教育評価 『教育評価』(P.95〜120までの要約)
第2節 学力評価論の展開
(1)学力という問い
学力が、研究・実践の対象として目的意識的に用いられるようになるのは第二次世界大戦後(戦後教育改革が背景にある。研究・実践の自由の保障が前提。)
『新教育と学力低下』(原書房)…「基礎学力論争」の発火点となった
「戦後教育」の歩みは学力の問題史、論争史(96頁 表4−1)
Q 論争の前提として共有されていた観点は?
A「学力」の問題を、教育目標と教育評価との関係においてとらえること
Q この観点が1970年代まで忘れられてしまったのはなぜか?
A「相対評価」(目標は視野の外)が評価を独占してしまったため
Q この観点が復活した契機は?
A 勝田守一の「計測可能」学力説をめぐる議論
学力が「計測可能」であるためには「教育内容」が構造化、組織化されていることが必要 ⇒ 学力実態に照らして教育目標や授業過程の点検・修正を
(2)学力モデルと学力構造
(a)学力における主体と客体
Q 戦後初期の基礎学力論争の出発点は?
A マスコミを通じて活発に出された「学力低下への不安や不満」
⇒ 戦後の「新教育」批判として展開
青木誠四郎(「新教育」の立場)からの反論
「読み・書き・算」を強調する考え方は過去の「知識主義」の学力観
これらは用具に過ぎず、「生活の理解力」、「生活態度」こそが大切
国分一太郎(「新教育批判」の立場)
「読み・書き・算」の基礎学力は、「人類文化の宝庫を開く素晴らしい鍵」
Q その後(久保舜一調査1951で「学力低下」が明らかになった後)の論争は?
「新教育」の立場
「読み・書き・算」は大切だが、それらは目指すべき「問題解決学力(生きて働く学力)」にとってはあくまでも「基礎」にすぎない⇒広岡亮蔵の学力モデル「三層(個別的知識―概括的認識―問題解決力)説」へ
「新教育批判」の立場
「基礎」(「読み・書き・算」+「科学・文化の基礎知識」)はまさしく人格発達の基礎(国分一太郎)、「それ自身が認識」(城丸章夫)
Q 学力における基礎について論者はどのように解釈していたのか?
@ すべての学習の基礎となる「読み・書き・算」としての基礎学力
A それぞれの教科学習にとっての基礎となる教育内容としての基礎学力
B 国民的教養として、義務教育段階までに共通に獲得してほしい基礎学力
ミニマム・エッセンシャルズとしての基礎学力
C 学力構造(知識・理解、問題解決力、関心・態度など)における基礎部分
学力の客体的・実体的側面である「教育内容」(@〜B)
学力の主体的で機能的な側面である広義の能力(C)
「教育目標」として「学力」を認識する萌芽がこの論争の中にあった
(b)学力モデル研究の展開
Q 学力モデルとは?
必要とされる教育内容を子どもたちが獲得(再創造・再発見)するプロセスと、それが定着した様相や構造を仮説的にあるべき学力像として示したもの
@広岡モデル=三層説
Q 広岡の主張(ポイント)は?
A「高い科学的な学力を、しかも生きた発展的な学力を」
・高い科学的な学力・・・戦後の「経験教育」が主体的な知識を重んじるあまり、知識の体系性(論理構造)を軽視してしまったことへの反省に立った主張
・生きた発展的な学力・・・「科学主義教育」の問題点(経験主義が主張する知識の主体的把握、行動に結びつく知性などを全面否定したこと)を踏まえた主張
→「生きた学力とは、習得した知識(技術)が、内的には主体化されて身についたものとなり、・・・応用力ないし適用力を帯びたものになっていること」
→「知識層と態度層の二層で学力をとらえること」を提唱
(知識層はさらに外層と中層に分化して合計三層になる)
Q 三層説とは?
A学力の構造を「個別的知識―概括的認識―問題解決力(作為的態度)」という具合に三つに層化してとらえる理論(中内敏夫による説明)
学力モデルとしては体系的で、説得力ある提起だったが、「態度主義」という批判を受けた(単なる「心構え」重視ではないか、という批判)
Q 広岡のいう態度(実践的態度・姿勢)とは?
A 知識のいわば背後にあって、知識を成り立たせ、知識を支えている力
(「科学的学力」と実践的な「態度」との関係が明らかでない)
A勝田モデル=「計測可能」学力説
学力が「計測可能」であるためには「教育内容」が構造化、組織化されていることが必要。例えば「つまずき」を発見するためのテストを作成しようとする場合、テスト項目を羅列するのではなく教育目標の構造的な分析が必要。
それに沿ってテスト項目も選択・構成していくことが大切。
Q 「生きて働く学力」を重視しつつ「態度主義」を回避する学力モデルは?
A 中内敏夫のモデル
B中内モデル=段階説
心情や心の持ち方を意味する「態度」ではなく、「習熟」という概念を採用
習熟・・・「身についた知識」、「その人のものになった方法」(中内敏夫)といった「行動に結びつくレベルに到達した学び」
段階説・・・「習得」した教育内容が主体によって充分にこなされ「習熟」の段階に達することを目指す( ⇒ 実践的「態度」の形成につながる)
C京都モデル=並行説
学力・・・認知と情意の統一体
並行説・・・認知領域と情意領域をひとまず区分して、「認識形成過程」と「情意形成過程」の段階を区分し、相互の対応と関連を示していく立場(図4−6)
Q 並行説の課題は?
A 「認識形成」と「情意形成」の対応と関連を充分示すことができていない
⇒ 並行説の立場をとる稲葉は「技能と認知における習熟」が、「態度としての習熟(批判的精神)」として実を結ぶことを強調
Q「態度としての習熟」はどのような姿へと実を結んでいくか?
A @批判的思考の枠組みに従って行動する性向の獲得 A自分自身の思考の枠組みについて批判的になる視点の獲得 B具体的状況における問題解決のために、批判的思考を自発的に働かせる態度の形成
(c)新しい教育的認識論の提案(「構成主義」を踏まえて)
学力モデル研究や学習モデル研究の新しい構想を紹介。
@ 学力モデルとしての教育目標の拡張と深化
ブルームの提唱した「分類学」
縦軸に教科内容領域(例えば科学的探究の性質、化学変化)、横軸に知的操作(理解する、応用する、総合するなど)のマトリックス(表4−2等)を設定
⇒教育目標に実践的有効性を取り込み、目標の系列化を目指す
(「目標に準拠した評価」の基礎をつくる)
教育目標と授業方法を対応させ、発問分析やテスト分析を行うのに有効
ブルームは教育目標を認知領域と情意領域の二つの領域に分類
認知領域・・・「知識」「理解」から「応用」「分析と総合」「評価」など単純なものから複雑なものへと発展することを主張し、知的操作の目標を分類
情意領域・・・特定の価値や見解を押しつけにならないように警戒しつつ、現段階における目標の分類を提唱(「受け入れ」「反応」「価値づけ」「組織化」「個性化」)
自立に向けた価値の「内面化」という発想で分類
ブルームは、「知識」「理解」の意義を強調し、「技能+知識=能力」という図式のもとに問題解決能力を高次なものとして位置づける。
Q ブルームの「分類学」の拡張と深化はどのように行われたか?
A1 各教科におけるスタンダードの設定
教育目標を学問的成果に立ってさらに明確に設定
例)数学を「代数」、「データ解析と測定」、「問題解決」、「推論と証明」、「コミュニケーション」、「つながり」、「表現」などの領域にわけ、学習活動の能力的・実践的側面を目標(長期目標)として設定
A2自己評価能力の目標化
「自己評価能力」を教育目標とする試み(分類学の「改訂版」表4−3)
知識次元(事実的知識、概念的知識、手続き的知識、メタ認知的知識)と、認知過程次元(記憶する、理解する、応用する、分析する、評価する、創造する)などを区分して目標を設定。
メタ認知・・・認知を認知すること。人間が自分の思考や行動そのものを対象として客観的に把握し認識すること。それをおこなう能力をメタ認知能力という。
A3「文脈」の意識化
「文脈(コンテキスト)」を意識して教育目標を設定
例)PISA 調査項目が「内容」「能力」「文脈」の三つで構成される
知識や概念は、状況・文脈に依存して獲得され、活用される
A認知的要素と情意的要素の関係
「態度主義」の問題点。(例)「関心・意欲・態度」の評価が恣意的な人格評価に・・・
Q この問題は、いかに克服されるか?
A 認識の深化にとって不可欠な両要素(認知と情意)の関係を具体的に理解すること。例えば歴史の身近な認識のためには「分析」と「共感」が大切である。
例)「日本軍の華北分離工作を受けて、自分が中国人だったらどうしただろうか」
B学習モデルの着眼点
「構成主義」・・・知識は学習者の内部において主体的に構成されると考え、この知識が問題解決能力へと鍛えられていく「過程」を重視する立場。
(知識は自分の周りにある人やモノと「対話」しつつ構築していくもの)
Q 構成主義が提起している学習モデルの着眼点は?
A1 子どもたちはそれまでの学習・経験にもとづいて教師たちの指導を「選択」。(ある時は受け入れ、ある時は自分なりに解釈し、別の場合には拒否する)
A2 子どもたちは自分の属する生活文脈においては有能に学ぶ(文脈依存性)。
〔真正な評価・・・「生活文脈」の中で「生きて働く学力」を評価する。〕
A3 学習における知識表現の多面性(イメージ、エピソードとリンク)。実態を把握しつつ、「科学知」と「生活知」が自由に「のぼりおり」できることが大切。
A4 子どもたちは「科学知」と「生活知」を組み換えつつ学ぶ。その「生活知」⇒「科学知」への概念転換には、一定の条件が必要。(有用性など)