一 教育と評価  

                      

・人間と評価

テストが急速に普及したのは? A 被占領下で系統的に創りだされた「新教育」以後

(テストは小学校から大学にいたるまでのあらゆる学校システムに入り込んでいるのみならず、職場、家庭の内部まで姿をあらわしている)

テストは古く人間の歴史とともにあった

例)旧約聖書 通行人の発音をテスト プラトンの「国家」・・・テスト⇒支配者や守護者 

実際の制度・・・隋にはじまった中国の科挙制度 「未開民族」にみられる成人式の「試験」

人間の観念と行動は、つねに評価というアイディアにつきまとわれる

人間は、評価というアイディアを通して「自己の観念と行動、それを貫くイメージ」を自覚的に蓄積できる(教育的人づくりも人間の自覚的な意図を持つ行動の一つだから・・・)

教育は「目標を持った制作活動」(しかし、統治を目的とした「教化」ではない)

⇒教育の思想は「評価もまた教育でなければならない」という原則をつくり出した

・教育と評価

指導は大切だが評価はつけ足しか? 評価を幅広く理解することが大切

 授業で「わかりましたか」という質問をする、「子どもの顔色やささやき」から「わかったかどうか」を読み取り確認したうえで次の授業を進める、教材や授業の目標を再検討する、必要ならば教育政策の変更を要求する(評価の過程は教育のしごとには不可避)

・テスト・・・「評価のひとつの科学・技術」として編み出されたもの  

「近代の市民社会における教育的人づくりにとっての妥当性」こそが問題

・現実の問題点 

例)学力水準テストの成績に学校・保護者が一喜一憂、テストが暗黙のうちに持っている思想にかまわずその「科学性」のゆえに結果が一人歩きする(思想と技術が遊離)

自分が何をしているのかを知らない人間が使用する科学と技術くらい恐ろしいものはない

 

二 測定と評価

 

・中世テストと近代テスト

中世テスト・・・ある学生に学位を与え有資格者と判定するかどうかを決める手だて

近代テスト・・・障害児を一般児童のなかからえりわける(知能のテスト)が目的だった

・測定意識の成立

「アヴェロンの野生児」への教育の試み(医師イタール)

「自然主義的な宿命観」に代わって「人間の能力は先天的で固定的なものではなく、人間の働きかけによって変革可能なものである」という思想をおこした。

イタールの弟子セガン

「特殊教育施設、特殊学校」を積極的で創造的な教育機関という意味に解釈しなおす

Q アウトサイダーの問題が注目を浴び始めた影響は? 

A 正常と異常を区別する客観的な基準への関心をよびおこす

@J・エスキロル・・・人間の「正常と異常の区分」は客観的に測定可能であると発表

Aヴォルフ(カントの師)・・・「人間も区別と測定の対象としていい」という考え方の前提である「人間を諸要素の束(感覚力、記憶力、その他の組み合わせ)」とみる考え方を提示

Bリンネ(植物学者)・・・ 植物の分類だけでなく、精神異常の分類表までつくる

CF・ゴールトン(ダーウィンのいとこ 遺伝学)

イギリス上流社会の家系を研究した『天才と遺伝』で類似の発想を提示

(遺伝学という人間研究のジャンルに数学的分析の方法を導入)

DL・ケトレ(統計学者)

 ガウスの曲線に注目し、これを身長・体重といった人間現象にあてはめる

⇒ゴルトンによって精神現象にまで拡大、日本の小中学校の成績評価に使われてきた相対評価法はガウス曲線(正規分布を表したグラフ)を利用、 その起源はこの時期 

EJ・キャッテル・・・「精神検査と測定」でメンタルテストという用語を用いた

 以来、人間の精神現象の分別に関して自然科学的方法を適用する大きな流れが・・・

〔以上見てきた二つの立場の共通する側面〕

ア)人間の能力には固定的な区分はないという立場・・・自然からの人間解放の思想でもある

イ)区分があるという立場・・・共同体的規制からの個人の解放(自由保障)にもつながる

(区分を客観的に測定できるとすれば、共同体的価値観によって個人をバカといったり

異常としたりすることはできないから) 

 

・知能テストにおける暗い面と明るい面

A・ビネー・・・「知能テスト」の最初の創案者

 上記(ア)、(イ)における「解放の思想」を不可分のものとして保持していた

L・ターマン・・・上記テストを改定し、「知能指数」(I・Q)という概念を導入 

Q「知能テスト」の功罪は?

A1 ある程度の妥当性を持っていた

A2 人間は生まれながらにして一定不変の能力を背負ってくるのだという宿命思想を

教育に持ち込んだ 

Q「学力テスト」の客観化を目的のひとつとする教育測定運動の口火をきった教育学者は?

A ソーンダイク(『精神的社会的測定学序説』1904年)

 

・旧いテストと測定運動

Q 教育測定運動の目的は?(ソーンダイク、S・ホール、C・ジャッド)

A「科学的測定」を適用し合理化することで、教育活動の「効果」を挙げること

 しかし、同時に子どもの評点(評価)の「数学的厳密化」が主要な目標の一つに・・・

 従来の百点法は「その時その場のこころもち次第で動く」

・戦前日本の小学校・・・この評定法が公認、子どもに独立した人格を認めない教育

・中学校(旧制)・・・何人中の何番という相対評価のシステムに通じる評価法 

 

・近代テストの考え方

 「絶対評価」・・・子どもの成績を、学校側が決めたある基準との関係で決定する評価方法

 「相対評価」・・・日本では「新教育」とともに拡がった(標準テスト)

・標準テストの考え方・・・平均点を基準としていいか悪いかによって評点を決める

(児童相互の競争によって子どもの評点が決まる「相対評価」・・・知能テストの理論の適用)

 

・近代テストと近代思想

「主観的で不公平」な採点法⇒子どもに独立した人格を認めない評価観と人づくり像

「客観的で公平な」学力測定の運動⇒ある意味で子どもの権利認識の道を準備

Q 主観的偏向は入らないか? A 入れないことは難しい(A・デーヴィスら)

「文化」に関係するものであるかぎり、標準テストの項目は最底辺層の子どもにとって不利となり貧者をその地位にとどめておく「科学的犯罪学」となる

(項目の多くが貧者を疎外する「文化」の体系を素材に作られているから)

 

 博愛と人権の思想によって批判の対象になる(差別を基盤とし、固定化する:引用者)

Q「近代テスト」が犯罪者にされた理由は?

A それが学校体系に持ち込まれたため、社会的な立身出世に直結する「尺度」になった

「知能テストは人間を自然の鎖に」「学力テストは社会組織の鎖に」つないでいく機能を・・・

Q 上のような状況に対決していく姿勢から作り出された概念とは?

A 教育評価(教育測定に対置する) アメリカ・ソヴィエトで拡がった

 

三、教育評価の原理と方法

・測定観念の再編成

 評価もまた教育的行為でなければならないという理念 教育評価

 米国・・・保守派と闘うプラグマティストがこの言葉(「教育評価」)をつくる

 ソ連・・・児童学者を(プラグマティストとともに)一括して批判する中で成熟

 

・第一の類型(米国の教育評価)

 デューイ(『児童とカリキュラム』)、ホプキンス、ユーリッチ、R・タイラー『八年研究』

〔測定主義批判の論拠〕

@測定は外的な統制を重視し(ホプキンス)、かけがえのない個性を無視する(デューイ)

 外的動機づけではなく、「自己評価」の資料を提供することで自己成長を促進すべき

A教育は人間の行動の型を変えようとする過程であり、子どもの要素的な知識以上に、それらを「組織する方法」を問題にすべきだ

Q「測定主義」の前提は?

A 教育は「博学」である、人間(の心)は諸要素の束である、という前世紀の心理学

B評価は「行動の変化」がどの程度おこりつつあるかを見出すための過程でなければ・・・

 「個人内差異」による評価を重視(米国 入学試験を年数回行う、西欧 卒業試験重視)

 個人間か個人内かの相違はあるが、相対化⇒客観的評価、という点では測定運動と共通

 

・ガウス曲線利用の相対評価の原理

 得点がガウス曲線を描いていないなら、それはテストにゆがみがあったか、生徒集団に異種の力が働いていたせい⇒テストと生徒集団の質について反省材料を得ることができる

Q ガウス曲線利用の相対評価の問題点は?

A1「この(相対評価の)方法」をクラスの生徒集団に適用すること自体が問題

A2 教育観に関わる問題 「学力は自然に与えられた知能によって決まる」という立場に立てば正しいが、「教育は自然に対する制作・加工である」という見方をとれば誤り

〔もともと、ガウス曲線は植物の背丈(自然)の法則性として見出されたものである〕

Q ソヴィエトにおける「測定主義批判」の性格は?

A 上記の「人間本性観」の段階での対決

 

・第二の類型(ソヴィエトにおける測定主義批判)

ソヴィエトでおこった測定主義批判(「教育人民委員部のシステムにおける児童学的偏向」 ボルシェヴィキ 党中央委員会決定 1936年)

〔「決定」の要点〕

@外来の測定技術を無批判的に使った児童学者のテストや調査アンケートは「学校制度のなかにおいては成績不良である(・・・)児童にとっては、不利なように向けられたもの

A児童学者の方法論は「児童の運命は、生物学的な、社会学的な要因により、遺伝とある種の不変な環境によって宿命的に条件づけられているものであるという『法則』」を前提にしている ⇒ 「教育学と教育者とを完全に復権させよ」

 

〔背景〕マカレンコの教育活動

 児童学の言う「欠陥」児にあたることになる「浮浪児」との不屈の取り組みの過程を通じて、「ひとりの人間にたいして可能な最高の要求を、しかしそれとともにその人間に対して可能な最大限の尊敬を」という原則。教育は自然への加工であり、教師の子どもに対する「要求」だという教育観

(宿命論に通じる「教育は自然成長である」という教育観に代わる・・・)

⇒それに照応する新しいテストの形式・評価の形成へ

 

『教育心理学』(1926年 ヴィゴツキー)

 横断的テスト批判として子どもを可能対として測定できる新形式のテストを創案

「決定」以後に生まれた新しい形式 

知能テストの廃止、集団の力を測定する技術の研究(フランスのR・ザゾ、H・ワロンソヴィエト学校教育の反映) 

 『ソ連の教育』(レヴィンのルポルタージュ)

 評価は絶対化された5点制になっているが、この基準は、もし一点や二点の子どもがいれば、クラス全員でなぜそうなったかを考えあい、3点以上になるよう助け合って、全員が合格になるようにその子を指導していく「目やす」として位置づけられる

 

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