竹内文化論・宗教論をたどる

〜『文化の理論のために』、『意味への渇き』を中心に〜

 

一、はじめに 

1 竹内芳郎の思想的歩みから

 1953年、大著『存在と無』に「出会って」以降、サルトルから多くを学んだ竹内芳郎。理論内容の継承もさることながら、まさにサルトルの姿勢‐「社会的・歴史的状況に全力で向き合い(現実の徹底的な開示をめざし)、そのつど己の思想を鍛え上げ、創造していくという姿勢」の最良の継承者こそが竹内だったと私は考えている。

 

『サルトル哲学入門』から30年の時を経て刊行された『具体的経験の哲学』において、竹内自身、「私にとって思想とは、現実が突きつけてくる諸課題におのが存在の総体をもってして能うかぎり誠実に応接するための理論装置にほかならず・・・私としては、イデオロギーとしての実存主義からは、かなり前に脱却したにしても、この根本の思想態度においては、いちども実存主義者たることをやめたことはないし、今後も最後までやめることはないであろう」1,P.4 〔最初の算用数字は本稿末尾の引照文献の番号、以下同様〕)と述べている。

 

そのような竹内が1950年代後半から「社会的状況の総体的分析の最も強力な武器であるマルクス主義」2,P.383)をとことん学んだのは当然であった。そして「旧マルクス主義」の生み出した惨憺たる現実(スターリン時代の粛清、強制収容所、ハンガリーの民主化運動に対する軍事介入〔1956年〕等々)を乗り越えるための理論形成‐「唯物論のマルクス主義的形態」に始まる論考(『マルクス主義の運命』所収の論文など)を通して〈真正な〉マルクス主義を復元し、「スターリン主義」を克服しようと奮闘したのも必然的な歩みだったと頷ける。(竹田青嗣への手紙「2,認識論の問題について」以下を参照)

 

このような竹内の思想的営みはサルトルが現実と格闘しつつ第二の哲学的大著『弁証法的理性批判』を著した問題意識とも重なるのであるが、「世界史の進展につれて、もはや単なる〈非スターリン化〉の貫徹ぐらいでは事態はどうにもならないことが徐々にわたしにもわかってきた」2,P.385という。

 

そのように竹内が考えるに至った背景には何があったのだろうか。1968年、「プラハの春」を(またしても)ソ連軍の介入によって圧殺した「チェコ事件」、日本国内の「全共闘運動」も含め全世界で沸き起こった学生叛乱、それに先立って66年に中国で始まった〈プロレタリア文化大革命〉だった。(2,P.386)とりわけ、わが国における学生叛乱に関する一文(「大学闘争をどう受け止めるか−全共闘の問題提起に応う−」)からは、現実の問題へ真摯に応答しようとする竹内の構え・姿勢がひしひしと伝わってくる。 

 

 このような経験(歴史としての現代・現実を受け止め、全力で応答していく経験)を積み重ねることで竹内は「国家権力の奪取をめざす政治革命」を超えた長い革命‐「文化革命」への展望をも取り込みながら、自らの思想を鍛えあげていくことになるのである。

 

2 「文化論」の意図 

引き続き『実存的自由の冒険』から竹内の言葉を引用しておこう。

「わたしにおける文化革命〉の思想は、そのものとしては69年の論文集『文化と革命』、72年の著作『言語・その解体と創造』、74年の『文化と革命』、75年の著作『国家と文明』などで展開されており、その意味ではあきらかに第三期(1955年までの〈実存主義の時代〉が第一期、56年から67年ごろまでの〈実存主義をマルクス主義内部に積分した時代〉が第二期、68年以降の〈世界史の現況の中でマルクス主義そのものの再検討を始めた『国家と文明』に代表される時代〉が第三期:補の思想作業にぞくする。

 

しかし、発想の根そのものとしては、それはとおく戦後ごく初期から胎内に宿されていて、(・・・)52年の文章に見られるとおり、単なる政治・経済的変革には尽くせない〈生活自体の変革〉、〈思考仕方の変革〉という発想がそれであった。・・・それが第二期における〈人間の全体性〉思想を」媒介にして、さらに世界史における〈文明転換〉の課題にまで拡大成長を遂げていったところに、私の〈文化革命〉論の固有の歩みがある。」2,P.390391) 

 

まさにこの〈文明転換〉への理論的・実践的展望を明らかにしようとした著書が『国家と文明』である。この執筆によって竹内は「『サルトルとマルクス主義』以降の十年間の思索を一応総括することができ・・・人類史の未来を打開していくための方向性をある程度は見極めることができたように思う」(2,P.386と述べ、それに続く理論構築の課題を次のように明記する。

 

「いまわたしが少しずつおし進めていることは、みずからの言語理論の成果を踏まえつつこれを記号論にまで拡大させ、あらゆる文化現象をその基底において整除しうる一般記号学を建設し、それによって現代の人類が逢着している〈文明転換〉の課題にしっかりした理論的基礎を提供する作業である。」2,P.391そしてこの作業(『文化の理論のために』の執筆:補)によって「わたしは戦後まもなくはじめた自分の思索にひとつの集大成を与えることができるのではないかと思っている」2,P.391と。なぜ集大成といえるのだろうか。まずは、その概要を見ながら検討していこう。

 

ただし、なにぶんその記述は膨大であるため、そのきわだった論点を中心に「見出しを付けて要約しながら」検討を進めていくことになる。要約・紹介部分も含め、「引照文献」として註記するが、引用部分に私が補う場合は( ・・・ :補)として付加する。

 

二、『文化の理論のために』の概要と検討

『文化の理論のために』は以下のような章立てで構成されている。

第一部         文化とは何か

序 章 文化の悲惨を知ること       

第1章           狂気としての文化の誕生

第二部 言語と記号

第2章           言語と想像力

第3章           記号の構図

第4章           言語意味論

第三部 想像力の文化記号学

第5章           〈想像力の文化記号学〉序説

第6章           社会と想像力

第7章           カオスとコスモスの弁証法

第8章           コスモスへのカオスの叛乱

第9章           〈世俗化〉を」めぐって

終 章  文化のパラダイム変換をめざして 

 

第一部     文化とは何か

序 章 文化の悲惨を知ること 

1 <文化革命>の課題と方法

今日、人類の帰趨を決める真の争点をなすものは何だろうか。竹内によれば自然を人間が征服・搾取する対象とみなす<自然>観、人間を生物進化の頂点に措定する自己至上主義的<人間>観、非産業社会にたいする産業社会の優越性を信じて疑わぬ近代主義的<進歩>史観―こうした包括的イデオロギーとどのように対決してゆくかであり、現代革命は<文化革命>=人間文化の総体を変革する運動にならざるを得ない、というのである。

 

このような視点は、いまなお有効であるばかりか、ますます重要性を増していると考えられる。とりわけ現在は、同書が執筆された当時(1981年)以上に、気候危機の問題が「生物種の絶滅」や干ばつ・砂漠化、気象災害の多発等として迫っている。これまで傲慢にも自然を征服・搾取してきた重大な影響が、地球規模での深刻な打撃が加速しつつあるのだ。  

 

米国の〈原爆博物館〉で展示・公開されている「最終兵器」の説明文⁻「原子爆弾は、人類にとってもっとも文明的な戦争手段をもたらした」という言葉を引きながら竹内は「文化闘争の相手は<科学的野蛮>にほかならない」と言い切る。例えば「武器の累進的進歩を可能にし、必然にもしてきた過去数千年来の文明とは逆の文明」の創造、もっと言えば、「自然の生態系を破壊し、大気の組成さえも変えることで地球規模の危機をもたらしている文明」とは逆の文明を創造していくことも現代の重要な課題なのだ。そのなかで、「既成の資本主義も社会主義も、ともに確実に埋葬される」というわけである。3,P.388 

 

竹内によれば文明の危機の特徴は、文明それ自体がみずから招いた文明の<自己疎外>現象だという点にある。その抜本的な解決のためには、人類文化の基底的な構造を、その文化の網を仕立てている生地そのものからもういちど洗い出してみるという知的な作業を要する。それを完遂するためにも、視野を<文化>出現以前の動物世界にまで拡大し、<野獣の光学>をもって人間文明の総体を照射することが必要だという。

 

この<野獣の光学>にかかわって、「竹内文化論」に貫かれている「方法」に触れておこう。とりわけ強調したいのは、著者自身が現象学理解の総括を通して明確にした「具体的経験の哲学」が理論形成に生かされているという点である。それは第一に個別諸科学も含めた様々な知見によって「具体的経験を異化」し人間文化を検証することでその本質に迫る、第二に「具体的経験に立ち返り」経験そのものを通して「言語学を含めた様々な科学的言説」を検証する、という営み・方法である。 

 

その目的は何か。上記のような二重の検証を通して獲得された成果をもう一度「具体的経験の場」に生かしていくことである。「具体的経験の場で感得されるべき生活の充実はいかにして獲得されるか、具体的経験の場で感得されている疎外はいかにして克服されるか」を追求すること(4P.135、「竹内文化論」においては、現代の人類が必要としている<文化革命>の課題を遂行することこそがその目的なのである。

 

〔※『国家と文明』において竹内は「マルクス主義の弁証法的再構成」および「文明転換と支配の廃絶」の展望を、『文化の理論のために』では、人間を根底から規定している文化の根本的変革〔=文化革命〕の指針を明らかにする方法=文化記号学を正面から提起した。この両書で展開される「個別諸科学による具体的経験の異化」は徹底的で、ぶれることのない透徹した論旨とともに、驚くべき数の引照文献〔『国家と文明』153、『文化の理論のために』382〕も、その徹底性の一端を物語っている。なお、両著に先立って竹内は、「具体的経験の哲学」を活かした<世界=内=科学>、<等身大の科学>を科学本来のありようとして提唱している。(『マルクス主義の運命』所収の論文より)〕

 

後に竹内自身が上記「第一の方法(=具体的経験の異化)」にかかわって、次のように述べている。「とりわけ、『国家と文明』以後、〈未開社会〉と〈動物世界〉とを好個の鏡として、私たち自身の具体的経験を〈異化〉するように努めてきた(私のいわゆる〈野蛮人の光学〉と〈野獣の光学〉)。そのため、私の仕事は最近、一見したところ哲学者の固有の仕事ではないかの観を呈してきているが、にもかかわらず、個別諸科学のどこにでも越境しながらもそこからかならず再び具体的経験にまでたち戻り、そこでの科学的成果の実存的意義を考えなおすという操作を加える点で、個別科学者の仕事とは本質的に異なっているはずだと思っている」(1P.28 と。

 

ここでやや先回りしていうと、『文化の理論のために』は生物としての人間の欠損性・劣等性を強調するとともに、劣等性の自覚可能性にこそ人間の手にのこされた唯一の優越性、尊厳性のあかしを見る。「ひとり人間だけは赤面することのできる動物である、あるいは赤面する必要のある動物である」というMark Twainの言葉から歩みを始める竹内は、人間以外の動物の視点から(<野獣の光学>をもって照射することで)人間の劣等性と、それを補完すべく人間が創り出した文化の「罪深さ」をまず描き出していくのである。

 

2 <文化>の定義 

「文化とは、他の動物の生活から区別されるかぎりでの人間生活の有機的総体だ」と、さしあたっての定義を行った後、竹内は文明と文化の両語(対立概念は〈自然〉)をとくに区別しないでもちいたいと述べる。趣旨は次のとおりである。

@  宗教・芸術・哲学とか科学とかといったもののみを文化と考えたり、それらを具体的日常生活の有機的連関から外して個々バラバラに考察したりすることを拒否。(芸術創作も宗教的献身も、摂食行動も脱糞行為も、またどんな<非人間的な>残虐行為も、ひとしなみに<文化的な>行為だ。)

 

A  人間は<文化的>なるがゆえに<自然的>な動物よりも高等な生物だ、といった思い上がった人間中心主義的思考を拒否。むしろ人間は「変質させられた動物」(ルソー)、「欠損した動物」(ヘルダー)であり、この欠陥を補おうとして人間みずからつくり出した苦肉の策が、すなわち文化だ。(3,P.67) 

 

人間は人間性のなかにある醜悪なもの、野蛮なもの、陋劣なものを、「動物的」「野獣的」「犬・畜生」とかと称して、あげて動物たちの性格へおしつけようとするが、動物たちは、一般には人間ほど醜悪でも野蛮でも陋劣でもない。例えば攻撃性についていうと、動物の異種間攻撃はほぼ摂食行動などの必要限度内に抑制されており、同種間攻撃も<合理的>範囲に抑制される。(ナワバリの効果、優劣の決定という目的の範囲内に抑制された闘争、攻撃の<儀式化>による流血的闘争の回避、<順位制>の効果など)。同種間の「攻撃のための攻撃」や残虐行為がみられるのは人間の特徴である。セックスについても、人間は「動物的欲望」といいたがるが、<強姦>などという忌わしい行為を常習しているのも人間だけだ。3,P.912

 

総じて、各動物種は、下等・高等の区別なぞ一切なく、おのれ独自の環境世界にみごとに適応している場合が多いのに対して、人間は、環境世界への(本能的な)適応能力を喪失している。

 

第二の定義として竹内は、文化とは「逆順応装置」である、という側面を強調する。人間は身体とその生理的機能を(環境に合わせて:補)変化・進化させるのではなく、もっぱらその文化によって(環境自体に働きかけることで:補)、生活を発展させ、多様化させてきた。それゆえ「人間は熱帯から極地にいたるあらゆる地域に生息する唯一の動物種となり得た、」というわけだ。(3,P.28) 

 

第一章      狂気としての文化の誕生

1 動物と人間の比較 
 「人間を除くすべての動物の行動は、遺伝情報によって支配された本能行動にすぎない、という常識的テーゼ」の不精確さを指摘する竹内は、本能行動ではなく<学習情報>に基づく動物の行動をいくつも例示する。さらに、単なる<学習情報>を超えた<社会情報>‐特定個体によって発明・発見され、その個体の属する社会・群れだけの習慣・伝統となった創造的社会情報‐に基づいた行動の事例もサル類等にみとめられているという。(幸島のサルによる海水でのイモ洗い、チンパンジーのアリ釣りなど)。

 

しかしながら、これらも人間文化と同じものだとはいえない。その理由は第一に、動物における社会情報の<創造性>は相互に有機的連関を形成することがなく、さらなる創造が累進化・重層化されない、という点、第二に、社会情報の世代間伝承も、関係対象が現前している場合にのみ可能になる、という点である。(3P.3637

 

2 <象徴> 〜人間と動物を分かつもの〜

この質差の本質は、心理学的には感覚=運動的次元と表象的次元との、記号学的には「信号」と「象徴」との落差だと規定できる。動物たちの創造的行為が累進化されない理由、またその伝承が対象の現前性に拘束されて実地教示の域を脱し得ない理由は、すべて彼らの行動が感覚=運動的地平をはなれず、不在または非存在のものをイメイジ化し得る表象的次元にまで超越することがなく、その記号活動も信号の使用にとどまって象徴の使用にまではいたらないからだ。(3P.3738

 

ここでいう「信号」と「象徴」との構造的相違は何だろうか。前者は外的事物を直接的に指示する直線構造をもつのに対して後者は外的事物を表象(心像または概念)を介して指示する三角形構造をもつという点である。(3P.44) 

 

 関連して<儀式>にかかわる動物と人間との違いであるが、動物たちの<儀式>は現実的なコミュニケーション(信号活動)であるのに対して人間の儀式の場合、現実的なコミュニケーション過程から外れて神や霊のごとき非現実的・超越的なものに向う。信号によるコミュニケーションをおこなう動物に対して、人間は表象世界(心象または概念の世界≒想像界)を形成し、現実との境界さえもあいまいにしていくという意味で「狂気を賦与された動物homo demensである。(3P.5051

 

 人間においては「死の意識」が表象世界を形成した、とEモランは述べているが、そうではなく、本能の退化のために魔術的表象世界の形成によって自己を防衛せざるを得なくなったと考えるべきだ。世界への不適応は、死の不安をともなうはずだからだ。人間は、死をも自然の過程に委ねておけなくなり、おのれの表象世界のなかで処理するのである。

 

死が表象世界の中で新たな魔術的形姿をとった結果、死は相反する二つの相貌を見せる。「服喪や埋葬と墓あばき」、「死への極限的な恐怖と<死の冒険>や自殺」、死の<生>化(死者たちの永世・転生・再生の信仰)・・・といった二面的な行動へ、さらには、おのれの死の苦しみの恐怖を他者への<殺人や拷問>によって転嫁・代償するようになるのである。その結果、もともとは種と個体の保存に役立っていた攻撃性が抑止力を失い、目的合理性までも逸脱して変態化をはじめたのである。その意味で、人間種の大量虐殺の背後にも、やはり生産的想像力が、先験的<狂気>が伏在していたといえる。(3P.5357

 

この狂気に理性や現実を対置してみたところでムダである。生産的想像力そのものの構造を根底から変革してゆくことなしには、とうてい破滅から這い出すことはかなわない。そもそも人間が幻想から解放されることは不可能で、あらゆる幻想と無縁な社会関係など存在しないのだ。

 

3 マルクス主義批判

竹内は、同書の中でマルクス主義の意義と問題点について明解に述べている(第5章〜6章)が、関連するのでここで触れておこう。これはいうまでもなく「マルクス主義者であった竹内自身の自己批判」の意味を持っている。

 

「マルクス主義はその徹底した歴史的見方によって、現行の社会制度とそこでのイデオロギーのすべてを相対化し、その相対化を通じて人類の新たな未来を設計してみせた」けれども、相対化を可能にした史観の理論的枠組みそのものが、実は西欧近代文明の一所産にすぎず、相対化の営為そのものが「人類史の中だけの局部的相対化」かそうでなくても「西欧近代文明の所産にすぎぬ近代〈進化論〉にそのまま依拠した〈人間至上主義〉の枠を一歩も超え出ぬもの」にすぎなかった。真に必要な相対化は歴史そのもの、人間文化そのものを、非文化のコンテクストから文化に対して〈他者〉(例えば野獣:補)の目でもって遂行されるより深い相対化の営為なのだ。3P.231

 

根本的に、あらゆる幻想と無縁な「現実的社会関係(人間)」など存在しないにもかかわらず、「吾ひとりは一切の幻想過程から醒めて真に現実的地平に立ちうるとするマルクス主義が、それ自身、歴史の中でまたひとつの途方もない阿片として作用するほかなかったことを、彼(マルクス)はついに予見することなく終わった。」(3P.262)というわけである。

 

第二部 言語と記号

第二章 言語と想像力

 第二部の言語論で竹内がまず試みたのは、「言語がいかに想像力によって支えられているか」を明らかにすることであった。これを遂行することは「言語至上主義」(言語modelで文化全般を解明できるとする主張)を打破することにもなる。その論証についてはぜひ『文化の理論のために』第二章を精読いただきたい。

 

が、先に要約した竹内の見解(信号による現実的な「コミュニケーション」をおこなう動物に対して、人間は表象世界を形成し、現実とimageの境界さえもあいまいにしていくという意味で「狂気を賦与された動物homo demens」である)からすると、「言語が文化を決定する」のではなく、文化そのものの基盤をなす表象世界(image)こそが言語を支える、という結論になるのは当然であろう。このような認識は、言語観の根底的な変革をも強制する。当然(信号的に用いられる言葉ではなく:補)、創造的なimageを基盤とする「レトリック(修辞)またはメタファー(暗喩)を言語の核とする言語理論」が要請されることになる。

 

 言語至上主義を排し、言語を相対化するために竹内が次に遂行したことは、何だろうか。「人間言語を他の生物たちの用いる様々な非言語的コミュニケーション手段のなかにつきもどして、その長所と短所とを暴露すること」であった。したがって、当然その検証は、動物も反応しうる様々な記号を含めて進められる。この試みを言い換えるならば、「野獣の光学」によって従来の言語論を異化し、言語以前の記号活動の広がりの中で、言語活動を相対化するということである。3P.123

 

第三章 記号の構図

<文化革命>を遂行するために人間<文化>の構造を根柢的に洗い出す、という目標を設定した竹内は、「<記号>の厖大な集積にほかならない文化」を意識化するために「あらたな記号学」を提唱する。そのためには、従来の記号学の陥穽⁻「人間<言語>による記号活動の特権化」を拒否することから始めなければならなかったのだ。人間中心主義的な価値序列の設定を注意深く避けながら、さまざまな記号活動をできるだけ肌理こまかに記述・分類することを試みた成果は次のようなものだった。 

 

〈記号体系をまとめた図表の要約〉(本文の趣旨を踏まえて補足を入れた)

T 感覚=運動的次元―広義の<信号>

@    <自然的指標>〔解釈記号〕煙→焚火、足跡→獲物、表情・涙…→感情状態、身体医学的症状(赤い顔→発熱等:補)、動物言語1(表情・声→気分等:補)

A    狭義の<信号>〔解読記号〕単純な人間儀礼、交通信号、道路標識、作業合図、命令語、動物言語2(ボスざるの合図→外敵・逃げろ:補)、動物儀式(イトヨの「威嚇」「造巣」行動、さるのマウンティング等:補)  

U 象徴的次元―広義の象徴

B    <文化的指標>〔解釈記号〕服装→センス・人柄・身分、パンテオン→ギリシアの文化、良質な便箋→受け取り人への尊敬、よりしろ(「神」が地上におりる時の目印:補)、(儀式・祭→神仏への共同体の願い、世界の成り立ち、王と神の交流等:補)

〔イコン化され解読記号に近づいた指標:庭石(→山、大岩:補)、生け花、盆栽〕 

C    狭義の<象徴>=<イコン>〔解読記号〕写真、デッサン、模型、十字架→キリスト教

〔指標化され解釈されるイコン:絵画、彫刻、映画、舞踊、演劇・・・〕 

V 言語的次元―<言語>;D自然言語、E代替言語・・・数学記号、身振り言語、手話等

〔※D自然言語は発話場に依存する第一次言語(日常言語)と、発話場から自立した第二次言語(文学言語および論理言語)とに分類される〕3P.171

 

以上を踏まえて<記号>とは「現前する感性的知覚物を能記(記号表現)とし、それとは別のものを所記(記号内容)としつつ、両者の間に何らかの意味作用を発生させる或るもの」だ。その意味を解釈または解読するための<解釈項>は、自然的指標を除けば程度の差はあれ「社会的」に定められている(動物言語2や動物儀式も含めて:補)。 

 

言語は「有限な手段を無限にもちいる」という固有の特性をもって他の記号のおよびもつかぬ広大な記号空間を形成、ただ一つ<内語>、そして<メタ記号(他記号を説明しうる記号:補)>となることができる記号である。3P.165ただし、その特長は「人間固有の表象体系」「嘘や狂気」を背景とする悲惨さと不可分であることを忘れてはならない。 

 

 竹内の形成した「記号の構図」、動物も用いる記号活動の広大な空間のなかに言語活動も置きなおして相対化し、さまざまな記号活動をきめ細かに記述・分類するという当初の志が具体化されており、検討過程も含めて見事としか言いようがない。ただし、この分類において「身振り言語・手話などを代替言語とすること」には疑問がある。この点は、次章の「言語意味論」を踏まえて、その末尾で触れることにしたい。 

 

第四章 言語意味論

従来の言語学の弱点は言語体系・構造からはみ出す<言語意味>(とりわけ「発話」などの言語実践によって創造される意味:補)を捉えそこなっているところにあると考える竹内は、それらを把握するためには(言語学の枠をこえ)記号学を通じて「言語実践が生み出す多様で複雑な言語意味」を全的に把握することが必要であるという。

 

竹内は、複雑多岐にわたる言語の意味作用の総体に、明確な次元(「語」「文」「発話」)の区別を設け、「語」および「文」の次元とは異なる「発話」次元の独自性を強調しながら論を展開する。旧来の言語学をのり超えたかに見える論理展開はまさに壮観で、『文化の理論のために』第四章、(および『具体的経験の哲学』第一・第二論文)の説得力溢れる論考を実際に精読されることをお勧めしたい。

 

ここではその論旨を要約するのではなく、「専門家」の構造主義的言語論よりも竹内言語論の妥当性が高いと感じられるのはなぜか、ということについて述べておきたい。私は本稿の「序 章1<文化革命>の課題と方法」の冒頭近くで「竹内文化論に貫かれている方法」(=具体的経験の哲学)に触れた。

 

それは第一に個別諸科学も含めた様々な知見によって「具体的経験を異化」し、人間文化を検証することでその本質に迫る、第二に「具体的経験に立ち返り」、経験そのものを通して「言語学を含めた様々な科学的言説」を検証する、という営み・方法である。そして、この検証を通して得られた成果をもう一度「具体的経験の場」に生かしていくことがその目的なのである。

 

『文化の理論のために』序章〜第四章では、第一の方法(動物行動学も含めた「野獣の光学」によって人間文化・具体的経験を異化すること)が徹底して行われた。「記号の構図」で「人間言語を他の生物たちの用いる様々な非言語的コミュニケーション手段のなかにつきもどして相対化」したのもこの方法を貫いたものである。

 

だが、竹内自身、自らの言語論を「現象学的言用論」と名づけている通り「具体的経験に立ち返り」個別諸科学を検証するという現象学的方法を引き続き保持している。そして、竹内文化論・言語論のこの方法こそが、従来の「言語学」の不十分さを明らかにしていると考えられるのである。それでは実例を挙げながら、その論点をいくつか取り上げてみよう。 

 

(例1)先に述べたように竹内は、言語の意味作用の総体に、明確な次元(語・文・発話)の区別を設けるべきことを主張するのであるが、「文」の次元設定の理論的根拠について次のように述べている。

多くの言語学者は、文と発話とを混同し「文は、発話または言表の単位ぐらいのもの」と認識している。それは、ソシュールが文をパロル(発話)にぞくせしめたことが背景にある。

 

しかしながら一つの文が文次元と発話次元とで別な意味をもつ事例は誰しも経験する。具体的には、文としては<疑問文>であっても<問いかけ>ではない発話の事例(要請や詰問・脅迫などの発話・・・)もいくらでも挙げられる。(3,P.183)「〇〇してくれるんじゃなかったのか!」等。「具体的経験」に照らしてみれば、誰もが確かめられることであり、言語学者による「文次元と発話次元の混同」「文は発話の単位でしかないといった言説」が不当であることを実にわかりやすく明らかにしている。

 

(例2)音声言語(さらに言うと「内言」:補)は「〈自己への現前〉の直接性をそなえている(文書態の間接性とは異なる)というデリダに対して、竹内は、「およそ言語表現なるものは未分節のものの分節化という間接性をその本質としているのであって、だからこそ私たちは、外的対象についても自分の心理状態についても「コトバではうまく表現できない」と感じることがしばしば起こり、しかもこのことは、能記表現の実質(文書態か音声言語か内言か:補)には少しも関係ないことだ(1,P.58)と明言する。この見解も「具体的経験によって確かめられる事実」に基づいたものである。

 

(例3)竹内によれば、言語に主導された成人のコミュニケーションにおいても、言語以外の「副言語的要因(身振り,顔の表情,・・・,発話のタイミング,声の大小,高低,調子,沈黙,間)」が決定的な意味を持つ。(3,P.192 195)それらが、日常のコミュニケーションにおいて大きな意味を持っているということは、個々人の経験に照らしても明らかであり、「それら(=多様な記号活動)を理論に組み入れていない言語学」の弱点は自明であろう。

 

(例4)命題においては真偽が問題になるが、「発話」の重要な価値基準は状況に応じた「適切さ」(例えば「Aさんとこの場でXの話題について語るにはこのような言い方・表現がよい」:補)である。(3,P.214)「状況における実践である発話行為」という具体的経験に照らせば、文法的な正しさや命題の真偽以上に適切さ」が重要なことはあきらかであり「それを問題にしない、できない言語学」の弱点は自明であろう。以上の例からも、「現象学的方法」の有効性はあきらかではないだろうか。 

 

だが、竹内が前章「記号の構図」において「身振り言語・手話などを代替言語と分類したこと」は妥当であろうか。代替言語という言葉は、自然言語の成立後にその代替機能を持つ特別な言語として考案・使用されるようになったものと解釈できる。だが、数学記号などはともかく身振り言語や手話の場合、むしろ自然言語以前に成立した言語ではないか、と考えられるのだ。実は竹内自身も他の個所で、そのような見方を示唆している。

 

例えば、子どもが言葉を学び始める場合、身体的表現が決定的な意味を持つことに注目し、言語というのは「はじめは他者(典型的には母親)との身体的コミュニケーション(誘発的微笑,皮膚接触,見つめ合い,・・・等)の中で、欲望を表出する身体的表現(いわゆる身振り言語)として生まれてくる」(1,P.99)と竹内は述べているが、そこから「自然言語が成立する以前のコミュニケーションが身振り言語(および動物も使う信号)によるものだった」と類推することは決して不当ではないだろう。

 

むしろ、身振り言語の代替言語として(身振りと同時に発声する形で)音声言語が成立していったと想像するほうが自然に思える。現在においても、母語を異にする者同士の対話が、片言の発話と「身振り言語」から始まることも多くの個人が経験することであろう。そして、手話というのは明らかに「身振り言語」の延長上にあり(だから、手話を初めて見た人にも何となくその意が通じるのだ)、ましてや先天的聾者にとっては手話こそが第一次言語、しかも「身振り言語の〈手話〉を使う聾の児童のほうが・・・言語発達が早い」(10,P.303)であってみれば、「身振り言語や手話は代替言語だ」という分類は、やや慎重さを欠いたものだと考えられる。

 

しかしながら、竹内の仕事の根幹に目を向ければ、はかり知れない意義がある。先行する言語論『言語、その解体と創造』、および『文化の理論のために』第二部の論述で竹内は、言語modelによって文化全般を解明できるとする言語至上主義を打破、構造の解明に終始して「実践」を軽視あるいは無視する構造主義的言語論を根底から批判し、言語実践(発話)の重要性=第一次言語・第二次言語を「発話・創造」する言語実践の重要性を明確にすることができた。

 

竹内のめざす文化革命の遂行においても、討論と合意形成を絶対条件とする民主主義の創造においても、具体的な「発話場」を開いていく言語実践の重要性は明らかであろう。

〔※ ただし構造主義言語論とは異なり、J.オースティンの言語行為論は、発話行為の重要性を踏まえて構築されおり、竹内も詳細に取り上げている。〕

 

 さらに「竹内言語論・文化論」は科学的実践の陥穽を避ける理論装置を持っていることも確認しておきたい。終章で竹内は、近代の自然科学も社会科学もすべて自然と人間に対する支配と抑圧の用具だったと指摘する3,P.395が、『国家と文明』、『文化の理論のために』は竹内の提唱する世界=内=科学」、「等身大の科学」の例証(先に述べた「具体的経験の哲学・方法」を文字通り具体化したもの)であり、あるべき科学や探究についての鋭い問題提起、科学のありようの根本的な転換にもなっている。まさに「文明転換」・「文化革命」の展望を開く竹内の「戦後における思索の集大成」ともいうべき力強い仕事である。

 

〔※ただし、これは竹内だけではない。経済学の分野でも高度成長期に深刻化した公害への反省をもとに、経済理論の根本的な再構成(自然環境・社会環境の価値を踏まえた「社会的共通資本」の公的・適切な維持管理を提唱)した宇沢弘文などが存在する。(12,P.152〜)〕

 

第三部 想像力の文化記号学(以下、竹内の章立てにこだわらず番号・表題をつける)

1 序説〜カオスとコスモスの弁証法 

 すでに竹内は、第二部の第3章「記号の構図」で、綿密に整序された「理論的基礎」を固めたわけであるが、ここから本格的に展開される文化記号学(文化革命のあるべき方向性を探究する記号学)の主たる対象は何だろうか。分類した六つの記号のうち、特に「文化的指標」と命名したもの、とりわけ神話、儀礼、祭祀シンボル(それに支えられる社会制度)重要だと読み取れる。

 

文化的・社会的動物である人間が、自己とそれを取り巻く社会・世界について、いわば、「無意識に形成している自己了解」が象徴的に表れているからだ。したがって、神話、儀礼、祭祀などの研究を通して文化・秩序の成り立ちの解明も可能になってくるのである。そして、それを解明する記号学は個々の人間にとって明確に意識されていないものを顕在化していく「社会的精神分析」の意味を持ってくる。

 

さて、ここで、文化が形成する秩序(コスモス)と無秩序または反秩序(カオス)の関係について、竹内の引照している山口昌男の著書も援用しながら整理しておきたい。

 

「文化とは、無定形の自然に、絶えず新しい秩序を与えることによって成り立つ」(4,P.95)そして、文化の次元での秩序形成は、生物学的次元でのそれとは異なり、意味形成の作用(=人間をとりまく事象に記号をつけ、それを類に分ける意識の行為)によって達成される。(4,P. 9091)文化とは、このような意味形成作業を通じて秩序(コスモス)と無秩序(カオス)との二つの領域を区別し整除する体系だ、ということができる。 

 

 秩序の領域には光、善、理性等の積極的価値を有するものが属し、無秩序の領域にはやみ、悪、非理性等の消極的価値を有するものが属する、といった具合に文化は「相反対立構造」を形成している。そして、秩序と無秩序(あるいは中心と周縁)の区分をどのように行うか、によって各文化の相違が発生するのである。

 

 以上のような区分・分類のメカニズムを通して人間社会の周縁に押しやられた反秩序(カオス)を体現するものが「異邦人、少数民族、女性、障害者、被差別民」等の存在である。このようなカオス的存在に対して秩序(コスモス)はどのように関わるのだろうか。

 

「人間は悪の形象なしに、自分の内なる統合感覚を得ることはできない。・・・中心をつくり出し、できるだけ象徴的にこの〈中心(コスモス)〉近くに身を置き、〈中心〉の対極概念である〈周辺(カオス)〉を遠ざけなければならない。・・・しかし、同時に人間は、単調さ、・・・、同じリズムで繰り返される生活のパターンに耐えることができない。・・・そうすると日常生活の価値体系はしだいに脅かされてくる。・・・なんらかの形を〈周辺的〉な事物に与えて、この事物の活力をこの世界に導入しなければならない」(5,P.9091)と。

 

つまり、秩序(中心)は周辺的(カオス的)存在を区分・排除することによって成立するが、一度成立した秩序はその惰性化・活力喪失のゆえに再創造を必要とし、そのために周辺的存在を導入する、というわけである。このため、カオス的存在は、秩序の側からみて、けがれたものでもあれば聖なるものでもあるという二重性格をもつにいたる。

 

〔※「祝祭、神話」の研究から山口は上記の見解を導く。竹内もカオスとコスモスの関係を象徴する神話として東洋の混沌神話および西洋のディオニュソス神話を例示している(3,P.276)〕

 

 だが、例えば「未開社会」‐歴史なき社会と文明社会‐歴史社会とを比較した場合、秩序とカオス的存在との関わり方そのものが異なってくるのではないか。山口はこの差異についてあまり問題にしていないようであるが、歴史社会は〈異物嘔吐型〉、歴史なき社会は〈異物吸収型〉という傾向があるのではないかという簡単な指摘を『知の遠近法』の中で行っている。(6,P.269)すなわち、歴史社会においてはカオス的存在をひたすら排除する傾向があるのに対して、歴史なき社会ではカオス的存在を吸収する傾向がある、というのである。 

 

竹内芳郎の理論を踏まえ、これ(『知の遠近法』)を敷衍すると以下のようになる。〈異物吸収型〉の未開社会‐歴史なき社会においては、カオス的存在に対する許容度が高く、秩序(コスモス)もさほど固定的なものではなく、比較的スムーズにカオスへたちもどることによって秩序の周期的な再創造が行われ、それが既成秩序の破壊、歴史の形成につながらない。

 

「国家と文明」の成立以前にあっては、カオスへの許容度が高いと同時にカオスへの郷愁は比較的少ないということ、〈未開〉社会においては一般にカオス=コムニタスターナーが提唱日常的社会規範・社会関係である「構造」※から一人ひとりが解放された平等な社会状態、「各人は万人のために、万人は各人のために」といういわば共産主義の理想が表象された社会状態:補)が通過儀礼によってあらわれ、それが俗世界のノモス(社会秩序)を変革するよりはむしろ周期的に更新するにとどまるということ(3,P. 306307)が言えるように思われる。

 

 ところがこれに対して、「国家と文明」成立以後の歴史社会においては、公権力、国家権力を中心に強固な秩序が形成され、カオス的存在(社会のはみ出し者、ルンペンプロレタリア、被差別民等)に対する排除と抑圧が激しくなり、それゆえカオスの復権は、しばしば抑圧された人々による既成秩序への反乱・革命という形をとる

 

「〈国家と文明〉成立以後になると、この〈熱い社会〉における身分または階級の峻烈な制度化に対する怨恨から、カオス=コムニタスへの郷愁が激しくなり、ためにそれへの回帰が既成ノモスの変革を志向するようになる」3,P. 307というわけである。

 

竹内は国家権力成立後のそれを明確に「差別構造」と規定すべきであると主張している。〕

 

 このように竹内は「カオス的存在に関心を持つ論者(ターナー、山口昌男、・・・)」に学びつつも、彼らに共通する弱点カオスの復権がコスモスの既成秩序を再賦活・更新する場合と、それが秩序を顛覆、変革する場合とを明確に区別していない」を指摘し、両者を分かつ境界線として「国家と文明(権力)の成立」に注目するのである。

 

2 カオスのコスモス化と宗教の成立

 ここで、あらためて竹内の論旨を確認しておこう。「本能の確たるみちびき手を失った人間にとって、当初、世界は無秩序の世界、カオスの世界としてあらわれるのだが、この世界に自分なりの秩序をあたえ、コスモスの世界へと転換するところに文化と社会の任務がある。人間の根源的な欲求は、世界に意味をあたえようとする欲求であり、殉教者や自殺者の存在がこれを明示しているとおり、人間にあってこの欲求は生命保存その他どんな生物学的欲求にも優位する。人間に本質的なこの『意味への渇きに応えようとするものが、文化による無秩序の秩序化、カオスのコスモス化の営為なのだ。」3P.281282

 

だが、これだけでは安心できない。無秩序を秩序化する営為が人間の恣意的な活動であることを自覚してしまえば、依拠すべき「秩序の根拠」が極めて弱いものとなってしまうからだ。ではどうするか。人間はこの「秩序化の営為」をおのれから疎外(神とか自然とか宇宙とかの活動に帰し、これを物神化)することによって確乎たるものにしようとした。

 

これが人間固有の「宗教」の誕生であり、その意味で、人間的実践は、はじめにはことごとく宗教の支配下に立つ。3P.282そして、「コスモスがカオスから現出した不安定な瞬間」を再構成するものこそ(宗教的行事から始まった)「祭り」であり、祭りは「聖とカオス(聖とケガレ)との両義性」を併せもつのである。3P.285 

 

3 <国家と文明>以後のカオスへの回帰運動=コムニタス追求運動

だが、一旦人類史のなかに<国家と文明>が成立すると、カオスが本来的にもっていた聖とケガレとの二重性は、両極的に分解し「権力と差別」の階層構造がたちあらわれてくる。そして、あらたな「カオスの復権」運動として、超歴史的なコムニタス願望をはらんだ被征服民や被差別賤民の自己解放運動が噴出してくるようになる3,P.393)わけだ。

 

さて、ターナーの第二の問題点をコムニタスを表現する主体のあいまいさに見る竹内は、「構造内劣位者」(農民・労働者など当該社会における被支配階級:補)ではなく「構造からのはみ出し者」(浮浪者、移民労働者、被差別民等:補)こそがその主体であると考え、このような記号学的視点から、あらゆる革命運動をもういちど見なおす必要性があると主張する。(3,P.393

 

そして、竹内は「あらゆる革命はそれが真正なものであるかぎり・・・古代から現代にいたるまで、かならず超歴史的なコムニタス願望をうちにはらんでおり、しかもその願望を熾烈に、・・・無条件に体現することによって、当該革命を果敢に闘いぬいた者は・・・構造の食み出し者たちの方ではなかったか3,P.330)と述べ、いくつかの文献も引きながらその仮説の検証を試みる。 

 

竹内は、「国家と文明」成立後「社会秩序(ノモス)の変革をめざす」典型的なコムニタスの例として、欧州の千年王国運動を挙げる。それは「アダムが耕し、イブが紡いでいたとき、一体どこにジェントルマンなぞいたのか」という指導者ジョン・ポールの言葉に示されているとおり「階級社会成立以前の自然状態、原始共同体社会」をある時点で実現しようとするものだった。そして、彼らの運動を可能にしたのは、直接的に原始共同体の記憶ではなく、世界宗教としてのキリスト教の救済思想・万人平等思想(「超越性の原理」=共同体の利害を超えた普遍的原理)だったという。

 

そして、その指導者‐預言者が教会非公認の遍歴説教師であったこと、集まってくる大衆の多くがルンペンプロレタリア、土地なき農民、浮浪者、失業者等であったことを指摘する。(3,P. 326)続いて、白人植民地における土着民たちの宗教的・文化的自立闘争(メシア的革命運動)においては、黒人であること、先住民であること自体が、白人の目からは非人であり、人間たることのはみ出し者であったこと、さらには「フランス革命」「1848年のウィーン革命」「パリ・コミューヌ」などの主体がルンペンプロレタリア、外国人日雇い労働者等々だったことを強調する。(3,P.337338

 

〔※「被差別者・はみ出し者」を主体とするコムニタス運動の意義を強調する竹内ではあるが、決してそれを理想化することなく、様々な問題点を指摘する。具体的には、@はみ出し者が「差別構造」の破壊に向かうとは限らずしばしば体制の超同調者になってしまうこと、A「超越性の原理」を基盤とする運動が狂信的な自己絶対化に陥り・途方もない残虐行為に走ることもあること、B純粋なケガレであるおのれ自身と純粋な聖である帝王とを直結しようという「悲しむべき悪あがき」に陥りがちであること、などである。(3,P.341346

 

このように、「革命主体」にかかわる上記仮説の検証を試みる竹内であるが、言語論の場合とは異なり「具体的経験」にもどって確かめることはできない。確かに、「危機の状況にあっては、就業者と失業者(構造内劣位者とはみ出し者:補)の区別なぞ全く非本質的なこととなってしまった」(3,P.336)とはいえるだろうが、革命主体が常に前者ではなく後者であったことの立証は困難だと思われる。

 

例えば、わが国で空前絶後といえる加賀の一向一揆(「百姓の持ちたる国」を実現)はどうだったのか。一揆の主体は構造からのはみ出し者(被差別民)だけでなく、明らかに土着の武士も農民も数多く参加し、協力して加賀の自治をつくり上げている。基本的に少数者である被差別民や「はみ出し者」の行動によって体制変革が成就するとは考えにくいのである。また、老荘の大思想を媒介にして原始共同体(小国寡民の理想社会)の復権を求めた中国農民反乱(しばしば都を攻め落とした)の場合も、「構造内劣位者」である農民が主体であることは明らかだろう。

 

別のところで竹内自身が述べているように、「はみ出し者」が社会変革の中心部隊になるとは限らないのである。むしろ社会構造上の位置にかかわらず、具体的経験の中で不全感、疎外感、被抑圧感を抱いている者が潜在的な変革者だと考えるほうが自然ではないか。例えば1968年前後の学生叛乱の主体が「はみ出し者」だったとするのは無理があるだろう。

 

2008年末、金融危機の際に生まれた「年越し派遣村」の村長湯浅誠は、村民(派遣切りで野宿生活に追いやられた人たち‐「はみ出し者」)から「自分たちをそこまで追い込んだ社会に対する異議申し立の動き」が自発的に湧き上がることはなかった、と証言している。〕 

 

さらに、コムニタス運動の「歴史的敗北」という根本的な問題もある。すでに竹内は『国家と文明』において「下層民が陥る抑圧の移譲」(例:軍隊内で抑圧されている兵卒が「敵国の民衆」に向けて爆発させる暴力)に言及している。7P.272273

 

しかし、戦争ではなく「フランス革命」でバスティーユ牢獄を襲撃した民衆が、降伏した司令官、士官、市長を殺害した事実(独裁のはるか以前にみられた残虐性)、「資本主義体制のはみ出し者ともいえる第三世界」の解放戦争が、結局、軍事独裁政権の成立につながっていった事実も含め、暴力を伴う叛乱・コム二タスのほとんどが「民主的なコスモス・秩序」の形成に失敗している事実に十分言及しているとは言えない。欧米の市民革命後、ともかくも共和政の社会体制が成立していったのは、世界史のうえで、むしろ例外と見るべきではないか

 

だが、なぜ例外として成立しえたのか。その理由に関する考察は「世俗化」を巡って 超越性の原理と人権思想 の後半、「自然権」〜「啓蒙思想」で補いたい 

 

〔※ ただし、『意味への渇き』の終章(宗教とマルクス主義)で、竹内はこの問題にしっかりと言及している。また、武力革命‐武装蜂起を伴うコムニタス運動をほぼ経験していない北欧の変革(社会権を高度に充実させた福祉国家・実験国家:補)にも注目している。(9,P.248)〕

 

 <権力>の廃絶と<民主主義>の問題 

「はみ出し者を主体とするコムニタス追求運動」への期待をにおわせる論旨に対して、やや批判的に述べたが、竹内の次の提言には全面的に賛成する。記号学的見地からする「文化革命」の真の問題点は、能産的コスモス※としてのカオスへのスムーズな還帰を保証するような新たな秩序の形成はいかにして可能か、差異を差別へと転化してしまうことのない新たな秩序の形成はいかにして可能か」である。

 

これは、カオスや<雑音>にたいする秩序の許容度をいかに高めるか、あるいは文化記号学的意味での<民主主義>をいかに実現するか、という問題である。

〔※生み出されてある秩序 =「所産的コスモス」に対し、新たなものを創造しうる秩序を「能産的コスモス」いう。カオスを活力としてとりこんだ秩序。〕

 

このためには、「差異を差別へと転化する<権力>をこの地上から抹殺せねばならない」と竹内は述べているが、これは「暴力革命」ではなく彼が繰り返し提唱している「直接民主主義」を具体化、前進させるような文化革命を想定したものと理解すべきであろう。こうして「竹内文化論」の壮大な論考は前著『国家と文明』の結論とおなじ地点にまで辿りついたのである3P.394

 

〔※この点については本稿末尾を参照されたい。〕  

 

5「世俗化」を巡って 超越性の原理と人権思想

 野宿者(典型的な「はみ出し者」)の支援に力を尽くしてきた湯浅誠は『反貧困』の末尾近くで次のように述べている。なぜ貧困が「あってはならない」のか。それは貧困状態にある人たちが保護に値するかわいそうで、立派な人たちだからではない。・・・立派でもなく、かわいくもない人たちは保護に値しないのなら、それはもう人権ではない、と。

 

 上記のように、貧困を克服すべきものと考える根拠として生存権を含めた「人権」を挙げるのは妥当な考え方であろう。だが、このような「人権思想」や万人平等思想は、いついかにして人間社会の中に登場したのだろうか。一般的には西洋近代の「自然権」の思想からといわれる。しかし、竹内によれば歴史上初めてそれらを人類にもたらしたのは、古代に誕生した「世界宗教(普遍宗教)」だという。そもそも人類は、これまでどのような宗教生活を体験してきたのだろうか。竹内は次のように述べている。


 まず「国家と文明」成立以前の部族共同体宗教(原始農耕宗教)、そのもっとも基本的な特徴は、宗教が共同体の与える社会規範形成と全く一体化している、という点にある。(人々は作物の豊凶を大きく左右する自然の力を恐れ、あらゆる自然物に内在する「神」に向かって豊作を祈願したり、収穫を感謝する祭・儀式を行った。例えば大和政権が成立する以前の「様々な自然神」への素朴な信仰:補)(3P.361〜)


 「国家と文明」が成立してくると、人類の宗教生活も一変する。古代専制国家を支える国家宗教(天武天皇が行った大嘗祭に象徴される「国家神道」など:補)が出現するのである。そして、その自閉性を突破し新たに登場したのが「世界宗教」、「国家と文明」の成立期には、人類が初めて金属器を手にして大量虐殺に乗り出し、・・・日々大虐殺の脅威にさらされることとなった悲惨な民衆を、その裸で無力な〈個人〉の姿のままで救済してくれる宗教として登場したのが「世界宗教」‐『意味への渇き』では「普遍宗教」である。(3P.361363)(例:古代ローマ帝国で急速に広がったキリスト教など:補)


 このように、竹内によれば、無力な個人をそのまま救済する力を持ったのは「世界宗教(普遍宗教)」であり、それとともに「人権思想」もはじめて登場するのだ。「人権思想とは、人間の尊厳はその社会的役割なぞにはなく、かえってそれを脱ぎ捨てた裸のままの個体そのものにあるとするもので、・・・個体が個体としての自覚に達するためには、個体が裸形のまま直接超越的普遍者の前に立ち、普遍的価値を分与されるという、以前にもましてはるかに広大な社会的想像力が発動された」というわけだ。3,P.268269

 

(例1:天におられる私達の父なる神は、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせて下さる」−「新約聖書」の万人平等思想:補

(例2:「あなたがたのうちに羊を百匹持っている人がいて、そのうちの一匹をなくしたら、その人は九十九匹を野原に残して、いなくなった一匹を見つけるまで捜し歩かないでしょうか」=数の多寡に還元されない個の存在の重み  「新約聖書」の人権思想 :補)

 

 さて、竹内文化論を受けた「ここからの私の考察」は、歴史上ほとんどの民衆叛乱(コムニタス)が「民主的なコスモス」形成に失敗したにもかかわらず、欧米の市民革命が例外的に共和政の社会を形成しえたのはなぜか、という先の疑問にかかわる。それは、欧米近代思想がキリスト教を基盤にしつつも「自然権」という形で特定宗教の枠を超えた「人権思想の普遍化」に成功したからではないか、というのが私なりの結論である。

 

「自然権」(実定法の成立以前から人間が生まれながらに持っている権利・人権)の思想をもたらしたのは近代の「啓蒙思想」であると言われる。周知のようにこの啓蒙思想は中世の宗教中心の世界観をするどく批判・否定したものと見られがちだが、単なる「否定」ではない。

 

『精神現象学』でヘーゲルの言うように、啓蒙は、信仰との対決をとおして宗教の持つ絶対性・普遍性を自らのうちに取り込んでいった。「自己意識は自己確信がすべての人の確信であることを自覚し、現にある真理と現実とが統一されるという関係の中で・・・二つの世界は和解し、天上界が地上に移植されるのだ」(11,P.397)と。

 

〔※『精神現象学』の自己を確信する精神というのは、「啓蒙精神=啓蒙思想」のこと〕

 
 例えば「フランス人権宣言」は「至高存在」の前で(「前文」)次のように宣言された。「@人間は生まれながらにして自由かつ平等な権利を持っている、Aあらゆる社会的結合の目的は天賦にして不可侵の人権を維持することにある」と。そして、その基礎となった「アメリカ独立宣言」にも次のような記載がある。「われわれは自明の真理として、全ての人は平等に造られ、創造主によって一定の奪いがたい天賦の人権を付与され、その中に生命、自由および幸福の追求の含まれることを信ずる。」


 先に述べたように、人権思想の基礎には「世界宗教(普遍宗教)」があり、それをとおして「あらゆる社会関係から離れた〈裸の個人〉」がはじめて救済の対象になった。そして、欧米近代はこの「超越性の原理」(=人権思想など「共同体の利害を超えた普遍的な原理」)を根拠に「市民革命」を引きおこし、社会を創りかえていったのだ。ここで注目すべきは、近代の啓蒙思想」が「人権宣言」という形‐いわばキリスト教の信者でなくても受け入れられるような形へと「超越性の原理」を再構成していったことだ。

 

とはいっても、「人権を基礎づけたはずのキリスト教」は権力と結びついて、「魔女狩り」など数々の害悪をもたらしたのではないか。実は竹内も、その暗部を(世俗化の一因として)詳細に追及している。(3,P.365〜)だが、様々な問題を含め、ヴォルテール(『寛容論』)のように鋭くキリスト教のありかたを批判する啓蒙思想家もあらわれたのだ。キリスト教徒が歴史の中で様々な問題を引き起こしたのは事実だが、そのような問題に対する自己批判が不断に形成されてきた点に竹内は注目している。8,P.251252) 

 

彼(ヴォルテール)は徹底した信仰と宗教的寛容を特徴とする北米のクウェーカー教徒を評価した。〕

 

このような自己批判を含む啓蒙思想(→市民革命)によって普遍的な形で「人権宣言」がなされたこと、さらに社会的結合の目的は自然権を維持することだ」と明言されたことが、民主的コスモス形成を前進させた大きな要因と考えられる。例えば「どの国の兵士か」に関わりなく治療活動を行う国際赤十字運動が欧州で広がった背景に、「裸の個人」の救済宗教−キリスト教があったことは明らかであり、しかもこの運動は全世界に広がった。

 

つまり、キリスト教圏を超えて人権思想を打ち立て、一定の民主的社会制度や運動として定着させていったところにキリスト教→欧米近代思想の大きな意義がある。それが普遍性を要求する限りにおいては、大人の白人男性だけの人権から、女性、有色人種、先住民、子ども、「障害者」へ拡大していく必然性もあった。 確かに、竹内が「近代的平等性とは抽象的普遍にまで物象化された人間の同格性」(3P.352)でしかなかった、と批判するのは正しい。が、(社会主義国家との対抗もあったとはいえ)社会権や社会民主主義思想をとり入れ、実質的平等をめざす動きが起こったのも事実である。(例:北欧)

 

このような「キリスト教→欧米近代」に対して他の宗教はどうだったのか。確かに仏教や道家思想なども竹内の言う「裸の個人の救済宗教」ではあるが、超越性の原理の「つめの甘さ」ゆえに、「普遍的で民主的なコスモス(秩序)」の形成には成功しなかった、といえるのではないだろうか。 

 

だが、人権の拡大・差別撤廃・植民地独立等人々の解放をめざすこの闘いに、気の遠くなるほどの時間と犠牲を要したことも忘れてはならない。〕

 

三、『意味への渇き』 〜天皇教的精神風土の解明〜 
 さて、『意味への渇き 宗教表象の記号学的考察』が発刊されたのは1988年、竹内は、「昭和天皇死去」の前に完成させるべく執筆を急いだという。そして、実際にその時が来て起こったことは「異常な自粛騒動」だった。(戦時中と異なり、権力からの強制はなかったにもかかわらず)。

 

従って、ここで問題にすべきは政治的な強制を伴う天皇制ではなく、集団同調的に自粛に走ってしまうような心理の底にある天皇教、「日本人にとって最大の焦眉の課題となっている宗教問題=天皇制的心性」なのである。(8,P.388)そして、この心性は「日本天皇制だけは・・・あれほどの全面的敗戦に際しても一切責任を負おうとせず、国民の方も大多数がそのことをさも当然のように受容してしまっている」(8,P.291)事実とも密接にかかわっている。

 

「この問題を解明するため・・・、人類の全宗教表象を自分なりに整除しつつその中にこれ(天皇教)を的確に位置づけてその特性を浮き彫りにする」試み8,P.388、それが『意味への渇き』だったのである。ここでは、同書の膨大な記述の中から「天皇教」にかかわる部分だけを抜き出して、竹内の理論的営みを追いかけたい。  

 

 さて、「人権宣言」に代表される「超越性の原理」が、欧米における市民革命の基盤だったわけだが、竹内は言う。「わが国の歴史の中では、こうしたメシア的革命運動はほとんど形成されずにきてしまったが、その根本的な背景はこの国の特異な精神風土〈無‐超越性の〉日本的精神風土、共同体的・集団同調主義的な天皇教的精神風土:補〕である。3,P.313

 

一言でいえば、わが国では権力者をも裁きうる「普遍的な原理(超越性の原理)」が社会の中で形成・共有されてこなかったのだ。宗教的生活も含め、そのような「思想的・文化的伝統」が存在しないため「人権思想」の定着なども困難を極めてきたと言えるだろう。※(例えば学校現場で行われている「人権教育」も、普遍的な権利としての人権よりも「共同体的な思いやり」を伝えるものになっている場合が多い。:補)つまり、「人権思想」の系譜を見る限り、普遍宗教のもたらした「超越性の原理」こそ、人権が生み出され定着していく重要な点だったのだが、日本においてはそのような条件が決定的に欠けているのだ。 

 

 いや、日本にも「普遍宗教」(世界宗教)である仏教もキリスト教も伝播してきたではないか、と言えるかもしれない。しかしながら、そのように伝播してきた「普遍宗教」は「共同体的な自閉性」を「開いた精神によって」突破し乗り越えるという本来の役割を果たすことなく現在にいたっているのだ。


 先に、@部族共同体宗教(原始農耕宗教)→A(古代専制国家を支える)国家宗教→B世界宗教(普遍宗教)という宗教の変遷を見てきたが、全世界的な視野に立つと、@からA、AからBの間には明確な断絶があった。とりわけB世界宗教(普遍宗教)はA国家宗教のもつ自閉性をその「超越性の原理」で切断し乗り越えていったところに歴史的な意義があるのだ。

 

しかし、日本の場合はどうだろうか。まず、@とAの明確な断絶が存在しないのだ。(8,P.299)例えば「自然神」に対して豊かな収穫を感謝する祭祀であった新嘗祭(原始農耕宗教の行事)をすべて古代の大王(天武天皇)が統合し「大嘗祭」としたことに象徴される。つまり、部族共同体における原始農耕宗教の「自然神への信仰」を大和政権は「国家宗教」へ統合していったわけだ。  

 

 一般的には(外来の)権力・支配を正当化する役割を持つ「国家宗教」だが、「記紀神話」の場合、アマテラスという、もともとは稲作農耕の豊饒女神と思われる神がそのまま天皇家の始祖神とされ、結局、原始農耕宗教を統合・吸収するかたちで原始宗教と国家宗教がけじめなく連結してしまったのである。8,P.300301

 

そして、そのような国家宗教としての神道(天皇教)の性格は、メソポタミアの純粋な国家宗教とは異なって、上からの圧政よりも下からの帰順、〈原始宗教〉いらいの共同体帰嚮(ききょう)(共同体帰属意識:補〕)を基盤とする柔構造性を持つこと、普遍宗教とは異なる〈無‐超越性〉に基づくつよい自閉的性格、異分子排除性を持つこと、なのである。9,P.149150

 

 これが、現在も続く「天皇教的(集団同調的)精神風土」の形成に深く関わると竹内は考えるのだが、さらに決定的だったのは、B「世界宗教」がA「国家宗教」のもつ自閉性をその「開いた精神」で突破し乗り越えていくことに失敗したことである。(8,P.299)「我が国に流入した最有力の普遍宗教としての仏教の著しい特徴は、鎌倉仏教の始祖たちを例外として、ほぼ完全に王権に従属し、国家宗教としての「神道(天皇教)」を超越性の原理で切断し乗り越えることに全く失敗してしまった」というわけだ。 


  
さて、現実の社会に王権(専制的な権力)が成立し、固定的な上下関係や差別がはびこる時、「普遍宗教」はその万人平等思想、人権思想から「反権力的」な性格を身に帯び、時には革命運動や民衆反乱の思想的基盤として働くことになる。〔例えばキリスト教を基盤にしたドイツ農民戦争、道家の大道=大同思想を基盤にした中国農民反乱など〕 

 

 日本の場合、仏教がその役割を果たすことはほとんどなかったわけだが、竹内は唯一の例外として鎌倉仏教を挙げている。ここでは一向一揆を生み出した浄土真宗をとりあげておこう。親鸞もその師であった法然も「念仏」をひたすら唱えることを誰にでもできる「易業」として選択するわけだが、その理由づけとして「一切衆生をして平等に往生せしむるため」という万人平等性を挙げている

 

 『歎異抄』の中にも次のような挿話がある。「善信(親鸞)が信心も、(法然)上人のご信心も一つなり」という親鸞の発言に、思い上がりもはなはだしいとばかり、相弟子たち満場騒然となる中、ひとり法然はこの発言を全的に支持して「源空(法然)が信心も・・・善信房の信心も如来よりたまはりたる信心なり。・・・されば、ただ一つなり、」と断じたという。 

 

だが、そこから出発して「親鸞は弟子一人ももたずさふらふ」と言い放ち、弟子づくり、寺づくり、教団づくりをすべて否定して、弥陀の前での「同信、同行、同朋」の人間関係に徹していったのは、親鸞の方だった。(法然はまだ、人師の立場をとっていた。)このような徹底した万人平等主義と「反権力的態度は、鎌倉仏教の中でもとくにこの派に際立っており、であればこそ、まさにこの派から百年間にもおよぶわが国空前絶後の大民衆反乱"一向一揆"がおこった」というわけだ。(8,P. 316327 

 

 竹内によれば、一向一揆に限らず歴史に残る「民衆反乱」の多くは、対等平等な「原始共同体」の復活を志向しているが、その志向は「原始共同体」についての直接的な記憶ではなく、普遍宗教の開いた万人平等思想を基盤としているのだ。一向一揆の内部組織も浄土真宗の「ご同朋」思想に基づく「講」‐門徒たちの平等な寄り合だった8,P.327)という。だが、親鸞の宗教思想の中には現実の社会変革につながるような世俗内倫理は含まれておらず、結局この一派も権力(江戸時代の寺請制度)に吸収されて終わるのである。

 

 ところで竹内は、一貫して日本の「共同体的・天皇教的精神風土」を問題にしているが、共同体自体を悪としているわけではない。『国家と文明』の中で竹内は、「支配者」「上位の統一者」を冠した共同体(典型的なのは古代専制国家)こそが問題であるとし、これを対等平等な原始共同体と区別して「第二次共同体」と呼んでいる。(7,P.325など)

 

そして、古代専制国家における支配の特徴を「共同体帰嚮(ききょう)(共同体帰属意識:補)による支配の体系」としているのである。(7,P.283〜)例えば「古代専制国家」においては「帝王が担う精神労働(公共的役割)」として「共同体繁栄のための公的呪術(国家宗教に関わる祭祀)」があったこと、「共同体原理」(帝王を共同体の象徴として崇める民衆の意識)に支えられて国家や支配が形成されていたことを明らかにしている。

 

そのような考察(国家論)は近現代史と何らかのかかわりがあるのだろうか。竹内は次のように述べている。「(帝国主義)国家間の対抗・摩擦がいよいよ激しさを加えると、近代国家ももはや〈外面国家〉などに甘んじているわけにはゆかなくなり・・・どうあっても国民の内面からの国家への忠誠をかちとってくることが必要となる。・・・そうすると、不思議なことに、近代市民社会のある要素と古代専制国家の要素とがすさまじい共鳴現象を起こす」(7,P.221

 

戦争に国民を駆り立てる必要から「第二次共同体」を掘り起こす傾向、これは「民族の血と土への誇り」を強調したナチスドイツにおいても国家神道を基盤とする忠君愛国思想(抵抗する者は「非国民」として排除する集団同調主義)を全面開花させた大日本帝国においても同様である

 

りわけ今日必要なことは、ナチズムや天皇制ファシズムも含め、人間にあっては集団的エゴイズムの方が私的エゴイズムよりもはるかに危険だ(人類が犯した残虐行為の大半は国家など集団への忠誠心によるものだった)ということについての、透徹した認識である。集団的エゴイズムの真に怖るべき点は、私的エゴイズムの極端な抑止によって自己のエゴイズム性を隠蔽、それによって無限に自己肥大化していくことだ。(3,P.266〜)そのことで、人間は生物学的合理性をはるかに超えた残虐行為を繰り返してきたのだ。 

 

しかし問題は、それを自己批判的に総括できるかどうかであろう。第二次大戦中、ナチの暴虐に屈服させられたドイツの教会が、敗戦とおなじ45年に早くも「シュトゥットガルト罪責告白」を、47年にはさらに「ダルムシュタット宣言」を発表したのに対して、日本キリスト教団が「第二次大戦下における・・・教団の責任についての告白」を発表したのは1967年、浄土真宗系の東本願寺が・・・侵略戦争加担の罪責を謝したのは1978年(他の教団は一切ほうかむりしたまま)であった。わが宗教界すべてに通ずる無責任体質の底深さに慄然とならずにはいられない。8,P.364

 

さらに言うと、宗教界のみならず、一般民衆もあの侵略戦争に対して全く無責任なまま今日に至った背景には、やはり「超越性の原理の確立していない日本的(天皇教的)精神風土がある」といわざるを得ないだろう。

 

さて、「人権論」の冒頭に触れた貧困問題や労働実態であるが、現実はなお深刻で、非正規労働者の待遇が改善されないだけでなく、正規労働者の長時間労働もおさまるところを知らず、自殺者は12年連続で三万人を超えた2011年現在)。その後も二万人台で推移しており、コロナ禍にみまわれた2020年度には再び上昇、特に女性の自殺者がかなり増えている。このような中、制度的・構造的な矛盾である「貧困」等を社会全体の問題として解決していくことを妨げる「文化」とは何だろうか。現在にいたるまで多くの人々が共有してきた「自己責任論」という価値観であろう。そして、日本における「無超越的・集団同調的精神風土」はこの問題を拡大してきたように思われる。

 

例えば、生活保護を当然の権利(生存権)の保障としてとらえない(逆に受給者を攻撃する)精神風土の中で、所得が生活保護基準を下回る世帯のうち実際に保護を利用している世帯は約20%でしかなく、欧州(イギリス87%、ドイツ85%)と比べても極めて低い。また、自殺の原因には貧困だけでなく過労による精神疾患などが多いといわれるが、その背景には日本独特の企業風土があると考えられる。

 

「企業社会における農村共同体化」に関連して竹内は次のように述べている。 
 大いに参考になるのは、熊沢誠『日本の労働者像』であって、そこには、日本の企業が一方では労働者たちをその出身の家族や郷土の旧共同体から切り離してバラバラにしておきながら、他方では自ら一つの疑似共同体となって・・・労働者たちを共同体的に統合してゆくさまが、見事に描き出されている。いわば日本大企業における、共同体的集団同調主義と激越な個人間競争主義との複合体・・・を指摘するのだ。(9,P.168


 このような「日本的精神風土(天皇教的精神風土)」「企業文化」を背景に、日本の労働組合は基本的に「企業別労働組合」となっていったのだと考えられる。このような「企業社会」は竹内のいう「第二次共同体」の典型だろう。竹内によれば、それとは質的に異なる「対等平等な市民的共同体」を打ち立てることが必要なのであるが、それはいかにして実現に向かうのだろうか。

 

四、むすび  〜マルクス主義者の自己批判と壮大な理論的営み〜

 『意味への渇き』「宗教とマルクス主義」の章で竹内は@「〈狂気を付与された動物〉homo demensとしての人間存在にとって宗教幻想は簡単に払拭できる二次的な幻想」ではないこと、A「あらゆるイデオロギーの考察では、それが社会関係の中で果たす現実的機能‐社会的身体性」を考慮すべきことを指摘し、マルクス主義が歴史の中で具現化してきた社会的身体性もふまえ、自己批判的に「宗教から学びうるもの」をとりあげる。8,P.367〜)

 

・マルクス主義者は社会変革によって人間のすべての問題が解決されると考えやすいが、宗教的立場(例:解放の神学)の人たちは、抑圧的な社会構造の変革だけで全人的救いが保証されるものではないという、いわば〈余剰〉の感覚のごときものを持っている。

 

・マルクス主義者は人間の力だけで解放は成就できると考えるが、宗教者は、人間解放には真の解放者たる神の恵みが不可欠だという〈受動性〉の感覚のごときものを持っている。・・・深慮すべき重要な問題であろう。けだし、人間はおのれの力だけで生きているのではないのだから、人間の驕慢からは何によらずろくな結果は生まれぬであろうからだ。

 

・「99匹の羊対迷える一匹の羊」の譬にみられる「数の論理には還元できない個のかけがえのなさ」、関連して非暴力から愛敵にまで徹底する〈やさしさ〉というethos(規範)も宗教から学びとるべきものである。(8,P.377380

 

旧来のマルクス主義では「人間は社会関係の総体」とされ、個々人の生命・かけがえのなさが軽く見られる傾向にあった。しかし、宗教的立場からすると個を「歴史的大義」の手段とすることや(変革目的であっても)暴力は全面肯定できない。(8,P.383384)  

 

以上、『文化の理論のために』『意味への渇き』を中心に、竹内の思想的歩みをたどってきたが、両著では相当な深部から「マルクス主義者としての自己批判」が行われている。また、1975年の『国家と文明』においても、史的唯物論の透徹した批判的再構成を行うとともに、マルクス主義の国家論を再構築することで直接民主主義の理論を明確化、当時の反公害闘争の意義と課題に注目しつつ「文明転換と支配の廃絶」への展望を示した。

 

さらに、超越性の原理を基盤とする「対等平等な市民的共同体」を打ち立てる必要性・その展望 について竹内は述べており、両著(『文化の理論のために』『意味への渇き』)の問題意識を先取りしているのだ。

 

類を見ない徹底した理論構築、その実践的な問題提起についてはぜひ『国家と文明』を精読いただきたい。また、その問題提起をどう受けとめ生かしていくかについては、『討論』(閏月社)の第V部 現代を徘徊する妖怪―マルクス主義と『資本論』を参照されたい。 

 

『国家と文明』『文化の理論のために』『意味への渇き』という三主著には、竹内芳郎の人生をかけた思想的営みが集約されており、それぞれの角度から理論的解明を深めることで「文明転換と支配の廃絶」の展望、まさに未来への突破口を開こうとしているかに見える。197588年に発刊された著書ではあるが、理論内容においても探究の姿勢においても、現代に生きるわれわれへの極めて鋭い問題提起であり続けている。 

                                    了

                                         

〔※竹内によれば、社会の公共的な意思決定を小数者(あるいは個人)が独占するという「支配の原理」「国家の原理」を超えるためには、具体的な運動や討論によって直接民主主義を追求する以外の道は原理的にあり得ない。そして、この道を追求していくことが同時に「対等平等な市民的共同体」を打ち立てることにつながっていくのである。『国家と文明』の内容と現代的意義については、拙HP(国家と文明「市場原理主義と社会主義」でも公開している。あわせてご参照いただければ幸いである。〕 

 

(引照文献)

1,竹内芳郎『具体的経験の哲学』(岩波書店)  

2,竹内芳郎『実存的自由の冒険』(季節社)    

3,竹内芳郎『文化の理論のために』(岩波書店)

4,山口昌男『文化と両義性』(岩波書店)    

5,山口昌男『歴史、祝祭、神話』(中公文庫)  

6,山口昌男『知の遠近法』(岩波書店)     

7,竹内芳郎『国家と文明』(岩波書店)   

8,竹内芳郎『意味への渇き』(筑摩書房)  

, 竹内芳郎『天皇教的精神風土との対決』(三元社)

10, 竹内芳郎『増補 言語・その解体と創造』(筑摩書房)

11, ヘーゲル『精神現象学』長谷川宏訳(作品社)

12, 宇沢弘文、内橋克人『始まっている未来』(岩波書店)