教育評価 『教育評価』(P.55〜80までの要約)

                        

第3章 教育評価論の位相と展開

 アメリカにおける「目標に準拠した評価」に対する代表的な批判を紹介・整理し、「目標に準拠した評価」の課題を明らかにする

 

第1節   「目標に準拠した評価」への異議申し立て

(1)「羅生門的アプローチ」からの批判

a)「工学」と「羅生門」の対比

Q 工学的アプローチとは?

A 教師の意図的な教育計画・「行動目標」に基づいた教材精選・配列による

合理的な授業づくりを追求

意図…子どもを一定の目標に到達させること

そのために、教材の精選・配列による授業の合理的な組織化を重視

Q そこで実施される評価論は? 

A「目標に準拠した評価」

Q 羅生門的アプローチとは?

A 一般的な目標のもとに創造的で「即興を重視する」授業を追求

意図…子どもたちの能動的で多面的な学習活動を展開すること

 そのために、創造的な授業を展開する教師の養成を重視

Q そこで実施される評価論は? 

A「目標にとらわれない評価」

  子どもと教師・教材との「出会い」から生まれる学習の価値をさまざま

な視点から解釈(その様相が映画「羅生門」と重なるのでこのように命名)

○羅生門・・・対立する複数の視点から同じ出来事を全く違う風に回想し、真実がどうだったのか観客を混乱させるという手法が用いられた。ある殺人事件・・・。1951(昭和26年)のヴェネツィア国際映画祭グランプリを受賞。

 

b)ゴール・フリー評価

@「目標に基づく評価」への批判(スクリヴァン)

 教育実践に対する「羅生門的アプローチ」の基礎理論 ポイントは?

「目標に基づく評価」は、「目標」からはみ出すような活動つまり「思わぬ結果」を見過ごすことになりやすい。自分が設定した「目標」=立場にとらわれて、事態を全面的に把握できなくなる危険が生じる。  

A「ゴール・フリー評価」の主張 

ゴール・フリー評価…「目標のない評価」ではなく「目標にとらわれない評価」

Q 重視されるべき評価は? A 「総括的評価」

Q 形成的評価と総括的評価とは?

「形成的評価」・・・活動のさなかで活動の改善のために行われる評価。

例)料理人が「目標となる味」を目指してスープの味見・評価をする

「総括的評価」・・・目標にとらわれず活動の「できばえ」を確認する評価

例)お客さんがスープを味わって満足いくものであるかどうかを評価する

 

B「ゴール・フリー評価」の方略

「目標に基づく評価」と「ゴール・フリー評価」は二者拓一か? 否

「ゴール・フリー評価」の効用は?

「目標に基づく評価」が陥りやすい料理人=商品管理者=教師の判断の絶対化や主観化を問い直し、教育評価のパワーを更新していくためにも有効 

 

Q その効用を活かすために大切なことは?

A プログラムの効果に関係する人々が積極的に評価行為に参加すること

  スティックホルダー=利害関係者(学校でいえばまず子どもたち)

子どもたちも評価の主体に 教育のあり方に転換をもたらす契機にも・・・

Q 他のスティックホルダー=利害関係者とは? 

A1 職場の同僚 ⇒ 学級の中に閉じられた評価のあり方をひらく

A2 保護者や地域の住民 ⇒ 担任・学校という立場から見た子どもに対する評価という枠組みを相対化

(教師たちが見たこともない子どもたちの姿が報告される可能性が開かれる)

 

c)教育鑑識眼と教育批評

@「行動目標」批判(芸術教育の領域で活躍したアイスナー)

 「行動目標の設定」=「身につけるべき行動や能力を事前に明示すること」には問題がある(到達目標に向けての科学的・技術工学的方法も批判)

例)絵を描く教育(学習)活動

その活動の過程で予想外の行動や成果が生まれる。新奇で創造的な反応こそが創造的な描画、創造的な学習につながる。(事前に測定可能な用語で教育目標を記述することは不可能。仮にできたとしても創造的学習にはならない。)

 

A教育目標の拡張

アイスナーは「行動目標」を否定したのか? 全面否定ではなく「行動目標」が包摂できない目標がある 「教育目標の拡張」が必要であると主張。

Q「行動目標」が包摂できない目標とは?

1「問題解決目標」・・・問題解決策の発見自体が(子ども・教師にとって)知的な探検に基づく驚きの過程。それを体験することで高次の能力が形成される。

2「表現活動」・・・芸術のように創造性に富む諸活動の場合、目標の定式化は不要(活動のなかで目的を自覚)、そのような活動は「遊び」に原基を持つ。

〔教師は、探検や冒険を励まし(興味関心を大切にして表現・学習活動を励まし)、予期しない偶然性にも対処できる知的柔軟性を持つことが必要。〕

 

・ブルームの反論・・・授業の過程で新たな目標が自覚される場面があったとしても「目標が教育実践を規定していること自体」は否定されない。(61頁)

 

 B教育評価としての「教育鑑識眼」と「教育批評」

 アイスナーは、「目標の規準性」に回収できない教育実践の創造性、教育・学習活動の「質」に注目 「質」を判断する「鑑識眼」と「批評」が大切。

「鑑識眼」・・・その対象の背景にある伝統や習慣、対象の本質についての理論等に照らして対象の性格や質を把握する力。

「教育批評」・・・公開され公共性を持った「教育・学習の性格や質を把握する」行為。教育批評(研究授業の研究協議等?)を通して「鑑識眼」は洗練される。

 

(2)「目標に準拠した評価」へのイデオロギー批判(アップル)

 「行動目標論」は、子どもたちから社会への批判意識を奪っていく

なぜか? A 目標そのものが社会の支配的な集団・文化に規定されるため

       (結果として「制度化された知」を押しつける教育になる)

アップルが提唱する教育・学校は?

民主的な学校…そこでは学校教育に関わるあらゆる人々が「学習コミュニティー」への参加者として、学校の運営や方針決定に意見を表明できる。

 この教材(目標)は世界を誰の視点から見ているのか、という問いが重要 

 

第2節「目標に準拠した評価」をめぐる論点

(1)共有の目標化と目標の共有化

 近代教育における「目標の共有化」自体に無理がある Q なぜか? 

1 従来「客観的知識」とされていたものへの根本的な懐疑が生じているため。

〔社会主義国の激動、民族紛争の勃発、環境問題の続発、情報化社会や高齢社会を背景に、これまで産業社会を支えていた原理が厳しく問われた〕

2 民主主義・人権・平和などの普遍的価値の主張自体が「多文化性」の抑圧と「同化主義」を内に含んでいたため。

Q それらを踏まえつつ、目指すべき方向は?

A 異文化間の対話と相互尊重を促す内実を獲得した「民主主義、人権、平和、自由」。共通教養として目標を設定することは、科学や客観性の名のもとに「制度知」を認定・押しつけることではない。(共有すべき価値を目標にすること)

公共社会の主権者としてよりよく生きるのに必要な文化(異文化理解教育、平和教育、環境教育など)を選択・創造すること ⇒ 人権(学習権)の保障。 

 

(2)教育評価をめぐる二つの契機

 教育評価のレベルで対立点・論点を整理(68〜70ページ)

@              目標準拠」vs.「ゴール・フリー」(既述)

A              外的な評価」vs.「内的な評価」 

「目標に準拠した評価」、「到達度評価」は外的な評価(⇒指示・評価待ち)。

子どもたちの自己学習を励ます「内的な評価」に着目することが必要。

B              「結果の評価」vs.「プロセス(過程)の評価」

「目標」に至る過程(子どもたちの「試行錯誤」や「葛藤」)に目を開き、認識が変容していくダイナミズムをとらえることを主張するのが後者。

C              「量的な評価」vs.「質的な評価」

後者の立場から、「目標に準拠した評価」は学習の質を重視していないという批判がなされる(明示することが可能な低次の教育目標が強調される傾向あり)。

 

以上の論点から学ぶべきものは?

A「目標に準拠した評価」の機械的な理解は、学習の姿をリアルに丁寧に把握する取り組みの軽視や、教育評価への子どもたちの参加を閉ざすことにつながる。

 上記の論点を「二項対立」ではなく、教育評価論を構成する二つの契機として把握し、統一することが大切。

 

第3節「目標に準拠した評価」の課題と展望

(1)「真正の評価」論からの提案

a)登場の背景

 州政府による「標準テスト」の多用に対する疑問・・・果たして「標準テスト」で学校の教育成果を評価できるのか?(標準テストは何を評価しているのか?)

「生きて働く学力」の評価・育成につながっている? 「真正の評価」論

b)「標準テスト」批判の系譜(二つの流れ)

@「テスト」という形態そのものの持つ問題性として把握し・批判する立場

「テスト」・・・普遍的に意味のある力が(自明なものとして)、量的に評価できる、という前提に立つが、本当にそうなのか?  ベルラック

A「テスト」の有効性を認めつつ、「標準テスト」の問題を批判する立場

正規分布曲線・標準偏差による評価は、「できる子どもとできない子ども」の存在を宿命視する←「相対評価」とは別の「目標に準拠した評価」がある

〔テストを一括して批判することで「標準テスト」の問題点を見過ごし、「意味の普遍性」の批判的再構築を断念してはダメ〕  ウィギンズ

c)「真正性」の意味

 「生活文脈」のなかで発生するリアルな課題に取り組んでいく力を評価すること 「生きて働く学力の形成」

親密な課題であると同時に「応用」、「総合」といった高次の目標・課題

d)構成主義的な学習観 Q それはなにか?

A 知識は受動的に伝達されるのではなく、主体によって構成されるという立場(自分の周りにある人やモノと「対話」、「共同」しつつ構築していくもの)

〔子どもたちは「真正」な課題(身の周りの人・モノと関わるリアルな課題)に挑戦することで自らの「知」を鍛え、達成度を自己評価することもできる〕

※ 教育評価においては子どもや保護者を含みこむ「参加と共同」が必要

(2)新しい教育評価の構想

 @評価の文脈と目標が「真正性」をもっていること

評価の課題や活動が生活文脈と切り離されないリアルなものであること、応用力・総合力を重視したものであること

 A構成主義的な学習観を前提としていること

構成主義・・・上記(d)、Q&Aのとおり

 B評価は学習の結果だけでなくプロセスを重視すること

 子どもの「今までの学習経験・生活経験」と学校が提示する「未知なるもの」とがどのような「葛藤」を引き起こしているのかを具体的に把握すること

(どのように「知の組み換え」を行ったのか、という子ども自身の判断も大切)

 C学習した成果を評価する方法を開発し、さらには子どもたちも評価方法の選択ができること

 評価方法を創意工夫し、学習の成果を「表現」する方法を子どもたちに選択させる

 D評価は自己評価を促すものでなくてはならないこと

 学習を前進させるための評価は、子どもたちの「自己評価(能力)」を〕重視

 E評価は教師と子どもの、さらには保護者や地域住民も含む参加と共同の作業であること

 評価に利害を有する人たちは、評価の行為に参加する権利がある

「真正な評価」論の提案によって自らの教育実践を吟味すること。

 

            

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