教育計画論

序論<教育>的なものの概念 人間形成の種々の技の、あるあり方としての

 

1.  人間形成もしくは人づくりの技の概念

形成・教化・教育

・教育は多くの人づくりの技の中の特異なものの1

・形成(forming)…意図しない人づくり。労働や交際など他目的の行為に付随する副産

        物としての学習と人間形成作用。無媒介かつ無計画。

教化(edification)…介入者が当人の所属する社会集団の維持や改革を動機とする介入。

教育(education)…構成員個々人の自立の人格上の核の獲得の助成を動機とする介入。

 

人間性と教える行為

・教えに介入された学習という性格の行為はヒトを中心にこの種だけに特有。

→他の動物にはないのか?

・教育愛、愛の「共同体」。エロス×、アガペー○。

・学習(learning)の能力一般は程度の差をもちながら動物界一般に広く広がる。

・通俗心理学、通俗ペダゴジー、心の「特製のギア」とは?

 

社会的なコミュニケーション

・人の「心の声」は人間ひとりひとりの内的精神機能だが、その起源は社会的なコミュニケーションにある。

・人間の子どもは大人との心の関係を通してモノやモノゴトを学ぶため、学習の場面では本質的に社会的な存在になる。→「社会的な存在」とは?

・教育はより良い個人としての自立をめざして試行錯誤する個的存在として扱う。

→社会は多元的だから、この良さも絶えず多元化せざるを得ない。

→教化との違いは介入の動機の違いで、教師の注入か子どもの学習活動を主軸にするか

といった指導過程に現れる方法のちがいによるものではない。

・学びや自発性にもとづく<教化>という形態とは?

・集団と個人の利害の一体・一致とずれに対応し、教化と教育は重なり、ズレる。

・教えるという介入行為には社会的なコミュニケーションが関係し、教育と教化が混同

されがちな社会だが、それらは社会的な影響を受けて変化している。

 

2.  <教育>的という概念の歴史性と社会性

○近代に固有の人づくり

・保護者にして絶対者たる親の所属階層や国家にはさまざまの差異があって、この違い

 が、その保護と管理のかたちの社会性と歴史性をつくりだしてくる。

・教育はある特異な性格をそなえたこの介入の技の1つであり、これが子どもの精神

 界につくりだす複雑な心意もこの技に特有のものである。

・教育は子どもの学芸や行動などいろいろの学習活動への、その自立の人格上の核の形

 成をめざす当人の立場からの介入という性格を持つ技。→?

・個人の自立をめざす学習活動への介入という性格をもつ人間形成はどの種類のばあい

でも近代社会に固有のものである。

・古代や中世のあるいは近代のあれこれの共同体社会の人間形成論を認知しない世界で

ある。

15C 西ヨーロッパ中・上流家族層の家庭教師

日本では「養生」 ※「教育」「教」「学」は教化に近い

educationの流入で「養生」+「教化」=「教育」

  ・子どもの学習活動への教育的介入は男子の健常児のみ

  ・20C 人権思想の深化と拡大、教育的マルサス主義の誕生の拮抗と連動

    →万人むけのものへ

  ・介入は近代社会が階級社会かつ壮年男性モデル社会のため不平等

    →不平等を正すため、介入を性差、階級差、障害の有無をこえて子ども万人の

もつ発達の権利への保障という性格を帯びさせる。

  ・18C的親権の概念も教師の教(育)権の概念も相対化され作りかえられる。

 

○教育の明と暗

・教育が万人向けになったことは確かに“明”であるが、「心の理論」を使った効率の高い介入装置によって、子どもたちの心の世界の介入者の担う文化によるモラトリアム化が進行することは、子どもにとって自己一身の将来の決定に対する権利の拘束である。つまり、全ての子どもが<教育>の対象となったということは、この拘束が万人に及んだことになり、それは“暗”である。

・男の担う人づくり「自由諸学芸」の「伝授」が女の担う人づくり「産育」をひきあげ

「産育」@太らせる A引き出すの2つの意味をもつ。教育はAを導入。

・新生の<教育>としての学芸「伝授」は祭祀性と呪術性が次第に色あせていく。

→祭祀性、呪術性とは何か?

・カリキュラムは社会の変化に伴って変化するが、深部の構造に変化はない。

・教育的介入が・・・パラダイムは変りようがないからである。→?

 

○不安定な体系

・教育はひとつの内部矛盾を抱える。

→表層では子の個性の育成、個人としてのより良い能力の追求

→深部では他者よりもより良くという排他的、敵対的競争

 

3.  教育研究の諸分野

教育史と発達の比較史

・教育は人のひとり立ち発達のありかたとして普遍的ではない。

・教育は歴史的にも、公的意味においても特殊で日常生活世界での仕事である。

例)学力→人間の永い歴史のある時期に人の生活を左右する社会経済的な財になった。

     それまでは日本の民間社会でもほんの数十年前までは認知されなかった。

 

各巻の課題

・第U、V、W巻:日常社会過程と心性の変容のさまを照らしだし、国家意志がどのよ

         うに介入するのか。

・第X、Y、Z巻:言説史、言説の宗教的形態、人間学的形態、社会科学的形態を民衆

心性の次元であきらかにする学説史の分野

  ・第[巻:例えば学力のような特異な能力が、教育的介入以外からの介入から

学力の成長のさまをきざんでいるであろう他の人間能力とその発達の

様を照らし出す

  ・発達研究は<教育>と出合う所に成立した一つの側面の解明ばかりでなく、

   教育となる以前の形と、教育となった後の他にありえた形を解明すること

   は教育学を豊かにする。

 

4.  教育=過程説と教育=制作説

教育の三側面

・「教育的人づくりは発達権者への他者の助成的介入」と観る心性は日本では未成熟。

・教育的介入を分析・評論する側、計画し制作のプログラム作りをする側

「教育過程論」

「教育計画(又は改革)論」

「教育集団論」

→教育的介入行為についてどの側面から接近するのかの違い。戦後教育学は学問分野を分けて考えてきた。統一性を失う。

・教育的介入行為を、教育集団の管理、計画などの「外的事項」、教育の目標内容や教材などの「内的事項」として分けて体系化し、理論化。

 

過程説と制作説

・教育的介入行為を理論化する時、介入行動の出発点からではなく、到達点から出発点にむけて発想し、子どもの側に現れてくる結果を、プログラムの所産として処理する評価の体系でなければならない。

 

教育=過程説…生き方に到達点を持たないより良さを人間形成において追求。

       しかし発達の逸脱は「自己」一身がその責任を負う。自然の理性化?

教育=制作説…行為に行為と異なる目的を埋め込む?

       形成的評価過程と表裏一体の理性の批判的な自然化の体系?

 

5.  本書の主題

原論の立場 

3つの系

(1)目標→評価  (2)生活世界と目標世界との媒介となるメディア (3)教師、指導過程

・内外一元論

 

○「教室」という切り口

・広義の公私「教室」を取り出し、「授業」に主題を絞る。

→現代社会における教育の最もポピュラーに具体化された形

→現代社会と教育的人づくりと間のアポリアをぬける扉を開く鍵の1

 

       教育のページへ

       ホームへ