2 〈教育〉的という概念の歴史性と社会性

                                

○近代に固有の人づくり

 

Q 親、教師、国家(学習過程に介入する主体)の持つ性格は?

A 過酷な現実世界から守ってくれる保護者であると同時に絶対者

 

Q 上記主体や教育内容(及び保護と管理の形)は何に規定されるか?

A 親の所属階層や国家のあり方には様々な差異があり、教育内容(及び保護と管理の形)も含めて社会的・歴史的現実に強く規定されている

 

Q 教育とは?

A 子どもの学習活動(学芸・行動…)への(人格形成・人格的自立を目的とした)介入

  目的達成のための助成的介入

・このような人間形成論(教育論?)は近代社会に固有のもの

Q なぜか?

A 古代・中世の共同体(自由もない代わりに不安もない公私一体の共同体)には、「自立を目指す個人」はあらわれてこないから。

 

(日本の「教育」…教化と教育の両者にわたるアンヴィヴァレントな響きがある。もともと教化に近い漢語であった“教育”とはべつの意味合いをこめて、educationの訳語とされたため)

 

Q 教育(学習過程への介入)の対象は?

A 最初は男の健常児だけ⇒万人向きのものへ拡大(子どもの立場〈権利〉から)

(性差、階級差、障害の有無を越えて「万人の持つ発達の権利」への公的な助成・保障へ)

※この流れの到達点…「子どもの権利条約」(すべての子どもは「発達権」の主体)

 

○教育の明と暗

 明…以上(上の3行)は教育の明

 暗…「心の論理」を使った効率的な介入⇒将来の決定に対する大人による拘束

(かつて、「上流の」子どもだけを対象としていた拘束が、すべての子どもに及ぶ)

 暗への自覚⇒「子どもの権利条約」へ。児童に対し、当該児童に影響を与えるすべての問題について自由に自己の意見を表明する権利を確認する。

15世紀ヨーロッパにおける〈教育〉的人づくり

「自由諸学芸」の「伝授」引き出す(educationを導入して成立

(女の担う「産育」の含意=@太らせる、A引き出す の後者)

(注)じゆう-がくげい【自由学芸】

「〔(ラテン) artes liberales〕ギリシャ・ローマ時代から中世にかけて西欧で行われた基礎的教養科目。文法学・弁証学・修辞学の三科に、算数・幾何・天文・音楽の四科を加えたもの。七自由科。」                 大辞林 第二版 (三省堂)

三学が文法修辞学弁証法論理学)、四科が算術・幾何・天文・音楽である。哲学は、この自由七科の上位に位置し、自由七科を統治すると考えられた。哲学はさらに神学の予備学として、論理的思考を教えるものとされる。        ウィキペディア

Q〈教育〉的人づくりはどのような方向へ向かったか?

A1 「学校の世俗化(脱宗教化)」の方向…従来「学芸の伝授」につきまとっていた祭祀性と呪術性(=神学的要素)がしだいに抜け落ちていく

A2 女の担っていた「education(引き出す)」営みが男に移り、規格性をおびてくる

 

Q 近代の教育(教育的人づくり)の目標・内容は?

A 市民社会の革命(政治・産業・人口)を経て、母国語、科学、技術等を取り入れつくり変えられた

Q カリキュラムの多様化・変転にもかかわらず(教育)の深部の構造は当初と変わらないと言えるのはなぜか?

A 現実世界での人格的自立を目指すという枠組みが変わらないから

(現実世界が生み出し、蓄積するモノやモノゴトを知らせる、という枠組みには変化なし) 

 

○不安定な体系

・教育はひとつの内部矛盾を抱える

 表層では個性の育成、個人としてのよりよい能力の追求

 しかし、その深部は他者よりもよりよくという排他的・敵対的競争

〈背景〉欲望主体が契約によって秩序を作り上げる近代市民社会(能力市場の商品化)

 その内部矛盾…子どもや青年の個人としての自立を蝕む心の発達のトゲになっている

 

Q 本書の課題は? A 教育の技が今直面しているアポリア(難題)を、市民社会と国民国家の新しい段階を展望しつつこえていくこと。

3 教育研究の諸分野

○教育史と発達の比較史

 教育…人のひとり立ちと発達のあり方として普遍的なものではなく、特殊でかつ日常生活世界でのしごと

例)学力…人間の諸能力中「ごく特異でかつ生活性を持つもの」だが、学力が人の生活を左右する社会経済的な財となったのは、長い歴史の中でも特殊なできごと

 

    各巻の課題

第U、V、W巻:日常的社会過程と心性の変容のさま(広義の教育?)を照らしだし、

国家意志がここにどのように介入してくるかを明らかにする。

第X、Y、Z巻:言説史、言説の宗教的形態、人間的形態、社会科学的形態を民衆心性の

次元で明らかにする「学説史」

第[巻:「さまざまな介入」によって個体に刻まれる(学力以外の)人間能力とその発達の

さまを照らし出す。発達の地域、階級、民族間の比較社会史、比較歴史心理学。

 

発達研究が〈教育〉と出会う以前のかたち、出会った後にありえたかたちの解明は、教育学を豊かにする。

 

4 教育=過程説と教育=制作説

○教育の三側面

 教育的人づくり=発達権者への他者の助成的介入

 このようなとらえ方は日本では成熟していない

〔教育学の現代的課題〕

 @助成的介入(教育)の総体を理論化すること(分析・評論、もしくは反省)

 A新しい教育(現実)を創り出す(計画と制作のプログラム作り)     

〔教育学の理論〕

@     教育過程論

A     教育計画(または改革)論  

B     教育集団論

 三者は「教育」の三つの側面⇒本書では「@教育過程論」の側面から論じる

(原論の名の下に上記の三側面を統一的に扱う ← 教育学を空疎な学問にしない)

 例)OECDの教育計画論から夫婦の産育計画までも含めて一連のものとして扱うのが教育計画論、掛け算テスト問題ひとつつくることも政治社会性を持っているとして、教師の授業計画と国家の教育課程政策を一連のものとして扱うのが教育過程論。

 ○過程説と制作説

 結果(「教育的効果」)は助成の計画と制作の産物だ、という立場 

介入行動の到達点(「教育的効果」)から出発点に向けて発想するプログラムと評価

 

Q 国家主義的教育学や経済効率主義社会学的教育学の共通点は?

(日本の教育学の問題点は?)

A 子どもを発達権者とみる教育保障の観点が欠落していたこと

⇒「逸脱」は子どもや親や地域の民度のせいだとされる

 これは、教育の理論ではなく、「教化と選別」の理論

 

Q 教育=過程説とは?

A 介入行為の出発点から子どもの成長の過程にそい、その将来に向けて子どもの学習と生活の指導体系を組む (「自然の理性化」の体系)

〔指導の目標は方向目標(⇒相対評価?)〕

欠点…発達の権利を万人に保障するという教育の含意を満たさない

 

Q 教育=制作説とは?

A 子どもの側に現れてくる介入の結果を「プログラムの所産」と見て、「教育過程、計画、

集団の管理の三側面にわたって「教育という人為の体系」を作っていく立場

〔指導の目標は到達目標(⇒到達度評価?)〕

 

Q「自然の理性化」(「人間的自然の理性化」)とは?

A(自然に)あるがままの状態から、(理性的に)あるべき状態への変化を生み出すこと

〔参考にした論文:「篠原助市の教育思想に関する一考察」岩本俊郎〕 

批判:(これは)限りなくサイボーグづくりの方向に走った。例えば、マラソン選手は前に

走る筋骨系統しか発達していなくて、バスケットをすると骨が折れる・・・

Q「理性の批判的自然化」、又は「理性の人間的自然化」とは?

A 理性をヒューマン・ネイチャーのなかに埋めこんでいかなければ、人間的自然は守れない。(ルソー:自然の教育・事物の教育・人間の教育 後者(二つ)を自然の教育に近づけるのがもっともよい教育)〔参考にした対談:時代は動く!どうする算数・数学教育〕

 

〔教育=制作説 における「教育過程論」の三つの系〕

@     助成的介入の結果を(発達保障、教育の目標内容という観点から)測定・評価する系

A子どもの「生活世界」と「目標内容」を媒介する教材・教具・施設づくりの系

B子どもそれぞれの行動を組織していく指導過程と学習形態の系

 

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