−格差をなくせば学力は伸びる− |
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『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』(亜紀書房 福田誠治著)の紹介記事を書いてみたいと思います。
〔なお、福田誠治氏は『競争しても学力行き止まり』(朝日新聞社)の著者でもあります。この本についての紹介記事はこちらです。〕
さて、『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』には様々なデータや授業風景の写真が掲載されていますが、最初に私が興味深いと思った図表と関連する記述を紹介いたします。
〔『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』37頁より〕
表1−2『PISA2003における得点格差と平均得点の国際比較』で見ると、フィンランドは、どの分野でも得点の散らばり、つまり国内の学力格差が小さい。まったく逆に、日本はどの分野でも得点の散らばり、つまり国内の学力格差が大きい。(・・・)
〔同 37頁〕
OECD教育局のシュライヒャー指標分析課長は、PISA調査から次のことが言えるとしている。
「OECD地域の生徒の社会的背景と成績の間には強い関係があるということ。これにはがっかりさせられます。というのも、私たちは理想的には、その社会的背景にかかわらず、すべての生徒に平等の機会を与えることを保障したいと考えて努力してきたわけです。しかし、実際には(・・・)どのような家庭の下に生まれたかが大きく問題になり、それが学校での成績に大きな影響を持っているのです」
「フィンランドは、全体的な成績が非常に良いのですが、もっと重要なことは、他の多くのOECD諸国に比べ、社会的背景の影響がずっと小さいということです。教育制度がすべての生徒に均等の機会を与えることに成功しているわけです」
〔同 38頁〕
習熟度別のクラス編成も、フィンランドでは1985年から廃止されている。したがって、学校や学級はさまざまな学力の子どもたちが混じり合う「統合」というやり方である。
フィンランドでは、統合学級で平等な均一・一斉授業が展開されたわけではない。ましてや、個別に対応するために習熟度別編成を選んだわけでもない。フィンランドでは、「統合」でありながら「個別」に指導するという教育方法で対処することにした。平等と個別のニーズとの微妙なバランスが、専門家としての教育者が編み出す教育方法という知恵(専門性)によって解決されている。
〔同 42頁〕
〔コメント〕
学力テストの結果を見るときに、わたしたちは「平均点がどうか」ということにとらわれがちです。しかし、社会的に排除される個人を生み出さない(参考:イギリスのニューディール政策)、という観点を重視すれば「日常生活に必要な“学力”を獲得できない生徒が何%存在するか」ということの方がより重要なのではないでしょうか。
その点、いわゆるPISA(OECDが実施する国際学力調査)の結果、学力世界一といわれるフィンランドの教育についても、平均点の高さ以上に「学力格差が小さい」ということが注目できます。言い換えるならば、フィンランドでは「高学力と教育における平等が両立」している点が素晴らしいと思うのです。
〔PISA:OECDが実施する国際学力調査で「これまで何を学んだかではなく、これから何ができるかを測ろうとした」ものだといわれる。つまり、「学んだ知識や技能を使って自分が社会で直面する諸課題を解いていく力」を測定しようとしたもの〕
PISAで高得点のフィンランドの子どもたちは「社会の中で生きていくための実践的応用力、思考力、表現力」において優れた力を蓄えている、ということになるわけですが、高得点をあげることができた理由は何でしょうか。しかも、なおかつ学校間格差がほとんどない、国全体の学力格差が極めて小さい、という「教育本来の目的からしても奇跡的に好ましい結果」を出すことができているのはなぜでしょうか。
上記引用部分からは「“統合”でありながら“個別”に指導する教育方法」が重要なポイントであることが読み取れます。しかし、「学力世界一」「学校間格差がほとんどない」という「結果」(高学力と平等の両立)を生み出したような教育方法、はいかにして構築され共有されているのでしょうか。
フィンランドの教育制度を中心に次回はその問に答えてみたいと思います。
写真・図表入りのPDFはこちら
驚きのフィンランド教育 2 −格差をなくせば学力は伸びる− |
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念のため、前回の表を再掲して、『格差をなくせば子どもの学力は伸びる −驚きのフィンランド教育−』の紹介を続けたいと思います。
フィンランドの学校では、格差をなくし、どこでもいつでも学べる学校にして、学級内では学力差に応じて個別指導ができるようにし、その結果、国全体の学力差を最も小さくしながら国際的に学力を最も高くしているということがデータでわかる。
PISAの最大の功績は、平等と高学力とは矛盾しないと指摘したことであろう。学校や経済的背景を平等にすれば、国民の平均学力は高まるということを事実に基づくデータで証明したのである。これは、先進国の政治家や教育行政担当者たちの常識を覆すことになった。(37頁)
さて、先進国の政治家や教育行政担当者の「常識」とは何でしょうか。同書には明記されていませんでしたが、概略次のようなものと考えられます。「平均学力を高めるためには、学力競争が必要である」 ⇒「競争によって“勝者”と“敗者”が生まれることは避けられない」 ⇒「したがって、高学力を獲得するために“国内の学力格差”が発生することは必然であり、教育における平等と高学力は両立しない」
そのような「常識」を打ち破ったのがフィンランドの教育であったわけです。著者は次のように述べています。
フィンランドに行ってみると、何とまあのんびりした不思議な授業が展開されている。義務教育(基礎教育)にあたる16歳までは、他人と比較するような学力テストはない。「勉強するのは自分のため」という意識がいきわたり、教師は生徒を支援し、行政はそれを援助し、親は協力するという。テストで追い立てない教育のシステムが作り出されている。(9頁)
テストや競争で追い立てることをしないで、子どもたちが「自分のために勉強する」というフィンランドの姿も私たちの「常識」を打ち破るものでしょう。このような「奇跡」はいかにして成立したのでしょうか。
私は、イギリスの場合(統一テストと公開を通して学校現場と教職員を追いたてた結果、教職員は一生懸命になっているが、子どもたちの学力は中学2年生あたりで頭打ちになってしまったイギリス)と比較せずにはいられませんでした。
イギリスの実態について、私は以前の記事
で次のように分析しました。
1、国を挙げてのテスト体制と「公開」による学校への圧力は、子どもたちに「テスト向けの訓練」を繰り返しさせていくような方向へと進ませることになった。
2、このような「訓練」は、小学校段階における「学力」(例えば計算力等)を高めるには一定の効果をもたらした。
3、しかし、中学校段階で頭打ちになってしまうのは、「訓練」の繰り返しだけでは、子どもたちの「(幅広い意味での)学習意欲」を持続的に高めていくことにつながらなかったためではないか。
4、「公開」によって学校間競争が促進されていく様子は、同書を読めばよくわかる。確かに、教職員は「成果」をあげるために必死になっている。しかし、色々な工夫をしながら「楽しく充実した授業を構想し、組み立てていく」という実践は「追いまくられる状況」の中で後退しているように見える。
さて、「(幅広い意味での)学習意欲」を持続的に高めていくためのポイントは、 「学ぶことは自分にとって価値あることだ」と実感できること、子どもたちが「学ぶことの楽しさや興味関心」をふくらませていくことだと考えられます。そして上記の「楽しく充実した学び(授業)を構想し、組み立てていく」という教育実践がその重要な条件であることは論を待たないでしょう。
追い立てられる状況の中で、そのような教育実践、授業実践が後退しているかに見えるイギリスに対してフィンランドでは多くの学校で授業がそのような「豊かなもの」になっているようです。(後述)その要因は何でしょうか。
OECD教育局のシュライヒャー氏はPISAの結果を分析して次のように述べています。
フィンランドを見てみると、権限と責任はすべて学校に与えられていて、学校がありとあらゆることを決めることができるようになっています。それによって成績レベルを全体に底上げすることができると考えられます。
・・・・トップダウン方式ではなくて、学校にやる気を起こさせることによって、成績を上げられるような環境にあるということです。PISA調査の結果から、学校が自分の判断でアイディアを考え出し、それを試してみることによってよい成績を得られることが可能となることがわかりましたが、その好例がフィンランドでした。
学校にやる気を起こさせる環境を作ること、これが重要だったのです。(43頁)
驚きのフィンランド教育 3 −格差をなくせば学力は伸びる− |
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『格差をなくせば子どもの学力は伸びる −驚きのフィンランド教育−』の紹介を続けます。
フィンランドでは学力観の転換が、社会民主主義を土台にし、規制緩和・分権化という新自由主義の動きを受けて、1990年代前半に徹底することになる。教える教育から学ぶ教育へと教育観も転換された。時を同じくして、教科書検定も廃止され、視学官制度など監視・査察制度も廃止された。
ほぼ全ての権限を現場に降ろし、国はガイドラインを示すものの、条件整備と情報提供に徹することになった。そうすると、管理や監視の無駄な人員もなくなり、少人数学級が実現する。しかも、知識は国家管理から解放され、それぞれの学習主体が構成していくものとなった。(10頁)
関連して、フィンランドがPISAで高得点を挙げている理由について説明している「フィンランド国家教育委員会」の公式見解をいくつかあげてみましょう。
・すべての教育を無償にしていること
・総合制で選別をしない基礎教育
・全体は中央で調整されるが実行は地域でなされるというように、教育行政が支援の立場に立ち、柔軟であること
・生徒の学習と福祉に対し、個人にあった支援をすること
・テストと序列づけをなくし、発達の視点に立った生徒評価をすること
・高い専門性を持ち、自分の考えで行動する教師(47頁)
以上のような教育行政機関の基本的な姿勢が、最終的に子どもたちの学習意欲にも通じているようです。44頁には「PISAの重要な成果の一つは、生徒個人の成功にとって自らのやる気と動機が極めて重要であるということ(を明らかにした点)です」という記述があります。
ここでも、子どもたちが「学ぶことの楽しさや興味関心」をふくらませて「やる気と動機」を強化していくことの重要性が指摘されていますが、そのためには教員自身がじっくりと楽しみながら「楽しく充実した学び(授業)を構想し、組み立てていく」ことが大切でしょう。
そのためには、国家による管理を小さくして「できる限り権限を現場に降ろす」ことが大切だ、ということをフィンランドの体制から学ぶべきではないでしょうか。例えば、ペルス中学校においては「現場の判断でじっくり待つ授業」を展開している様子が見て取れますが、そこでの会話を引用しておきます。
問「いろいろな子どもをいっしょに教える時に注意することは」
答「待っていると、普通は、どの生徒もなかなかよい答えを作り出すものよ。反応の遅い子はできないというわけではない。だから、授業中は、生徒に勝手にしゃべらせないで、手を挙げさせます。挙げない子がいると、考えているわけだからしばらく待つわけです。」
(・・・)
問「待つ授業というのは、大学の教育学部で教えられるのでしょうか」
答「そうです。早い子、先に答えられる子に気をとられないようにと大学の先生に言われたわ。でも、私が小さかった頃の学校の先生もそうだったしねぇ」
問「日本の学校では、フィンランドよりもテンポよく授業が進み、あまり待っていないのだけど」
答「できる子だけにあてていると、授業は早く進むかもしれないけれど、できない子がやる気をなくすでしょ。えっ、日本では一クラス40人! 20人なら待てるけど40人なら待てないかもね」
問「待っていたために、授業が計画通りに終わらない時とか、うまくできない時にはストレスはないのでしょうか」
答「全然ないわよ。だってこどもの状態だって違うし、授業が計画通り行くわけないに決まっているじゃない(・・・)」
なんとバカなことを聞いてしまったことか。日本との差は大きいぞ。 (178頁)
『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』ではフィンランドの授業実践が数多く紹介されていますが、そこには共通点があります。はためには「なんとものんびりした授業」が行われている、という点です。言い換えれば、一つひとつの授業が早急に答を求めるのではなく、子どもたちの「思考過程」を大切にしているということです。
そして、そのような「思考過程」を大切にしつつ「待つ授業」を可能にしている重要な条件が「ほぼすべての権限を現場に降ろす」という意味における教育の分権化(民主化)だったと考えられるのです。
驚きのフィンランド教育 4 −格差をなくせば学力は伸びる− |
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前回、フィンランドの教育の特徴として「思考過程を大切にする授業」、「待つ授業」を取り上げ、それを可能にしている条件は「ほぼすべての権限を現場に降ろす」という意味における教育の分権化(民主化)であることに触れました。
なるほど、じっくり待つ授業を展開することによって「できない子がやる気をなくす」事態はかなり防げそうです。それが許されるなら、じっくりと子どもたちの思考過程を大切にする授業を展開したい、と考える教員は(日本にも)少なくないと思います。
しかし、「テストもしないで充分やる気を引き出せる」と自信を持って断言できる教員は少ないかもしれません。フィンランドではどのようにして子どもたちのやる気を引き出すのでしょうか。
「フィンランドの教育は、テストのためにとは言わないで、自分のために学びなさいと言う。では、どう自分のためになるのか。そこを先生が意識的に語りかけていく。」(『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』 驚きのフィンランド教育 181頁)
例えば、同書で紹介されている授業に「手や足を使って測定する」というものがあります。
(『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』 驚きのフィンランド教育 182頁)
両手を伸ばして「一ひろ」を測ったり、歩いて「歩幅」を測ったり、足の裏を出して「脚のサイズ」を測ったり。(・・・)先生が言うには、「体の大きさを知っておけば、外国に行ってもだいたいの大きさがわかるのよ。お店に行っても、メジャーがなくても商品を測ることができるでしょ」と。
上記の報告(レポート)は単純なことですがなるほど、と思わされるものがありました。フィンランドの子どもたちが「実践的応用力」に優れているというのも、可能なかぎり「具体的な生活や経験」と結びつけるような仕方で授業や学習が行われているからなのでしょう。
確かに、もともと数学というものは「畑にまく種をどれくらい準備したらよいのか」という生活の必要から「面積を求めて種の量を考える」とか、「城壁を築くためにどれだけの煉瓦が必要なのか」という問題に対して「体積を求めて煉瓦の量を考える」といった形で、具体的な生活や、必要に迫られている建築などと結びつきながら考案され発展していったものなのでしょう。
そのような「学問の原点」に立ち返りつつ、「具体的な生活や経験と結びついていく学習」を授業の中で創っていくことが大切なのではないでしょうか。
「フィンランドでは(・・・)自分のために学びなさいと言う。では、どう自分のためになるのか。そこを先生が意識的に語りかけていく」ということでした。そして、様々な工夫によって「自分のため」と実感できるような学びを創造していくこと(実践的応用力=リテラシーを育てていくこと)が、フィンランド教育が成功した大きなポイントであるように思われます。
比較すれば、はるかに「中央集権的な教育行政」が行われている日本であっても、可能な形で現場の教職員が発想を転換していくことが大切なのではないでしょうか。
(もちろん、他国にも刺激を受けつつ制度をよりよいものへと改善していくことは必要なのです。そのことについてももう少し述べたいと考えています。)
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質の高い授業
さて、前回の記事では「○○先生に学ぶ」というテーマで行う「学習会」を通した「学校づくり」について紹介しました。このように、教職員同士が「生活指導」だけでなく「授業」のあり方についても「学びあう」ことが大切なのは言うまでもないことでしょう。
そのような「学校づくり」の事例に先立って、(『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』から)フィンランドのある授業を紹介します。
国内のお金の流れから、国や企業などの社会機構の役割を理解する授業だった。日本人が授業見学に来る予定だからといって、アウテレ先生は対外貿易からフィンランドと世界の国の関係を見る授業に発展させていた。(・・・)
一斉授業だが、教師が上手に生徒の意見を引き出して、考えさせる授業であった。
(『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』193頁)
プリントのデータを読み取らせ、ケータイを使って計算もさせる。
中国とは輸出超過だが、日本とは輸入超過の関係にある。これは、中国にはケータイ電話がたくさん売れているのに、日本にはあまり売れていないということだ、などいろいろ考えが出る。 (『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』194頁)
(『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』195頁)
(『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』198頁)
授業風景の写真からうかがえるのは、この授業が生徒の知的な関心を充分引き出すものになっていることです。(↑最後の2コマ「授業が終わっても考えは発展し、先生のもとに生徒が集まってきて質問し、まだ考えて、なかなか去ろうとはしなかった」)
著者も「相当高い専門力」を基盤とする「質の高い授業」と絶賛していました。「事象そのものに対する興味・関心」と「学び、探求していこうとする意欲」がふくらんでいくこの実践は素晴らしいもので、私たちが目指していくべき授業のモデルといえるでしょう。
私は、以前のブログ記事(競争しても学力行き止まり 6 )で、日本における成人の「科学的応用力」の低さを問題にしてきましたが、それは、「“受験競争という刺激”に頼りすぎ、対象(事象)に対する自然な興味・関心をふくらませる教育に失敗しているためではないのか」、自らを省みる必要があると感じます。
しかしながら、まさにこの日本において行われている「上記写真のような質の高い授業」を私自身は何度も参観することができました。その学校は「授業研究」が盛んに行われている学校でした。
次回記事は、 「授業研究」を中心に「学校づくり」を実践している事例について紹介したいと思います。
フィンランドに負けない日本の教育 |
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ここ数回、「驚きのフィンランド教育」という題で、その優れた面や学べる面を紹介してきましたが、現地に行って授業や教育の実態を見て来られたKさん(ブログ記事「学校の力を高める」で紹介したU高校のキーパーソン)とお話しする機会がありました。
「すべての権限を現場に」という方針が教職員の士気を高めている、(旧ソ連が崩壊すると同時に襲ってきた経済危機の中で「教育の再生」を目指したが)、その方法について真剣に模索し「競争をやめた結果、学力世界一になった」、等々フィンランドの教育現場や教育行政機関の生の声をたくさん聞かれたようです。
その中で印象に残ったのは次の話でした。
(社会の問題を自ら考え社会を形成していく)「市民(公民)を育てていく教育をどのように創っていくのか」と質問したところ「すべて教科の教育によって行う」という答えが返ってきた。
つまり、フィンランドでは日本で行われているような「特別活動」の領域がなく、教科以外の活動を通して上記のような「市民としての力」を育てていく視点がない。これは、フィンランドの教育の弱い面だと感じた(Kさん)、ということでした。
それに対して日本では「特別活動」がきちんと位置づけられています。確かに、日本においても「戦争直後」は教科の領域しかありませんでした。
が、教育基本法で定められた目標(=「人格の完成」、「平和的な国家および社会の形成者」の育成)を実現していくためには「教科教育」だけでは不充分だ、ということが当時(1950年代)の文部省で論議されたのです。その結果、新たに「特別教育活動」の領域(例えば学校行事、生徒会活動、ホームルーム活動、クラブ活動など)がつくられた、ということです。
確かに上記の活動は制度的にも実践的にも日本の学校教育において重要なものになっています。他の生徒とともに活動をすることによって、あるいはそのような活動に関連して「原案づくり⇒討議⇒決定⇒実行⇒総括」といった一連の手続きを体験することによって、「市民としての力」が培われる、という面は大いにあるでしょう。
子どもたちはそのような体験を通して「民主主義」を学び、集団の中で他者に配慮しつつ要求を組織・実現していく力をつけることもできるでしょう。「特別活動」が常にそのような成果を挙げられるとは限りませんが、「成果を挙げるための実践と方法」は民間教育研究団体である全生研や高生研が長年にわたって培ってきました。
ちなみに上記の研究団体のいう「生活指導」とは「(子どもたちを)生活そのものが指導する」、「生活・活動の体験が子どもたちに“力”をつけていく」というものです。
さらに、そのような「生活指導運動」は、戦前・戦中の(命がけで権力に抗いつつ展開された)「生活綴り方運動」に源流を探ることができます。
10数年前、高生研全国大会の「生活綴り方と集団作り」の分科会では、次のような方法が提起されました。
1、まず生活台(具体的経験)を見つめさせる。
(個々人の生活体験についての作文や、地域の人々への聞き込み調査など)
2、そこから出てくる共通の問題・課題を確認し、討議・決定を経て、それらを乗り越えるための集団的な取り組みを行う。
(生活の中から出てくる問題を素材にしたHRの集団活動や、地域の問題を素材にした演劇の作成・上演など)
3、行いえた活動・行いえなかった活動について(討議・決定の過程も含めて)総括を行う。
戦後の特別活動を実践的・理論的に支えた「生活指導運動」は、戦前・戦中の「生活綴り方運動」を受け継ぎながら、新たな実践・理論として発展していきました。このことは確かに世界の教育界でも稀有なことだったのかもしれません。
私自身も「生活指導運動」を担う一員として、そのような財産を受け継ぎ伝えると同時にさらなる実践を積み上げていきたいと考えるものです。
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この間、ブログ記事「驚きのフィンランド教育」を連載してきましたが、成績上位層に対する指導の実態や結果について、これまで言及していなかったので補っておきます。
実際、Psycheさんから次のような質問がありました。
>「格差をなくす」というのが「底辺層の学力UP」というのは理解できました。
>しかし、上位層の学力が上がらなければタイトルにあるように
>「格差をなくせば学力は伸びる」ということと矛盾しませんか。
この質問について(前回コメントではうっかりしていましたが)、まだ示していないデータも示しながらお答えします。
さて、OECDの国際学力テスト(PISA)のデータからまずわかるのは、「フィンランドは学力格差が小さい」ことと「平均が高い(伸びている)」ということです。しかし、それだけではありません。次のグラフをご覧ください。
『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』41頁
確かに、このグラフでまず目立つのは「フィンランドの下位25%の高得点」です。
しかし、上位25%の「高学力層」に限定した国際比較(数学的リテラシーの比較)においてもフィンランドはアメリカ、ドイツ、日本などを上回っています。
そもそも、「底辺層に手をかけた結果、その他の生徒が伸びない」という状況が生じていれば「学力世界一」にはならないでしょう。ここで、『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』を引用しておきましょう。
改めて確認すれば、フィンランドの姿勢は、底上げはするが、上は際限なく解放とすることである。フィンランドの人々の言葉で言えば、
「(・・・)できないひとの底上げはするけど、できる人は放っとくんです。だってできるんだから」ということだ。(41頁)
確かに、普通に考えるとこの方針は、高学力層の伸び悩みを招きそうですが、「自立して学べるように育てていけば教師や大人を越えて伸びていくようになる」(同)というのがフィンランドの教育関係者の主張です。そして、実際のデータを見るかぎり、そのような「やりかた」は一定成功しているように見えます。
「(フィンランドの)学校では、算数は基本的に教科書を用い、進度に応じてワークブックをコピーして渡していた。それもやり終えた子どもは、自分で答えあわせをして先に進んでいた」(161頁)、という光景が「象徴的な姿」のようです。
上位層を「放っとく」方針にもかかわらず、フィンランドにおいては「研究・開発」を担う人材も豊富で、国際競争力指数も日本より高いわけですから、「一種のミラクル」と言えるかもしれませんね。
>それでは、できる子どもは放っておいても勝手に伸びていくのでしょうか。
それは一般論としては成り立ちがたいのですが、フィンランドで実際に伸びているのは「学習への動機づけ」に成功しているからでしょう。
実際の授業場面では、個別の演習等の時間中、担任や「支援職員」は遅れた子につきっきりです。その間、できる子は「することが終わって遊んでいる」場合もあるのですが、はるかに多くの子どもたちが思い思いに「どんどん学習している」様子がわかります。
対象への関心(自然科学・社会科学)や、具体的な生活・経験とのつながり(数学)、情報を取り出し解釈することの楽しさ(読解)等の形で「学習そのものへの動機づけ」が成功すれば、色々なことに関心を持ちながら自ら(生涯)学び続けることにつながりそうですね。
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『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』の最終章「フィンランドという鏡に映る日本の教育」において、福田誠治氏は「フィンランドで行われている教育は、日本とまるで違うかというとそうでもない。フィンランドの教育改革を、かつて日本も模索したことがあった」と述べ、教育制度と教育実践の両面から例を挙げています。まず後者(教育実践)から述べてみましょう。
戦後新教育の実践でユニークなものは、1950年前後に山形県の山村で実践された『山びこ学校』である。
教師となった無着成恭は、戦後新しく始まった「社会科」教育を、生活綴り方という教育方法を使って学ばせていった。
生活を綴ることで、生徒たちに自分の生活をありのままに見つめさせ、そこから問題を考える教育方法であるが、さらにその問題をクラス皆の問題として受け止め、その綴り方をもとにクラスで集団討議や集団学習で問題を深めるというものであった。
課題を集団のものにすることで個人の理解がより発展させられる。この過程で、学習が展開される。また、自分が覚えた知識が有効なのかどうかを点検し、必要な知識を新たに探求するというプロセスが作り出された。
また、個人の生き方を集団の生き方と重ねることによって、より社会的に有意義で価値のある生き方を追求することも、実感を持って学ばれた。こうして経験主義と集団主義が結合した一つのユニークな教育スタイルができあがった。
日本の生活綴り方は、今日流に言えば 「共同の知」を作り出す高度な教育活動であったとも見なせる。(以上 212頁〜213頁)
フィンランドの授業場面から感じられることは、学びを「生活そのもの」と結びつけ、子どもたち自身の思考力と「実践的応用力」を伸ばしていこうという姿勢です。が、上記の「生活綴り方」の実践もまさに「生活そのもの」「具体的経験」を軸に教科活動と教科外活動(授業と「生活指導」)を結合していく取り組みだといえるでしょう。
自らの生活を文章化し討議することで、社会(世界)のありようと問題が見えてくる。そして、生活の中から出てくる問題を素材にしたHRの活動や、地域の問題を素材にした演劇の作成・上演などは、「(同年齢集団も含む)社会や地域」と関わる集団的行動であると同時に、社会(世界)に関与しつつ社会をとらえなおす「学び」につながるものでしょう。
さらに、私は福田氏の次の言葉にも注目したいと考えます。
『山びこ学校』は、発売後5年間で10万部を販売し、映画や劇にもなった。この文集に収録されている江口江一「母の死とその後」は、日本教職員組合(日教組)と教科書研究協議会主催の全国作文コンクールで文部大臣省を受賞している。(214頁)
この取り合わせが日本の教育界の協力関係を教えている。日教組と文部省は敵対していたわけではなく、教育界も分裂していたわけではない。(214頁)
なぜ、そのような関係が成立していたのでしょうか。次回はそのことを述べてみたいと思います。
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前回記事にも書いたように『山びこ学校』の文集に収録されている江口江一「母の死とその後」は、日本教職員組合(日教組)主催の全国作文コンクールで文部大臣省を受賞しました。福田誠治氏は「この取り合わせが日本の教育界の協力関係を教えている」と述べ、「日教組と文部省は敵対していたわけではない」ことを強調します。
それではなぜ、そのような関係が成立していたのでしょうか。
戦後しばらくの間、文部省も現在のフィンランドと同様の制度改革(「すべての権限を現場へ」)という教育の民主化・分権化を目指していた、ということが大きな要因であると考えられます。まさにそのような方針のもとに「良好な協力関係」が成り立っていたのです。
私は、採用されて5年目の研修で講師をされた「ある学校長の話」を今でも鮮明に覚えています。「戦時中の教育を受けていた私だが、戦争が終わっていろいろな改革が進むのをまのあたりにして『素晴らしい時代がやってきたものだ』と強く感じた。真っ黒な雲から太陽の光が差し込み、世界がまばゆい光に包まれるという感じだった」、という話でした。
日本国憲法が制定され、教育基本法ができ、文部省も「新しい憲法の話」という副読本を制作・発行した時代のことです。福田氏の記述を引用しましょう。
戦後新教育では、知識は探求するものであることが認められていた。まず、学習指導要領は、全国統一ではなく、各県ごとで作成することが予定されていたようである。(・・・)地方自治が生かされるはずであった。
1949年の『文部省設置法』では、文部省を(・・・)「従来の中央集権的監督行政の色彩を一新して、教育、学術、文化のあらゆる面について指導助言を与え、またこれを助長する機関」と説明してある。そこで、戦後は「学習指導要領(試案)」と名づけられたように、学習指導要領は各学校における教育課程編成のための参考資料(指導助言文書)に過ぎないと見なされた。
(『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』206頁)
知識は子どもが主体的に獲得するものである、それは大人が全部用意できるものではないという原則を提起していたのである。さらに、実際の教育は、現場の判断が極めて重視されていたのである。
このような立場は、1990年代の「教育大改革」以降のフィンランドの立場に極めて近い。(同書 210頁)
そのような「素晴らしい改革」であった戦後の教育改革がその後どうなっていったのか。
60年も経って教育基本法の「改正」がなぜ国会で強行採決されることになったのか。
次回はそのことについても述べていきたいと思います。
戦後日本の教育改革とフィンランド |
[ 戦後の教育改革 ] |
まず、3月22日の記事「フィンランドという鏡に映る日本の教育 2」の末尾の内容を確認しておきます。
1949年の『文部省設置法』では、文部省を(・・・)「従来の中央集権的監督行政の色彩を一新して、教育、学術、文化のあらゆる面について指導助言を与え、またこれを助長する機関」と説明してある。そこで、戦後は「学習指導要領(試案)」と名づけられたように、学習指導要領は各学校における教育課程編成のための参考資料(指導助言文書)に過ぎないと見なされた。
(『格差をなくせば子どもの学力は伸びる』206頁)
実際の教育は、現場の判断が極めて重視されていたのである。
このような立場は、1990年代の「教育大改革」以降のフィンランドの立場に極めて近い。(同書 210頁)
なぜそのような戦後の教育改革が成立したのでしょうか。1947年に成立した「教育基本法」が文字通り教育行政機関によって“実行”されていったことが大きいと考えられます。そのことについては、『いま、教育基本法を読む 歴史・争点・再発見』(岩波書店、2002年刊)に著者堀尾輝久氏の要を得た説明がありますので引用・紹介しておきます。
第10条(教育行政) 〔1947年に制定された教育基本法の条文−引用者〕
(1)教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。
(2)教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない。
教育の自由と自律性 本条は、ある意味ではもっとも論争的な、それだけに重要な条項です。
この条項が設けられたのも、戦前の、教育行政のあり方への深い反省に基づいています。
帝国憲法と教育勅語のもとで、教育行政は、地方の実情を無視して中央集権化され、しかも内務行政と固く結びついて、教育行政の独自性がそこなわれていました。(・・・)
戦後改革期の文部省の法令研究会の10条解説の中にも、戦前の教育行政制度の問題点について次のように述べていました。
「この制度は、地方の実情に即する教育の発達を困難ならしめるとともに、教育者の創意とくふうを阻害し、ために教育は画一的形式的に流れざるをえなかった。
又この制度の精神及びこの制度は、教育行政が教育内容の面にまで立ち入った干渉をなすことを可能にし、逐には時代の政治力に服して、極端な国家主義的又は軍国主義的イデオロギーによる教育・思想・学問の統制さえ容易に行われるに至らしめた制度であった。
(・・・)このような教育行政が行われるところに、はつらつたる生命をもつ、自由自主的な教育が生まれることは極めて困難であった」
(文部省、教育法令研究会編、『教育基本法の解説』、1947年)。
本条は、このような反省に立って、教育の自律性と教育の自由を保障し、官僚統制や外部の圧力に屈することなく、教師が不断の研究と修養に基づいて、多様な教育実践を創りだすことをめざし、それを励まし、その条件をととのえる任務を持つものとして教育行政のあり方を定めたのです。
以上、この部分だけでも長い引用になりましたが、このような教育基本法の精神と戦後教育改革の原点を確認しておくことには大きな意味があると考えます。
福田誠治氏は日本における戦後(戦争直後)の教育改革(教育の民主化、分権化)は、教育大改革以降のフィンランドの立場に極めて近いと述べていますが、まさに戦後教育改革は「すべての権限を現場へ」という教育の民主化から始まったのです。
なぜそれが変わっていったのでしょうか。それを考える上ではまず、教育がその時々の政治によって大きく左右されたり利用されやすい(そのような強い傾向がある)ということについて認識しておく必要があると考えます。
戦後における教育行政の転換 |
[ 戦後の教育改革 ] |
堀尾輝久著『いま、教育基本法を読む 歴史・争点・再発見』(岩波書店、2002年刊)の引用・紹介を続けます。
〔引用〕
本来の教育行政は、こういう実践を行うためには、こういう条件が必要なのだという教師の教育の内容や実践についての要求に耳を貸し、条件を整えていく責務をもつものであり、教育と教育行政のこのような関係こそが、つくられるべきだと思うのです。
そのためには学校の実情がよくわかる地方教育行政の責任は大きいのであり、そのために教育委員会法(1948年)では教育委員に公選制がとりいれられ、父母・住民・教師の教育条件整備にかかわる意向を直接に反映させるようにしたのです。
〔コメント1〕
この教育委員会法も戦後における教育の民主化の重要な柱となるものであり、その第一条には教育基本法十条の文言がそのまま取り入れられています。
「この法律は、教育が不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものであるという自覚のもとに、公正な民意により、地方の実状に即した教育行政を行うために、教育委員会を設け、教育本来の目的を達成することを目的とする」
しかし、このような法の精神はその後、しっかりと尊重され具体化していったのでしょうか。残念ながら答は「否」ですね。
〔引用〕
戦後の教育史においては教育の自律性を保障すべき教育行政がその任務を超えて、教育の自由の精神を踏みにじり、管理を強化してきたといえるのです。そしてその歩みが、特に1955年頃を境に大きく進められていき、その動きの中で、この十条解釈が大きな争点になってきているのです。(・・・)
〔コメント2〕
仮に時の権力(政権担当者)が教育を思い通りにしようと考えた時、妨げになるものは何でしょう。いうまでもなく戦後の日本においては、教育基本法十条(およびその精神をそのまま反映した1948年の教育委員会法)でしょう。実際、政府(政権政党)によって行われたのは、十条の解釈を変更し、その精神に反する法を制定することでした。
〔引用〕
「義務教育諸学校における教育の政治的中立の確保に関する臨時措置法」が、1954年、国会に警官隊を導入して強行採決されて、制定されます。これは、(・・・)基本法の措定する国家と教育の関係、そして国家権力からの独立という意味での教育の中立性の原則を大きく変え、国家は中立の保持者として、何が偏向しているかを裁く地位につく、という大転換を意味するものでした。(・・・)
もう一つは、1956年に教育委員会法が改正され、「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」(地教行法)が通り、公選制の教育委員会が任命制に変わったのです。
〔コメント3〕
創意工夫しながら教育を自主的に創っていく権限を、地方に、教育現場に、国民(地域住民)に、という戦後における“教育の民主化政策”は、このように大きく転換し、“教育の中央集権化”が進められていくことになります。
その背景となる政治情勢はどのようなものだったのでしょうか。
戦後、資本主義陣営と社会主義陣営が激しく対立するなかで、米国の対日政策が当初の「民主化・非軍事化」から「日本を極東の(軍事的)防壁にする」という方向へ転換し、日本の再軍備と「防衛力増強」を強く求めていくようになった、ということが真っ先に挙げられます。
1953年の朝日新聞に載った池田・ロバートソン会談覚書の一部を紹介しておきましょう。
(一)日本の防衛と米国の援助
会談当事者は日本国民の防衛に対する責任感を増大させるように日本の空気を助長することが最も重要であることに同意した。日本政府は教育および広報によって日本に愛国心と自衛のための自発的精神が成長するような空気を助長することに第一の責任をもつものである。
当時の政治家(政権政党)によって結ばれた上記のような合意を具体化していくための手段として教育が位置づけられ、「教育の民主化」から「教育の中央集権化」へと教育行政の方向が大きく転換していくことになったのです。
制定後60年経って行われた「教育基本法改正の強行採決」についても、そのような歴史を踏まえて理解していくことが大切であると考えます。