市場原理主義と社会主義  『国家と文明』を中心に 1

 

                         2009年10月〜10年月に執筆・公開

                         (執筆当時は民主党政権だった)

 

 現代の思想家で最も影響を受けた人は誰か? 最も素晴らしいと思う思想家は誰か?

 もし、上記のように問われたならば、私は迷うことなく竹内芳郎だ、と答えます。

 竹内芳郎についてフリー百科事典(Wikipedia)は、「常に現実が突きつけてくる課題に真摯に対応する思想を提示し、現代世界におけるアクチュアルな問題に対して発言し続けている数少ない哲学者である(・・・)」と紹介しています。

20161119日、92歳で死去:2017年付記)

 そして、「既成のマルクス主義を批判検証し、現象学的存在論を取り入れた独自のマルクス主義理論を提示した」、とありますが、その集大成ともいうべき著作が『国家と文明』(歴史の全体化理論序説)なのです。

 最近、拙ブログに書き込みをしてくださった大絶画さんのお勧めもあり、『国家と文明』の文庫本としての復刊を要請する投票をし、次のような短い「書評」を書きました。

 

 (『国家と文明』は)マルクス主義の理論を徹底的に再検討・再構成していった竹内芳郎の労作です。「大切なことはマルクス主義を乗り越えることであって、断じてマルクス以前に舞い戻ることではない」という信念のもと、著者は史的唯物論の徹底的な再構成、独自の国家論の展開をもとに「文明転換と支配の廃絶」への展望を明らかにしています。

 時代と格闘しつつ人類の未来を打開すべく展開された「歴史の全体化理論」。著者の透徹した考察は、貧困や環境問題がクローズアップされる現代において、ますます重要なものとなっています。ぜひ、岩波文庫として復刊していただきたいと思います。 

 実際、竹内芳郎ほどマルクスの理論と徹底的に格闘し、現代的課題に応えるべくそれを理論的に乗りこえていった思想家を私は他に知りません。限られた読書ではありますが、私が見る限り「思想家」たちは1、マルクス主義を「時代遅れ」として全面否定(あるいは無視)するか、2、マルクスの著作の部分を引用しながら「その現代的な意義を賛美する」か、いずれかの態度をとっているように見えます。  

 マルクス以前に舞い戻ることではなく、それを乗り越えていった『国家と文明』について語ること、この重いテーマは私自身の中では長い間気がかりなものだったのですが、全面的に取り上げることには躊躇がありました。

 しかし、いわゆる「市場原理主義」が貧困や環境問題などさまざまな矛盾を生み出すことが明らかになってきた現在、人類の未来を切り開いていく上でマルクス主義・社会主義思想は貴重な示唆をもたらしてくれると考えるのです。

 近年、注目されている北欧の社会例えば高度な社会保障制度の確立と地球温暖化対策をはじめとする環境問題への取り組みを両立させているスウェーデンがもともとは「修正マルクス主義」から出発した「社会民主労働党」政権によって築かれてきたことも注目すべきではないでしょうか。

 そのように考えると「資本主義的な市場原理主義」をどのような発想によって乗り越えていくべきなのか、(あるいはいかに相対化していくべきなのか)というテーマは現代においてますます重要になってきている、と考えるのです。

 ゆっくりと書き進むことになると思いますが、しばらくお付き合いいただければ幸いです。

 〔ただ、blog記事を連ねたものですから、記述内容に多少の重複があることはご容赦ください。〕

市場原理主義と社会主義 『国家と文明』を中心に 2

  『国家と文明』における竹内芳郎の「仕事」=マルクス主義理論(とりわけ「史的唯物論」)の再検討・再構成)の内容に入る前に、とりあえず「マルクス主義の適切な解釈(と思われるもの)」について私なりにまとめておきましょう。


Q マルクス主義の核心は?(適切に理解・構成されたマルクス主義とは?)

1、社会主義理論や実践の目的は「人間の全面的な解放」である。

2、これを実現するためには、「解放」や「自由」・「平等」(あるいは民主主義)といった理念を提示するだけでなく、
経済的な条件を変革していくことが不可欠である。
主客転倒の原理人間を利潤追求のための手段にしてしまう資本主義経済の原理を貫徹させたままでは人間の全面的な解放は不可能である)

〔注〕市場原理主義はまさに上記原理を貫徹させていた!

3、この変革の客観的な条件や展望は、現実に動きつつある社会や歴史を深く解明することによって見出すことが出来る。(そのための理論が史的唯物論)

 さて、1番については「自称オタクコミュニストの紙屋さん」もHPの中で述べておられますが、「人間の解放」がマルクスの初心であったことは疑いのないところです。

 しかし、現実の社会主義国家においては、3、の史的唯物論が人間解放の適切な道筋を見出していくことに使われたのではなく、
権力者の独裁を正当化する理論として使われました。

 このように歪曲されてしまった「理論」を「本来の発見学」として再構成すること。まさにそれこそ竹内芳郎が『国家と文明』で本格的に行った仕事です。

〔私見ですが、マルクスの初心をかなりの程度において実現している国は
「既成社会主義国」ではなく「北欧諸国」(「社会民主労働党」によって国づくりが進められたスウェーデンなど)であるように感じています。本来の歴史理論は、既成社会主義国の崩壊と高度な社会保障制度を築いた北欧諸国の躍進 同時に説明できるような理論でしょう〕

 

 私の見るところ『国家と文明』によって再構成された「史的唯物論」(そして、マルクス主義理論に学びつつ形成された「独自の国家論」)はそのような理論であると思われるのです。

 

 それでは、そもそも「史的唯物論」というのは、どのような理論でしょうか。

 「人間の社会・人間の歴史の発展」について生産力・生産関係・生産様式といった経済的構造(経済のしくみ)をもとにして解明していこうという理論(作業仮説)ですが、私なりに要約すると次のようになります。

(註)

1、生産様式・・・その社会における「経済の仕組み全体」のこと例えば

・農奴制生産様式・・・中世ヨーロッパを中心に発展した経済の仕組み。領主が土地と農奴(農民)を支配し、年貢またはそれに当たる地代を農奴から得る。食料などの生産物は農奴の労働によって生み出される。

・資本制生産様式・・・資本主義経済の仕組みのこと

2、生産関係

 経済の仕組みから見た、その時代の(生産における)人間関係

 例) 領主−支配される農奴、 資本家−搾取される労働者 

 

Q 史的唯物論(唯物史観)とは? (註を踏まえて)

 さまざまな物資を生産する生産様式(経済の構造)こそが人間社会・人間の歴史を根底から規定するそして、既成の社会が解体し、新たな社会へ移行していくための様々な条件が「生産力増大の結果生じる生産様式内部の矛盾」という形で形成されていく。

 

 いかにも面倒くさそうな理論ですが、例を挙げておきますね。 

例)農奴制生産様式を経済的な基盤とする中世封建社会から資本制生産様式を基盤とする近代市民社会への移行

 中世封建社会における生産力の増大⇒商品経済の発達⇒農民が富農と貧農に分解(貧農は没落し都市労働者へ)、商品経済によって「自給自足的」な封建的共同体が解体一国全体を市場とする資本主義社会、多くの労働者によって商品生産を行う資本主義社会への移行の条件が次第に整う

 実を言うと、以上のような理論は「世界史の教科書」でも活用されています。しかし、史的唯物論そのものは現代史の中で破綻したとも言われています。それはなぜでしょうか。

 

市場原理主義と社会主義 『国家と文明』を中心に 3

 そもそも史的唯物論とはどのような理論でしょうか? 前回記事では次のようにまとめました。

 さまざまな物資を生産する生産様式(=経済の構造)こそが人間社会・人間の歴史を根底から規定する。そして、既成の社会が解体し、新たな社会へ移行していくための様々な条件が「生産力増大の結果生じる生産様式内部の矛盾」という形で形成されていく。

 

 一般的に言っても「社会の中に生じる矛盾や問題点は歴史を動かす原動力」となるでしょう。(例えば1780年代フランスにおける旧体制の矛盾はフランス革命の引き金となった。

 ただ、特に史的唯物論において「歴史を動かす矛盾、問題点」というのは「一つの社会が成熟し、その中で生産力が上昇していくにつれて次第に拡大していく」と考えられていたのです。

例1)中世封建社会(農奴制)における生産力の増大が商品経済の発達を促し、社会の解体・変革の契機となる

例2)近代市民社会(資本制)における生産力の増大は恐慌・大量失業をもたらし、社会の解体・変革の契機となる

 それでは、このような史的唯物論が現代史において破綻したと言われるのはなぜでしょうか。言うまでもなくマルクスの予言どおりに歴史が進まなかったからです

 

 つまり、この理論では、資本主義社会が成熟し、生産力がどこまでも増大していくことによって恐慌・大量失業などの矛盾が拡大し、社会主義社会へ移行する、とされていたわけですが、実際に社会主義社会へ移行したのは「資本主義の成熟していないロシア、中国、ベトナム・・・」だったわけです。

 しかしながら、欧米を中心とする成熟した高度資本主義社会では、社会主義革命は起こっていないし、起こりそうにない

 

 確かに、1980〜90年代以降の「市場原理主義」・「新自由主義」の風潮の中不況や大量失業・貧困(それらを背景とする高い自殺率)等は現実に生まれている矛盾・問題点であり、「このままではいけない」、「社会を変えていかなければ」、という人々の意識を強化していく面はあるでしょう。

 社会民主労働党政権が(社会主義の理念にもこだわりつつ)「高度な社会保障制度」を創りあげていったスウェーデンなどの北欧が注目を浴びている背景にもそのような矛盾・現実があります

 しかし、そのような現代社会の矛盾がそのまま社会主義革命につながるなどとは「社会主義の理想・理念を大切にする立場の政党」でさえ信じてはいないのが現実です。そのようなことは、いまさら言うまでもないことでしょう。

 以上のように「未来に関わるマルクスの予言」は的中しなかったわけですが、それでもなお「経済的な要因」が社会や歴史を大きく左右するという観点そのものは妥当であると思われます。

 現代史において史的唯物論(経済を土台にして歴史を解明するマルクスの「作業仮説」)によって説明できない多くの歴史的事実が実際に発生した。

 だとすれば、それをも含めて歴史全体を説明できるように「作業仮説」そのものを組み替え再構成していくこと『国家と文明』において竹内芳郎が目指したことはまさにそれだったのです。

 『国家と文明』は、史的唯物論を「土台−上部構造論」、「生産力発展論」、「生産力・生産関係矛盾論」、「発展段階論」等、複数の観点からていねいに検証していきます

 なかなか本論に入れずもどかしい面もありますが、前提となる「史的唯物論」の中身や竹内の問題意識を明確にしておくことは最低限必要だと考え、まとめてみました。

 

『国家と文明』内容1

 

さて、前記事合わせて3回)で、『国家と文明』−歴史の全体化理論序説−(竹内芳郎著)の問題意識、再検討の対象となったマルクス主義の「史的唯物論」についてまとめてきました。

  前置きが長くなりましたが、本論(『国家と文明』の紹介)にはいっていきたいと思います。 

1、土台・上部構造論について

 土台とは何か? 社会全体を規定する生産様式(=経済の仕組み)

 上部構造とは? 社会的、政治的、精神的生活の全体(「生産」「経済」以外の領域)

 具体的には「社会・政治制度や文化、人々が共有する価値観など」

 

Q 土台・上部構造論とは?

 生産様式(経済の構造)こそが土台となって、それが上部構造である社会的・政治的・精神的生活の全体を規定(決定)する、という仮説

Q なぜ生産様式が重要なのか?

A マルクスの回答

 「人間たちは〈歴史を作る〉ことができるためにはまず生きることができねばならない(・・・)したがって、最初の歴史的行為とは、こうした欲求(食うこと・住むこと・着ることなど)を充足させるための諸手段を産出すること、物質的生活そのものの生産である」⇒どんな社会でも生活するために必要な物資の「生産と分配」といった経済的要因が社会を根本的に規定する。

Q 土台・上部構造論の問題点は?

 経済的な生産様式とそれ以外の人間的諸営為とを截然と分け、「土台(経済的な要因)が上部構造(他の要因)を決定する」という仮説にはかなり無理がある。

Q それはなぜか?

 人間においては生産と分配(経済)の根底にある物質的生活や物質的欲望そのものがその社会における文化によって全面的に規定されているからである。

例1)衣類の生産は生きていくために不可欠な「物質的生活そのものの生産である」と同時に、その民族の宗教や慣習、美的なものを求めるファッション(すべて広義の文化)と不可分である

例2)熱帯アフリカに現在も残っている部族共同体の場合も、生産様式(経済的要因)とその他の要因は切り離すことができない(未分化である)

 仮に、この未分化の状態から経済の近代的な概念に当てはまるものだけを抽出し、それと「その他のもの」との関係を調べてみても、現実には同一の土台(経済)の上に異なった上部構造を見出す例は多い。例えば熱帯アフリカの土着民の経済生活はほとんど同じであるが、婚姻関係の慣習等がしばしば異なっている

Q 理論再構築の道は?

「生産様式」を科学的抽象によって(社会全体から経済的要因のみを抽象することによって成立するもの、としてはっきりと位置づける⇒「生産様式」と「社会構成体」(その時代の社会の総体)とを理論的に峻別する

・生産様式・・・人間の社会から物質的生産に関わるものだけを抽象して成立する単層的カテゴリー(経済構造)

(例)農奴制生産様式、資本制生産様式

・社会構成体・・・経済生活だけでなく様々な社会諸制度、文化、人々が共有する価値観などを重層的に含みこんだ「社会の総体」

(例)中世封建社会、近代市民社会

Q 生産様式は社会の他の要因を規定・決定するのか?

 生産様式は他の要因(例えば社会制度)を因果的に決定しないとはいっても、かなりの程度規定する重要なポイントだといえる。

(現代の例 : 国会で制定された「労働者派遣法」は「市場原理主義的な資本制生産様式」によって、強く規定されている。)

Q なぜ経済的要因が他の要因を規定する重要なポイントなのか?

 人間が生存していくためには食料・衣料などの物資が必要であるという事実生きていくためには何らかの形で労働(生産)せざるを得ないという事実は、いかなる社会においても当てはまる

 したがって、経済的要因(生産様式)が一定の重要性を持って人間の社会生活を規定する。

〔コメント〕

 いかがでしたでしょうか。

 「土台−上部構造論」に対する上記の修正は非常にまっとうでわかりやすと私は考えました。竹内芳郎はこのような「土台−上部構造論批判」を出発点に、「史的唯物論の再構成」の作業を進めていくのですが、このような作業によって世界史のより多くの事象がうまく説明されていくのです

 

『国家と文明』 内容2

 

 『国家と文明』 内容1 の続きです。

 そもそも、「1、マルクス主義の"土台−上部構造論"(そして史的唯物論)の何が問題で、現実にどのような弊害へとつながっていったのでしょうか、なぜ再構成が必要になったのでしょうか」。

 そして「2、なぜ旧ソ連や東欧諸国などの社会主義国は"崩壊"したのでしょうか」。

  これらの問いは深くつながりあう、と私は考えています。

 まず後者「2」についてですが旧ソ連や東欧諸国の民衆が「スターリン主義的に組織された前衛党−自らは〈絶対的真理の体現者〉として大衆の頭上高く君臨し、大衆を物のように操作操縦する前衛党」のもとに成立した「社会主義国家」を完全に見放し、別の体制を強く求めたということが決定的だったと考えられます。

(1920年代以降、スターリンを中心する指導者によって「ソ連の抑圧的な国家体制」がつくられていったことはよく知られていますね。) 

 このようなことになっていった大きな要因として「マルクス主義理論の教条化(公式化とその悪しき利用)」があることをサルトル、竹内芳郎は主張します。

 「生きたマルクス主義とは(実践の客観的条件や方向性を見出すという意味における)"発見学"なのである

 (しかし)「彼らは教条を経験の力の及ばぬところに置いた。理論と実践の分離はその結果として、実践を無原則な経験主義に変え、理論を純粋で凝結した""に変えてしまうことになった」                       〔JPサルトル『方法の問題』、( )内は引用者〕。

 ソビエト共産党の指導者は「実践的にはきわめて経験主義的に行動しながら、理論的にはむしろマルクス主義の公式に経験を離れてへばりつくことによってこれを〈公式主義〉または〈教条主義〉にまで転落させてしまった」             〔竹内芳郎『マルクス主義の運命』〕

 というわけです。

 「指導者」によって乱用された公式・図式のひとつが「社会を経済的土台と上部構造(経済以外の要因)に分類し、後者は前者によって決定される(時には反作用もあるが)」とする「土台−上部構造論」だったわけです。

 この理論の不都合な点は

1、社会を多角的に、そして柔軟に解明するための理論としては極めて乱暴で単純な図式であったこと、

2、「土台=経済的な要因」が独自の運動法則を持って「人間の実践も制度・文化も」決定するとしたことから後者が持つ固有の価値が軽視ないしは無視される傾向が出たこと、さらには個々の人間の営みや願いを無視する傾向が強く出たことです。

 前記事でも触れましたが、竹内芳郎は自らの言語論(文化論)も基盤に、「経済的な要因」も人間の文化に規定されていることを強調するとともに、「生産様式(経済の仕組み)が上部構造社会・政治制度や文化、人々が共有する価値観などを決定する」という仮説を退けるところから出発しました。

 この出発点も、続けて行われた史的唯物論の徹底的な再構成も上記のような問題(現実に旧社会主義国で発生した問題)を踏まえて展開されていくわけです。

 亀のようにゆっくりとした歩みですが、『国家と文明』における「再構成の仕事」(続き)は次回以降にいたします。

                              『国家と文明』 内容3へ続く

 

追記 : なお、「土台−上部構造論」に限って言えば、『国家と文明』に先立ってサルトルが『弁証法的理性批判』で徹底した理論的再構成を行っています。

 『サルトルとマルクス主義』で竹内芳郎も述べているように、『弁証法的理性批判』の大きな意義というのは、「社会学的人間学」を形成することによって、マルクス主義に本来の「発見学」としての機能を回復させる道を開いたことでしょう。

〔参考 : フリー百科事典 ウィキペディア(Wikipedia)ジャン=ポール=サルトル「思想」の後半〕

興味関心と時間のある方は「私の卒業論文(一部)」にまとめています。よろしければぜひ・・・。

 なお、『弁証法的理性批判』を解説した書籍としては『サルトルとマルクス主義』(竹内芳郎著)、より簡潔なものとしては『同時代人サルトル』(長谷川宏著)の「歴史に向かって」がお勧めです

 

『国家と文明』 内容3

 『国家と文明』 内容2 の続きです。 

2、生産力発展論批判


Q 生産力発展論とは?

 「物質的生産力の発展こそ歴史を前進させる原動力であり、生産力の発展水準に照応して生産関係・生産様式(経済のしくみ)が確定される」という仮説。


Q 生産力発展論に対する竹内芳郎の疑問は?

 生産力はどうして増大するのかという根拠について確たる説明は何もなく、むしろ「産業革命」以来の近代的生産力の不断の増大の事実を不当にも「人類史全体」の法則にまで仕立て上げてしまったのではないか?

 生産力の無限発展を証明なしに自明の真理として設定できるのか? という疑問。

※ 生産力発展論を肯定する立場からは以下のような反論があるかもしれない。
  
人類史を巨視的にみれば過去から現代に向けて生産力が発展してきたことは自明である

※ 竹内芳郎の再反論

 例えば「古代ローマ」や「中世封建社会」において生産力の長い停滞期があったことが想像されるが、「停滞がなかった」と証明することは不可能である。

 いや、そうは言っても新石器時代の農耕社会(「部族共同体社会」)と比較して「国家と文明」の成立した「古代専制国家」で生産力が発展していたことはピラミッド(巨大建造物)一つ見ても自明だ、という主張があるかもしれない。


 しかしそれは「帝王によって多くの民衆の労働力が収奪されるようになった」とは言えても「生産力や生産性が高まった」という証明にはならない⇒結局、生産力の継続的発展について立証することは不可能である。

 それにも関わらず「史的唯物論」の中には一種の「生産力信仰」があった

Q 「生産力信仰」が生み出した弊害は? 〔『国家と文明』が示す例を二つだけ例示〕

A1 生産力水準のより低い「おくれた」諸民族への蔑視
A2 生産力の質が深く問われる機会が失われ、「生産と人間との間の主客転倒(人間が生産の手段になってしまう)」が、その克服を目指していたはずの社会主義社会にまで持ち込まれた。

「ノルマ」達成に向けて駆り立てる旧ソ連の実態


Q 「生産力信仰」をどのような方向へ打開するべきか?

 (立証不可能な)生産力の量的増大よりも、人類史における生産力の質の変化に注目し生産力をどのような方向に発展させるべきかを探る


Q 歴史における最初の大きな「技術革新」は? Q その質は?

A 新石器革命〔打製石器(旧石器)にかわって磨製石器(新石器)を使用すると同時に、農耕・牧畜を開始させた技術革新〕

 ここで人類は初めて人間的な意味での生産を開始した。だが、この時に人類は自然の生態学的循環(自然の循環)を撹乱してしまうようなことはせず生活に必要なものだけを自然から獲得し、不要になったものは(己の身体をも含めて)自然に戻すようにしていた

 さて、竹内芳郎は、その後の大きな技術革新である「金属器革命」と「産業革命」をハードな文明、「新石器革命」をソフトな文明と呼び、「質的な違いがある」と述べるとともに「新石器革命」の性格・理念を現代に復権させ活かしていくことを主張します。
 

 それは一体なぜでしょうか? 
 実は「史的唯物論の再構成を行いながら人類史を打開する方向性を見出す」という竹内流の思索の特徴がここにも出ています。

 「30年以上前に書かれた本」と思えないような先見性について、次回まとめたいと思います。

 

『国家と文明』 内容4

  

 『国家と文明』 内容3 の続きです。 

 ※ 「生産の質」に注目して「技術革新の歴史」を見ると・・・

1、新石器革命(ソフトな文明)
 竹内芳郎のいう新石器革命(ソフトな文明)とはどんな特徴をもつのでしょうか。『国家と文明』から抜き出してみましょう。
 
新石器革命が人類にもたらしたものは、周知のように、農耕、牧畜(・・・)、織物、土器、陶器類など(・・・)」〔48頁〕


 「おなじ人間的文化の圏内で、とくに新石器革命を産業革命と峻別する特徴は何かと言えば、それはどこまでも人間の具体的経験を離脱せぬ〈具体性の科学(技術)〉、〈等身大の科学(技術)〉註・・・という点に求めねばなるまい」〔48頁( )内は引用者〕


註;人間の具体的経験を尊重し、それを豊かにしていく方向でものを生産する科学技術

 「(・・・)私たちの身のまわりを一瞥するだけでよい。そこにある、金属製品と化学製品を除いた〈ソフトな技術〉の製品、とりわけ〈手づくり〉の製品はすべて新石器時代の人々が私たちにまで遺してくれた懐かしい品々なのだ。

 実際、新石器文化は、人間の生活を安泰にするに不可欠なものはほとんど生み出してくれたのであり、しかも、これらの品々がわれわれの生身の肌にやさしく寄り添うものばかりであるのは、この文化の持つ〈具体性の科学〉としての特性によるのである。」〔49頁〕

2、金属器革命(ハードな文明)
 地球上で金属器の使用が始まったのは帝王による強力な支配が成立した「古代専制国家」の登場とほぼ同時代です。竹内芳郎は次のように述べています。

 「およそ紀元前三千年期ごろよりはじまった固有の意味での最初の〈文明〉社会は、金属器使用によってもたらされた〈ハードな文明〉であって、このときいらい人類は、初めて出現した〈国家〉という強力な支配の体系の下で、大量の剰余生産物を生産するようになると同時に、またそれのはげしい収奪を経験するようになった。」〔313頁〕

 この文明は幾多の古代遺跡が示しているように、
人間の大量虐殺と並行して「環境破壊としての公害」が始まっていたということで、人間に対しても自然に対しても「ハードな文明」だったわけです。

3、産業革命=工業化革命(ハードな文明)
 いわゆる産業革命も金属器革命のもたらしたハードな文明の拡大延長線上にある、と竹内芳郎は考えます。それはなぜでしょうか。簡単にまとめておきましょう。

Q 産業革命がもたらしたものは?
・内にあっては封建体制の
農奴労働をはるかに上回る労働収奪(労働者の搾取)
・外にあっては傍若無人な植民地侵略と奴隷狩り
 であったことを考えれば、明らかにこの文明も支配と収奪に結びついたハードな文明だ。

 以上のように、歴史上成立した
「技術革新」の特徴(質)に目を向けた時、浮かび上がってくる文明転換の課題とは何でしょうか?
 竹内芳郎は終章「文明転換と支配の廃絶」で、次のように提案します。

(1)
人間生活にほんとうに必要なものは何であるのかもう一度問い直す⇒人間生活に不可欠なものを(すでに)ほとんど生み出していた新石器革命の科学技術を見直す科学技術の研究の主力を第一次産業の方面に徐々に振り向け、地域住民のための分権的な小規模エネルギー生産、金属をほとんど使わない〈ソフトな〉技術の開発などを、周到な生態学的配慮をもっておしすすめる。

(2)
伝統的な〈手づくり〉の品々に見られるような「知性と感性の均衡」を回復するよう努力する。

(3) 科学技術の場でも専門家による素人の支配を克服し、誰もが生活の場で必要に応じて科学者たりうる道を開き、〈等身大の科学〉を樹立していく。〔319頁〕

 以上のように竹内芳郎は
、「生産の質」「科学技術の質」に着目しながらマルクス主義の「生産力発展論」を批判的に再構成していくわけですが、ここでの考察と提案に対して40年以上前のものとは思えない先見性を感じるのは私だけでしょうか。

 少なくとも、上記提案のような発想に立って「第一次産業の再生」に力をいれたり「自然に学びつつ共存すること」を目指す試みの大切さは、40年前以上に共有されつつあるのではないか、と考えるのです。

 よろしければ、けんとまんさんのブログもごらんいただければ、と思います。   

 

『国家と文明』 内容5

 

 3、「生産力−生産関係矛盾論」批判

 『国家と文明』 内容4 の続きです。
 史的唯物論の「生産力−生産関係矛盾論」とはどのような理論でしょうか。
 おおまかには、
「物質的生産力の発展水準に照応して一定の生産関係が形成され、両者が矛盾に陥ることによって社会革命が生起する」と要約できるでしょう。 

 資本主義社会での革命についてマルクスは次のように述べています。
 「あらたな革命は、あらたな恐慌に続いてのみ起こりうる。だが、革命はまた、恐慌が確実であるように確実である」
 つまり、「この資本主義社会で生産力が持続的に発展していけば、さまざまな“過剰”が生み出され、必ず恐慌が引き起こされる⇒そのことによって社会革命が起こる」というわけです。

 竹内芳郎が35年前に指摘したように、
「現代人はもうこんな議論には(・・・)耳も貸さなくなってしまった」わけですが、社会科学上の作業仮説として「どこが間違っているのか、どの点を訂正すれば今でも使用に堪えうるものになるのか」ということを『国家と文明』は探究していきます。

(この探究過程が大切なのですが)「恐慌の必然性と革命の可能性とは本質的に異なった二つのことだ」(58頁)というのが竹内芳郎の結論です。


 マルクスの言う生産力と生産関係の矛盾(例えば恐慌)」は生産様式(経済構造)の問題であるのに対して、社会革命の問題は社会構成体(社会の総体)の問題である。前者は同一の社会構成体内の経済的メカニズムの問題であって、それがただちに異なった社会構成体への移行(革命)の論理にはなり得ない、というわけです。

 マルクスは「ひとつの社会構成体は、その中で許される一切の生産力が発展しきってしまうまでは決して没落してゆきはしない」と言って、
資本主義経済体制が生産力の頂点に達した時に社会革命が起こると考えたのですが、竹内芳郎によれば、それは「生産様式(経済構造)」の問題と「社会構成体(社会の総体)」の問題を混同した結果生じた誤りなのです。

 そのことは、「高度資本主義国」で革命が起こらず、資本主義のおくれたロシアや中国、(キューバ、ベトナム・・・)で革命が起こった、という事実からも明らかでしょう
 ただ、旧マルクス主義理論家は
「ロシアや中国における革命」に対して、「人類史の中では例外的な“周辺革命”(成熟した社会の周辺で革命が起こった例外的なケース)」として説明してきました。

 それに対して竹内芳郎は
「例外こそが規則である」ことを主張します。
 つまり、「人類史を見ると、ある社会(構成体)が成熟しきった後、崩壊して“その同じ場所で”次の社会(構成体)に移行した、という例はほとんどなく大部分は“周辺革命”である」(81頁:要約)というわけです。

 竹内芳郎の検証を簡単にまとめてみましょう。
1、新石器時代の(ア)部族共同体社会から(イ)古代専制国家〔エジプト、メソポタミア・・・〕への移行
 (ア)は熱帯地域によく発達・継続し、(イ)の多くは乾燥地域に成立
2、(イ)古代専制国家から(ウ)古典古代社会〔ギリシア・ローマ〕への移行
 (ウ)は(イ)の周辺に成立した
3、(ウ)古典古代社会から(エ)中世封建社会〔ゲルマン民族のフランク王国など〕への移行
 (エ)は(ウ)の周辺に成立した
4、中世封建社会から近代市民社会〔市民革命等で成立した欧米近代社会・・・〕への移行
 両者の関係は他のケースよりも比較的緊密(中世封建社会が成立したほぼ同じ場所に近代市民社会が成立)
 「しかし、典型的な資本制生産様式をもっともはやく結実させたのは、中世封建社会では辺境だったイギリスであって、中世社会の牙城たるロワールからラインにいたる地域ではなかった。最後に、近代市民社会から社会主義社会への転変については、これはもういまさら言うまでもないであろう」(81頁)

Q 典型的な社会構成体の移行・変革が、ほとんど常に「周辺革命」だったのはなぜか?
A ある社会構成体が成熟しきった時には、その中にあって社会を変革すべき任を担った階級自体もその社会の成熟した「文化」に埋没してしまうことが多いため
 むしろ成熟した社会の
「周辺でその影響を受けた地域」が比較的容易に次の社会への移行を果たす。

 以上のように竹内芳郎は
「人類史において周辺革命の傾向的な法則」が働いていることを認め、マルクス主義の「生産力−生産関係矛盾論」を批判的に再構成するわけですが、これは「ロシアや中国の革命」のみならず、「欧米資本主義国の辺境であった北欧」において高度福祉社会が成立資本主義の矛盾(人間と生産との主客転倒、貧困と格差、生産の増大に伴う自然破壊など)をかなりの程度克服しつつある現状についても理解可能にしていく、と私は考えるのです。

 

『国家と文明』 内容6

 

前回、『国家と文明』 内容5 では、「生産力−生産関係矛盾論」=「物質的生産力の発展水準に照応して一定の生産関係が形成され、両者が矛盾に陥ることによって社会革命が生起する」の批判的再構成について紹介しました。

 さて、竹内芳郎が「生産力−生産関係矛盾論」の批判に力を注いだのはなぜでしょうか。第一の理由は
このような「仮説」では現実(歴史)が説明できないということですが、それだけではありません。「経済における矛盾が社会革命を引き起こす」という機械的な主張が、社会主義の初心・目的そのものを見失わせることにもつながったからです。

 実際、旧マルクス主義においては、上記のようなテーゼをさらに極端化して次のような主張もなされたのです。
 「資本主義に対する社会主義の優位性は、歴史的に決定された構造の客観的特性であって
人間の幸福とか〈真の〉自由…といった観念からは、まったく独立している(『資本論』のなかには)人間疎外に対する人間の反抗といった哲学的ドラマは何一つ読み取ることはできない。」〔ゴドゥリエ ( )は引用者〕

 しかし、本当にそうでしょうか。竹内芳郎は『資本論』の記述に即して上記のような主張に反論していきます。

 その結論は、資本主義経済における矛盾(例えば恐慌)は、この経済の特質である「主客転倒(人間が資本増殖・利潤追求の手段になるという意味における主客転倒)=疎外」によって生み出される、ということです。

 マルクスは言っています。

 「生産の目的が資本の自己増殖にあって生産者たちの社会生活の拡大にはないからこそ、資本制的生産にあっては、たえず生産力を拡張しようと努めながらも、大衆収奪による大衆の窮乏化という制限にぶつかって、生産は挫折せざるを得ないのだ。だから〈資本制的生産の真の制限は、資本そのものである〉」〔『資本論』第三部 青木文庫 363頁〕

〔現在においても、派遣労働(それによる人件費の抑制)が必要だといい続ける財界が目指しているのは「資本の増殖」であって「生産者たちの社会生活の拡大」ではありませんね。それが結局、国境をこえた「人件費削減競争(底辺への競争)」を生み出し「生産の挫折」にもつながっていくことは明らかなのですが・・・。〕

(竹内芳郎による詳細な検証は割愛しますが、『国家と文明』の記述のポイントは以下の通りです。)

 『資本論』は第1巻第4章の注で(1)労働力の商品化、(2)それを通じての商品形態の一般化、を資本主義経済の特徴として示していますが、全巻を通して一貫しているのは「資本の世界の特質を、物象化され主客転倒した、疎外された世界としてとらえ、それを描き出すこと」でした。

  そして、この経済が生み出す矛盾(恐慌など)も「人間が資本増殖の手段となっていくという意味における主客転倒=疎外」の構造に包摂される矛盾として描かれていくのです。

 「そうすることでマルクスは、同時に社会主義社会の原イメージをも構想することができるようになった

 すなわち、物象化されない共同的な社会関係の中に生産をとり戻すことそれが社会主義社会の使命であり、そこのところが、『共同の生産手段を持って労働し、自分たちの個人的労働力を自覚的にひとつの社会的力として支出するような〈自由人たちの連合体〉』(上記『資本論』第一部181頁)としてうち出されてきた」 というわけです。(『国家と文明』71頁)

 エンゲルスのように「物象化、労働力の商品化、主客転倒」を押さえることなく「生産力と生産関係の矛盾」(資本主義経済の矛盾)だけに目を向けていったのでは社会主義のイメージもソ連など旧社会主義国に見られたとおり「物象化」の貫徹を許したままで(例えば労働者を「手段」とし生産のノルマ達成にむけて駆り立てるといった実態のままで)、「生産手段を国有化する」という点だけに矮小化されてしまうのも当然であろう、と竹内芳郎は述べています。

                                              (『国家と文明』72頁)

 さて、「市場原理主義」がさまざまな問題を生み出す中で『資本論』も再評価されドイツなどでも読み返されています(日本でもマルクスに関連する書籍がかなり復刊されています)が、マルクスがその時代の中で発した様々な問題提起」から得られる示唆は現在においても大きなものがある、と考えるのです。

 

『国家と文明』 内容7

 

 このたびは、『国家と文明』の紹介ではなく、その内容に関連した考察です。

 「マルクスがその時代の中で発した様々な問題提起」から得られる示唆は現在においても大きなものがある、ということを前回述べましたが、例えば『資本論』第一巻の末尾近くには「停滞的過剰人口」という言葉が出てきます。一部引用しておきましょう。

 「停滞的過剰人口は、現役労働者軍の一部をなすが、
しかしまったく不規則な就業のもとにある。……彼らの生活状態は労働者階級の標準以下で、まさしくこのために、彼らは資本の固有な搾取部門の広大な基礎(貯水池)となる。最大限の労働時間と最小限の賃金が彼らの特徴をなす。

 マルクスの言う「不規則な就業のもとにあり、最大限の労働時間と最小限の賃金がその特徴となる」労働者とはどのような人々でしょうか。明らかに、現在の「派遣社員を含む非正規労働者」はそれに当てはまりそうです。

 「彼らは資本の固有な搾取部門の広大な基礎(貯水池)」であるとマルクスは述べていますが、まさにそのことは、竹内芳郎も強調している「人間が資本増殖の手段となっていくという意味における主客転倒」の象徴的な姿だと言えます。 

 
「人間の全面的な解放」、「自由・平等な社会」を実現していくためには、この主客転倒を克服していくことが当然課題となるわけです

 そのことに関連して私は『国家と文明』内容5 で、「欧米資本主義国の辺境であった北欧において“高度福祉社会”が成立し資本主義の矛盾(人間と生産との主客転倒、貧困と格差、生産の増大に伴う自然破壊など)をかなりの程度克服しつつある、」と述べました。

 しかしながら、北欧が資本主義の矛盾を克服しつつあるというのは本当でしょうか?
 いくつかポイントをしぼって検討してみましょう。
 

1、非正規労働者が低賃金労働を担わされるという(日本、韓国等では顕著な)実態について
 例えばスウェーデンで最初に提唱され、かなりの程度実現されている「同一労働・同一賃金」(注)という考えかたがあります。

(注)「同一職種であれば同一の賃金水準を適用させる賃金政策のこと。あるいは、企業間、産業間(業種間)、男女間、雇用形態間(フルタイム、パートタイム、派遣など)の賃金格差の解消を目指すこと」  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

 これを原則としている社会では「非正規社員を増やして人件費を抑える」こと自体が成立しないわけです。


2、貧困と格差の拡大について
 『貧困にあえぐ国ニッポンと貧困をなくした国スウェーデン』(あけび書房)で著者はスウェーデンを「貧困をなくした生活大国」ととらえ、そうなった要因である総合的な社会政策・社会システムを明らかにしています。


 『週刊東洋経済』(2008年1月12日号)、 『スウェーデンの挑戦』(岩波新書)などを読んでも、北欧の社会が「貧困と格差」を拡大再生産する社会と根本的に異なる方向を目指していることは明らかなようです。

3、主客転倒(人間が資本増殖の手段となっていく状況)の全体について
 確かに北欧の生産様式(経済の仕組み)は「資本制生産様式」なのですが、『スウェーデンの挑戦』(岩波新書)で著者の岡沢は次のように述べています。


 「“スウェーデンモデル”は資本主義と社会主義を統合する試みとも定義できる市場メカニズムに規制され、世界市場を指向する生産システムの果実を享受しながら、同時に、その利益を「連帯」「公正」というスウェーデン本来の目標を基礎に分配することである、」と。


 これを読む限りでは、利益(経済成長)は目的ではなく「手段」として位置づけられており、「主客転倒」をかなりの程度において克服しつつあると考えられます。

4、生産の増大に伴う自然破壊、環境問題について
 スウェーデン1990年比14%の二酸化炭素削減(と20%以上のGDP増加)を達成しました。(2012年現在)
スウェーデンの温室効果ガス総排出量(1990年比増減率)(推移と比較グラフ) | GraphToChart

 また、デンマークは風力発電が非常に普及している国です。
 http://plaza.rakuten.co.jp/shchan3/diary/200901100000/

 「欧米資本主義国の辺境であった北欧において“高度福祉社会”が成立し、資本主義の矛盾(人間と生産との主客転倒、貧困と格差、生産の増大に伴う自然破壊など)をかなりの程度克服しつつある」と私が述べた理由は以上のようなことです。

 もちろん北欧諸国も様々な問題を抱えているわけですが、いくつかの観点において「資本制生産様式」の根本的な問題点を乗りこえる方向性を持っているのではないかと考えるのです。

 

『国家と文明』 内容8

 

さて、 『国家と文明』 内容5 の最後で私は次のように述べました。

 竹内芳郎は
「人類史において周辺革命の傾向的な法則」が働いていることを認め、マルクス主義の「生産力−生産関係矛盾論」を批判的に再構成します。

 これは
「ロシアや中国の革命」のみならず「欧米資本主義国の辺境であった北欧」において高度福祉社会が成立し、資本主義の矛盾(人間と生産との主客転倒、貧困と格差等)をかなりの程度克服しつつある現状についても理解可能にしていく、と私は考えるのです。

 この理論について(考察を)補足しておきたいと思います。
 繰り返しになりますが、人類史において
「周辺革命の傾向的法則性」(例えば、「成熟した資本主義社会」よりも、その影響を受けた周辺の地域で「新しい社会」が形成されていくという傾向)が働いていると見れば、北欧における「資本主義の矛盾を克服する社会づくり」についても理解しやすい、と私は考えています。

 
ただし、今から35年前に書かれた『国家と文明』の中で、「北欧の社会づくり」は正面から取りあげられてはいません。つまり、竹内芳郎自身は「北欧社会」を「周辺革命」の事例と見なしてはいなかったのです。(20世紀の例として挙げられていたのは、ロシア、中国、キューバ・・・等でした。)

 そうすると、私が考えるように「北欧社会の建設」を「周辺革命の傾向的法則性」にあてはめて理解することが果たして妥当なのか(あれが周辺革命か)といった問題が出てくるでしょう。

〔私自身は、一定の妥当性があると考えています。〕
 
 そもそも「革命」とは何でしょうか? 
狭義の革命は「多くの民衆が立ち上がって、短期間で社会を変革していくこと」です。北欧の場合、この意味での「革命」には妥当しないわけですが、『国家と文明』で示された「周辺革命の傾向的法則性」をよく検討すると、それは「民衆の蜂起をともなう狭義の革命」ではなく「一つの社会から別の新しい社会への移行」といった意味で理解するのが適切なようです。

 スウェーデンにおいて社会民主労働党の単独政権が成立したのは1920年ですが、地域的には
「資本主義の成熟した西欧」の周辺にあった「充分成熟していない資本主義国」といえるでしょう。そして、資本主義の矛盾がよく見えると同時に「国づくり」の過程でソ連という「社会主義国家」の矛盾もよく見える、という位置的な条件にも恵まれていました。

 スウェーデン社会民主労働党政権は
「ソ連の矛盾」や「国内における社会主義に対する恐怖感」も踏まえつつ、「社会主義の理想の実現」を現実的な仕方で目指していきます。その過程については『スウェーデンの挑戦』(岩波新書)に詳しいですが、現時点においてどのような社会が実現されているかについては、『週刊東洋経済』(2008年1月12日号)をご参照いただければ、と思います。

 注目すべきだと私が考えるのは一千万人程度の小国であるにも関わらず、
「スウェーデンの国づくり(スウェーデンモデル)」は周りの諸国(北欧全体)に影響を与えのみならずEU諸国へも大きな影響を広げているということです。
〔例えば「同一労働、同一賃金」という考え方は、EUでは「原則」または「もっとも有力な考え方」になっているようです。〕

 日本や韓国への影響はまだ小さいと思われますが、「社会主義の理想の実現」を現実的な仕方で目指しつつ「貧困を克服した生活大国」に学ぶべき点はたくさんありそうですね。 

 そして、スウェーデンをはじめとする北欧の社会は「資本主義の市場原理(⇒人間と資本増殖の主客転倒)」とは別の原理を目指す社会だ」という見方は、一定の妥当性を持っているように思われるのです。   

〔表現が難しいところですが、私の下記コメントMr. Hot Cakeさんのコメントもご参照下さい〕

 

 以上、『国家と文明』の「生産力−生産関係矛盾論批判」の紹介から出発し、私なりに「北欧社会も歴史の全体化理論に組み入れて」考察してみました。

 この仮説(「生産力−生産関係矛盾論」)を徹底的に検証した竹内芳郎ですが、再構成によってこの理論が無意味となるわけではない、「生産様式(例えば現在の資本主義経済、市場原理主義)の矛盾の解明は社会変革の「客観的可能性」や「変革の方向性」の解明にはいまなお有効である、と述べています。

〔『国家と文明』83頁 ( )内は引用者〕

 「市場原理主義」の矛盾の激化が日本における「政権交代」の大きな背景であることは明らかだと考えますが、今後の方向性(社会の形成)に対して『国家と文明』が理論的に寄与できる面も大きいと考えています。

 次回から「発展段階論」批判の紹介にはいりたいと思いますが、それは、竹内芳郎独自の国家論、民主主義論につながっていきます 

 

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