップをかける動きがあった。顧問会では、「教育活動の一環である」ことを強調して理事会を説得した。

 さらにもう一つの問題が浮かび上がってきた。「自由通路をつくるならE踏み切りは閉鎖する」、これがしなの鉄道の原則だという。自由通路はU高生にとっては確かに便利である。しかし、踏み切り閉鎖によって、ごく少数ではあっても不便になる地元の既得権を持つ人々が、U高生のために果たしてE踏み切りの閉鎖を了解してくれるだろうか。地元の区民集会が近づく中、Dproメンバーは考え込んでしまった。「こんなに通学態度が悪い高校生のために協力なんかできない」と言われてしまえばおしまいなのだ。

 地域担当班はじかに聞き込み調査に入った。批判的な声が確かにたくさんある。その報告をふまえて、自分たちはさっそく、独自に「通学路のゴミ集め活動」をはじめながら、Dproは生徒会に「全校決議運動」を提起した。自分たちが変わらないで自分たちの都合だけ実現しようとするやり方は理解を得られない。自分たちの通学態度を見直す運動をして理解を得よう、と。評議員会の採決を経て全クラスに全校決議運動の討議が呼びかけられた。各クラスで一つずつ通学態度の改善を決議し、模造紙に書いて廊下に張り出すことが要請された。「Dニュース」でも檄が飛んだ。

 「こんなのめんどくさい。どうせ口だけでおわるじゃんけ。無理無理。こんな声をいろんなとこで聞きました。確かに捉え方によってはそうかも知れません。でも、皆さん、よく考えてみてください。学校も先生も生徒もそんなスグに変わるわけない!それでも少しでも良くしようと思ったら、自分たちの夢見る明るいU高校を心の中で描き続けて自分たちにできることをやるしかない。すごくめんどうくさいかもしれない。だけど、自分たちがいたU高があるから将来のU高がある。そういってもらえたらオーケー。これはみんなのなかにある夢に描くU高校への第一歩なんだ!」

12月末までに、全クラスが決議を張り出した。

 

 大人として対等に発言した!(第一回説明会)

 

 二月、市側による「U駅前広場建設説明会」が本校会議室において実施され、熱い討論が行われた。集まったのはDproメンバーを先頭に、生徒会役員、学校長や本校職員理事長、地元の自治会役員と市会議早そして建設当事者の上田市建設課職員など約六〇人であった。建設課の職員が駅前広場と自由往来通路の設計図を黒板に貼り、説明をはじめた。自治体が公共事業の設計を事前に公表するのはめずらしいといわれる。まして、「皆さんのご意見を聞いてさらに改善したい」とは。説明が終わると、生徒たちが設計図に自分たちの意見がどのくらい反映されたかという観点から一斉に発言を求める。

・「駐車場がなぜ44台も必要なのですか」

・「21世紀は環境の時代です。緑の部分をもっと増やしてほしいのですが」

・「地域の交流広場として、芝生をもっと増やしてもらえませんか」

・「地域の小学生の安全対策はどうなっていますか」などの意見が次々にだされた。

 地元参加者からも、

・「自動車の乗り入れが激しくなる。道路の整備はどうなるのか」

・「民間の駐車場をどう考えているか」

などの意見がだされる。市の職員が、だされた疑問に丁寧に答えてくれる。大人たちの議論が駐車場問題に集中する中で、Dproメンバーからは環境や交流の問題が多くだされ、注目された。

 説明会は建設課職員の「今日の皆さんの意見をさらに検討させていただく」という挨拶で終わった。説明会を企画し、大人たちと対等に討論に参加できた生徒たちの明るい顔が印象的であった。参加した職員が、次のような感想を寄せてくれた。

 「三者がお互いを尊重しあい、丁寧に心をこめて話し合っていたことが何よりも心に残りました。……それにしてもDproメンバーの落ち着いた進行や話し合い全体をリードしてゆく態度、裏方に徹した生徒会役員たち、そうした当夜のU高生全体に感動しました。今までの実際の活動が、一人一人の力になり、不可能に見えた現実が可能な方向にきしみをたてて動きだしてゆく。その弾みが確実についた。そういう印象の会でした。それをつくったのは紛れもないあなたがたU高生です。『オレたちの卒業後にできることなど関係ない!』という声が聞こえる中で、見事にそういった負の考えを乗り越えた皆さんの行動力は素晴らしいの一語につきます。前進を心から応援します」

 

一年間の生徒たちの成長が、はっきりと見えた集会であった。

 

一期生が得たもの(卒業

 

 Dpro第一期生は、卒業に際して自分たちの総括を残した。その中で絵括責任者・宮坂麻子は自分について次のように書いている。

 「私たちが地域社会を知ることにはどんな意味があるのだろうか。Dproでの私の大きな発見の中に、『社会は変えられる』というのがある。一見、大それたことのように思えるが、一つ一つをよく考えてみると、それは、一人ひとりの思いが形になり変化したものであり、それが大きな何かへとつづいているのだと思う。ただ、現実を変化させるためには、自分が何をしたらいいかその方法を知っていなければならない。(そうでなければ)社会に対して無知である自分を情けなく思うに違いない。私がこう考えるようになったのはつい最近のことで、それは、紛れもなくDproのおかげである。……私はこの先、社会に対して不満をもったら、思い切って一歩を踏み出してみようと思う。そして同じように、地域社会の中で生きていく仲間たちにも、少しずつでいいからそういうことを考えてみてほしいと思う私がいる。そんな自分であることを私は誇りに思う」

 

 地域担当の丸林も次のように書いた。

 「DとはDREAMDだ。このドリームで私たちは動いている。だが、夢と現実は時に対立する。私たちの活動は成功と失敗、表裏一体なのだ。そもそも高校生がなぜ自分たちの使う駅のことに参画できないのか、その疑問から私たちのプロジェクトは出発した。いまや高校生は学校の中だけに閉じこもって勉強するのではなく、私たちが社会に対して感じていることを積極的に訴えていくべきである。大人と子どもの境目で大人の社会を勉強することは大切なことである。私は地域の方々の意見を聴きながら、自分が子どもであると感じたり、そのような意識は違うのでは、と疑ったり、社会全体にささえられている自分を確認できたりした。Dproは、私にさまざまな発見と自分の考えを発表するすばらしさ、本音で意見が言い合える友達を与えてくれた」

 こうした声はこの総括集にあふれている。

 「子どもが主体性を発揮し、その主体性に対して大人が応答的かつ可変的であるという関係のなかにおいてこそ、子どもが人間として成長発達しうるのだというのが子どもの発達に関する事実学の二〇世紀終了段階での到達点である」(世取山洋介『関係的子どもの権利論』)という。この声の中に、参加しつつ限りなく発展していく若いエネルギーとやわらかな知性の可能性を、私たちははっきりと見ることができる。

 

 交流イベント大成功! (目指すのは緑の広場)

 

 先輩や仲間たちと相談の上、立候補で校風委月長になっていたメンバーの山下麻木が二年目の稔責任者となった。二年目の最大の課題は、間近に迫った基本計画の本決定に自分たちの要求をどのくらい反映させるか、ということであった。三月、市議会でU市長は駅前広場について次のように答弁していた。

 「U駅につきましては、利用者の安全確保と利便性の向上を図るため南北自由通路及び南口広場整備等の基本計画を進めてまいりましたが、U高校の生徒さんや地元の皆さんなど関係する皆様方のご意見をいただきながら実施計画を進め、早期建設に努めてまいりたいと思います」

 四月九日、地元自治会の関係者と一緒にU市長に陳情を行ったあと、Dproの定例会議では、今後早期実現と実施計画に高校生の意見をどのように反映させていくかについての討議が行われた。そして、「交流の広場」の実績をつくりだしその事実を背景に交渉を進める、として七月七日、七夕に合わせて「南口広場交流イベント」を実施することを決定した。

 場所は広場建設予定の草原である。地域、企業、地元の小中学校、保護者に実行委月会への参加を呼びかけた。「ベント合同会議」を開くため、山下たちは連日走り回った企画書は次の通りであった。

 

交流イベント企画

・目的・地域、西高生ともに南口通路の実施、広場早期実現に関しての認識を深める。

   ・地域住民、企業、小学校、中学校などとの交流を図りより密接な関係をつくってゆく。

   ・今後の広場利用のモデルとして認めてもらう。

                      南口通路の充実、広場の早期実現を、地域の方々とともに市にアピールする。

・スローガン 「目指すのは緑の多い広場」

・日時 平成13年7月7日(土)13時〜15時30分

・場所 南口広場建設予定地

内答・模擬店、各団体の出し物、子ども対象のゲームコーナー、パネルディスカッション「こんな広場がいいな」、全員合唱など

 

 四月末の企画案づくりの段階から、山下やサブリーダーの堀口を先頭に、メンバーたちは地域の宮下自治会長や関係する企業、小中学校に足繁く通った。大人たちがたくさんの知恵を出し、メンバーの生徒たちはたくさんのことを学んでいった。イベントの盛り上げ方、屋台や模擬店のつくり方、野外舞台用の二トンの大型トラックの借り方、草刈りの仕方、杭の打ち方などの大人の知恵は限りなく彼らを育てた。

 最終打ち合せの合同会議も終わった六月二一日以後、問題点として明らかになってきたのは「イベントが本校生にあまり浸透していないのではないか」という心配であった。相談した結果、生徒会評議委員会の開催を要求し、そこで生徒会として次の二点を取り組む決定を求めることになった。

・生徒会として、全校生に参加を呼びかける。

・全クラスに全員分の七夕用の短冊を配り、駅に対する願いを書いてもらう。(七夕飾り)

 緊急評議委員会が開かれ、そして、この提案は可決された。さらに彼らは個別にサッカー部、チアリーダーなどに働きかけ、参加者を増やしていった。

 当日は快晴に恵まれ、絶好のイベント日和となった。地域の子どもやお年寄り、小学生、中学生、父母、学校関係者や地元の役員たち、報道関係者、高校生など、およそ三〇〇人を集めてイベントは成功した。メインのパネルディスカッションでは、参加した市の建設課職員が、「これだけのイベントを成功させられたら、こちらも駐車場のことばかり言っていられない」と発言し、柏手に包まれる場面もあった。

 集会は大成功であった。閉会宣言をした山下たちは抱き合って泣いた。地元の新聞が大きく報道してくれ、高校生のアピールはさらに広がっていった。

 イベント成功のために力を貸してくださった宮下自治会長は、高校生たちを「学校の教室やグランドでは決して学ぶことができないことを実際の体験の中でさまざまに吸収して、新しい社会に向かって旅立ちをする若者に心から柏手を贈ります」と言って励ましてくれた。

 

3に続く