二 指導要録の理論

 

一 指導要録とは何か

Q「学籍簿」(1900年〜1945年)と「指導要録」の違いは?

A1 学籍簿は子どもの、進学、就職、結婚、非行などに際して利用された←→指導要録は「指導反省」のデータを引き出し、教育課程を改革するために利用すべきものとされた

(親、子ども当人には公開していいが、教育指導以外の他の目的で使用してはならない)

A2 指導要録は(学籍簿時代のように)、子どもの人格に立ち入り、ねぶみを行うものであってはならない

A1 に関連して

 教育過程の批評と改造の方法として教師集団によって自覚的に開発→通知表の役割にまでのりうつる(例:自分たちの決めた新しい通知表によって教職員が自己変革を迫られる)

 この原則からすると、指導要領にとって指導要録は「評者」であり、たえず後者によって相対化され改造されなければならない。

Q 現実は? A 学校現場ではそうなっていない。(指導要領と指導要録、通知表が現場では切り離され、指導要領が指導要領の批判・改造に結びついていない) 

Qなぜか? A 現行指導要録の形式とその解釈の不備

 

二 評定の理論

・「評定」とは何か 

 慣例に従って、各科の授業に関する活動の評価を「評定」、それとは別の訓育活動(考え方や行動の仕方を習わせること)の評価を「特別活動の記録」「行動の記録」とする

・発達権と目標                    (総合路分析?)

Q 義務・準義務教育が保障すべきものは?

A 「児童の権利宣言(1959年)」、「子どもの権利条約(1989年)」→「すべての子どもが最低そこまで到達すべき権利を具体化する心身の能力」こそが「評定」されなければ・・・

 (174頁から175頁に例示)              

 

・学力不可知論と方向目標論

 到達目標論・・・現代義務教育の理論を踏まえた授業の目標内容論・評定論

 方向目評論・・・子どもの学力・心身の活動の方向を目標として示す

例:社会事象への関心・思考、数への関心・数学的な考え方、自然事象への関心・科学的思考、実践的な態度(大戦後日本の義務教育学校にはこの理論が採用された。)

 

 しかし、方向だけを規定したのでは、目標は無限のかなたまでひろがる。

「終着点なき無限定主義」は家族のしつけや社会での〈形成〉活動ならふさわしい場合もあるが、義務教育学校の教育課程にはなじまない。

 

「所見」の位置づけのあいまいさにもつながる

「所見欄」・・・子どもがどれだけ創造的・主体的に(教授された概念や方法に)習熟し、生活の中で使用し発展させているかという教育と生活世界の「結合」を目指す運動の所産。

ところが、文部省の「指導要録」作成者は、この論法を「評定」の観点にまで拡大→「評定」欄のほかに「所見」欄を設ける積極的理由が薄れる。

 

Q 授業目標・評定論上の「方向主義」の前提にあるものは?

A 義務教育学校の子どもには「モノ・モノゴトの世界を認識させ、科学や芸術の概念・形象・方法などを教えることは困難だ」という判断

(学芸と教育の目標内容との分離論、学力は知られえないという「学力不可知論」)

 

Q その結果は?

A1 第2次大戦後(とりわけ1980年代以降の)「態度」「関心」の評定

A2 学籍簿時代における「バラバラの知を無限に並べて博学をきそう評定」

 

・相対評価と社会ダーウィニズム

Q(目標準拠の)到達目標論の特徴的な立場は?

A 子どもの不成就を「教育の技とシステムの弱点や不備」とする立場

(一人の不合格者も出ないように、施設・設備と教育課程を準備する立場)

 

 発達保障の立場から到達度評価を採用しているところの例

「よくわかっている」、「教えることができるくらいによくわかっている」の2段階にしか分けない

 方向主義をとると、集団準拠の相対評価になる(到達点が無限のかなたに消えるため)

Q 文部省の指導要録から相対評価が消えない理由は?

A 指導要領と要録に方向論的目標論がしがみついているため

 

・評定の分配曲線

 到達度評価法が義務教育にふさわしい

〈導入の条件〉

発達権の保障がこの方法の前提であることを確認する(→方法も変わってくる)

 各教科の目標を到達目標として立て直す→要録の評定の観点もこの立場からつくる→目標・評定の中身も通知表の形式も毎学年違ったものにすることが必要→評定の出し方・説明に当たっても「教授技術や設備・施設の不備を発見する」という配慮が必要→教室での事前・事後指導がクローズアップされる→測定技術は「学力テスト」(能力テストではなく)

 さらに、新しい評価法を客観的に行えるような評定の分配曲線の発明が望まれる

 

三 「評定」と「所見」「観点」および「行動の記録」の関係

 

・成績読みの社会文法

 

 子どもの成績(広い意味での)を評価するに当たって(戦後)採用された二つの観点

1、                        子どもが到達した評定尺度上の点→「各教科の評定」

2、                        子どもの内部で働いた情緒的、知的な「持続的傾向性」=態度→「観点」「行動の記録」

 後者は、ほとんど道徳的な評価、子どもの人格の値踏みとして読まれてきた

※ 二つの欄(1・2)は正しく分けられてきたかを問題にする必要がある

 

・態度論の意味

 

Q 戦後日本の「新教育の原産地」は? A 米国のプラグマティズム

(「態度」ということばは、アメリカと日本のプラグマティズム運動がつくった言葉)

Q プラグマティズムの中心概念は? A 連続性

「態度=情緒や知覚・認知過程の持続的体制(姿勢)」・・・プラグマティックな概念

 

初期プラグマティストの問題意識・・・「万事を両極に引き裂く二元論的な考え方」(精神と身体、理性と感情、組織と個人・・・)に連続性の概念を持ち込むことで両極を統合する

「子どもの態度、学習態度の評価」の含意は?(上記の背景の中で)

1、                        教師や学校からあてがわれている「ひとまとまりの概念や規則」からの、子どもの多様な感動・自由な思考と行動の解放とその肯定

2、                        (さらにすすんで)日常経験を通しての学校知や学校規則の点検と改造

〔子どもと社会(学校・教師)の関係についてのとらえ方に対する「コペルニクス的転回」〕

 

「注意力」「自主性」「満足度」「価値の受容」等(B・Sブルーム)の人格の値踏みを思わせる項目→実はプラクティカル(実践的・実用的)なもの

例:ドレスや家具・・・等に美的要素を見つけ出す注意力の発達、合唱の喜びを知ること・・・

ただし、(欧州近代の)「区分と秩序の体系」、「規律の軸になるもの」を確認すること抜きに「話し合いをしましょう」などと指導したところで「態度」の指導にはなっていない

 

「考えましょう」という学習態度の指導の前提・・・「科学的な概念や知識」が不可欠

その正確な伝達、それとの緊張関係の中で「情緒的、」知的な持続的体制を問題にするところに、「態度」論のポジティブな意味がある

 

・学習指導要領における「態度」概念

 

 『学習指導要領』のなかのこの言葉には、お説教風の「道徳的なくさみ」が付きまとう

例)音楽「楽しく静かに聴く態度や習慣」・・・下士官のお説教「大体その態度は何だ」

  小学校社会科「公共施設や資源を大切にする態度」、「集団生活に進んで参加する態度」

 「わが国の国旗をはじめ、諸外国の国旗(・・・)これを尊重する態度などを養う」

子どもの精神生活を教条化した概念や行動のルールから解放していく原理としてではなく、こどもがそこへ誘導されるべき情緒的で袋小路風の「ものごし」=「心がまえふうの教育的価値」を示す言葉(価値秩序への心身丸ごとの情緒的な適応を意味する言葉)

子どもの考え方・感じ方を教師や学校や国家(指導する側)の規格に合わせて裁断する言葉・・・戦前からあった「訓練」、「人格教育」、「授業態度」、通知表にあった「操行」点

 

・習熟論と「所見」「観点」欄の再建

 

Q 子どもの側から発想する「態度論」は従前の日本になかったのか? A あった

    「生活綴方教師」たちが創り出した「生活指導論」・・・「所見論」に子どもの生活という観点を持ち込んだ→子どもの側からとらえなおしたもう一つの「態度」論

ただし、教科の目標内容との結びつきを重視していなかったという点で、まだ不完全

→生活綴方運動の担い手が、教科の持っている役割を重視する観点を自覚するのは大戦後

 この観点をつきつめる→「態度」という用語よりも「習熟」という概念が有効になる

 

Q 習熟とは?

A 「身についた知識」、「その人のものになった方法」といった(行動に直結する「実力」と切り離されない)思考の一つのありかた。(認識と不可分であるモノゴトへの姿勢

 

四 入学と採用試験の理論

・総体評価法と現行入試制度(現実に両者は深く関わりあっている)

 選抜方式・・・目標内容に照らしての不適格者排除主義

 資格方式・・・受け入れ校の定員数にあわせての適者選抜主義

Q 選抜方式の温床は? A 目標・評定論上の方向主義、評価方法上の相対主義

(注・高等学校の教育課程は学習指導要領の「方向主義のコントロール」を受けている)

 

・資格方式か、選抜方式か

 能力主義の企業による教育への要求・・・学校の能力主義を促進させようとする(学校を教育の論理で見る観点が欠けている) 教育は能力的に困難を抱える者にはいっそう手厚く、また、一人の不適格者も出ないように教育課程が仕組まれているのが、義務教育学校

 

・資格方式の再建

 入試も成績評価も、教育を目的とする公費によって維持されている学校が行う場合には、教育の論理に即して、学力テスト利用の資格主義に徹していくべきである。

 

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